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100.致死量の愛情表現 Side:カグツチ

 後宮の最上階に用意された豪奢なスイートルームは、今のオレにとってはただの窮屈な檻でしかなかった。


「あーもうっ! なんでオレだけルシアに会えないわけ!? あのシロクマ野郎は良くてなんでオレは駄目なんだよ!」


 豪華絢爛なソファに背中を預けながら、力任せに掴んだ銀のフォークはへし折れて床に転がった。

 オレは不機嫌を隠す気にもなれず、テーブルの上に山積みになったマカロンやタルトといった色とりどりの甘味を、次々と手づかみで口へ放り込んだ。

 イライラする度に身体から熱が漏れ出しているのが分かる。

 室内の温度はじりじりと上昇し、窓ガラスがピキピキと熱膨張の悲鳴を上げていた。


「落ち着きなさいなカグツチ! 甘いものを食べて頭を冷やすんじゃありませんでしたの!? 燃料投下するために用意したのではありませんわッ! ここであなたがボヤ騒ぎでも起こしたら、ルシアさんの潜入計画が台無しになりますわよ!」


 ソファの横に立ち尽くしたままのノエルがおぼんでパタパタとオレを扇ぎながら必死になだめてくるが、こんな風でオレの熱が下がるわけがない。


「分かってるよ! 分かってるからこうして火を吹く代わりに砂糖食って我慢してんじゃん! つーかマシュマロは!」


「とっくにありませんわ! 後宮中の備蓄を平らげたのはどこのどなたですの!? 他の令嬢たちが隠し持っていた分まで、この私が笑顔でご挨拶してきっちり巻き上げてきて差し上げましたのに! もうこの塔には、ただの一粒たりともマシュマロは残っておりませんわよ!」


 ボリボリとクッキーを噛み砕く。火を吹きたい衝動を、甘みで無理やり押さえつけている状態だ。

 ノエルが頭を抱えて何か言おうとした時、壁際の影からひょっこりと金髪の竜――セイデンキが顔を出した。


「せ、せや! カグツチ、ちょっと気分転換に聞きたいんやけど、自分、原初の夢って覚えてるか?」


 セイデンキが、引きつった笑いを浮かべながら唐突に話題を振ってきた。

 オレは咀嚼をピタリと止め、訝しみながら首を傾げる。


「なんで? 原初の夢の内容を根掘り葉掘り聞くのって、竜種の間じゃマナー違反だってロボが言ってたけど」


 黒鉄の城でルシアが眠り続けた一週間の終わりの頃。

 ロボが神妙な顔で「ルシアの目が覚めてもどんな夢を見たかだけは絶対に聞いちゃいけねェ」と言っていたのを思い出す。


 オレが言うと、セイデンキは「チッチッチ」と大げさに指を振ってみせた。


「あんなぁ、ただの世間話とは訳ちゃうねん。自分の原初の夢を相手に話すっていうのはな、竜種にとっては『灰になろうと離れない』っていう意味があんねん。超特大の求愛やで!」


「……求愛」


 その単語に、オレの動きは完全に止まった。

 無意識に己の記憶の底を必死に探る。

 もし、自分の原初の夢にルシアの姿があったなら。

 それを彼女に伝えることができたなら、どれほど満たされるだろうか。


 しかし――数秒後、オレは盛大に肩を落とした。


「ふーん……でも、やっぱり全く思い出せないんだよなぁ」


「ちっとも?」


「……これっぽっちも」


 そう言って、タルトの上に乗っていたフルーツを掴んで掲げたあと、口の中へと放り込んだ。


「……ま、ちょっとは落ち着いたか」


 セイデンキが小声でそう呟き、ほっと息をついた。


 オレはやっぱり、そういうロマンチックな因果からは見放されてるんだ。

 そう結論づけ、再びヤケクソ気味にタルトを口に放り込んだ。


 ◆ ◆ ◆


 そして、その日の深夜。


 星明かりだけが照らす白の離宮の中庭で、オレは限界を迎えていた。

 あの日以来ルシアから離れたことなんて、黒鉄の城でオレの角にひびが入った時くらいで。

 あの時でさえ内臓の全部が締め付けられるような耐え難い痛みを感じていた。……まぁ、あの時は我慢出来なかったからダメって言われてたけどこっそり忍び込んだので、正確に言えば離れた夜なんてないに等しかった。


 それがもう、三日だ。


「……く、苦しいですよ、カグツチ」

 

 いきなり抱きしめたら怒られるかな、とか。きっと作戦だけ伝えて手短に話したいだけなんだろうな、とか。

 そういったものは全部、ルシアの顔を見た瞬間、どうでもよくなってしまった。

 彼女を腕の中に閉じ込めて――初めてオレの心臓が音を取り戻した。

 オレとルシアの存在は繋がっている。離れている方が不自然なんだ。

 オレの腕の中にいる彼女の身体は氷のように張り詰め、いつ折れてもおかしくない。唇を押し当てた首筋は、ひどく冷え切っていた。


 ルシアは怒らなかった。咎めもしなかった。

 オレの熱に絆されてしまいそうになるのを耐えているのが分かって、嬉しくなる。

 嬉しすぎて作戦が全く頭に入ってこない――なんて浮かれていたのも束の間、彼女はとんでもないことを言い出した。

 あの男をオレなしで、たった一人で殺す、と。


(ルシアが一人で行くなんて、絶対にダメだ。もしルシアが殺されたら……)


 オレの腕の中に閉じ込めた彼女の身体が、ふっと離れようとする。

 嫌だ、と本能が叫んだ。その時だった。


「……カグツチ。私の原初の夢を話しましょうか」


 静かなルシアの問いかけに、オレの身体はビクリと跳ねた。


(えっ?)


 思考が、一瞬で真っ白になる。

 昼間、セイデンキが言っていた言葉が脳裏にフラッシュバックした。


 ――『灰になろうと離れない』


(ル、ルシアから!? オレに!?)


 心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。

 もちろん、ルシアがそんな竜種の風習(ルール)を知っているはずがない。その証拠にポケットに大量の鱗をジャラジャラさせてオレに見せてきたし。

 彼女のことだ、きっとただの論理的な証明かなにかとして提示しようとしているだけだ。

 それは分かっている。分かっているのに、鼓膜は自身の血流の音でうるさいほどだった。


「夢の中で、私は血に染まった玉座の前に立っていて、足元には誰かの首が転がっていました。……その首は、ゼファレスのものでした」


 凄惨な夢だった。

 でも、ルシアはそれを自分が死なない証明として語っている。

 なら、その盤面に――オレの居場所は、ちゃんとあるのか。


 たまらず、オレは彼女の言葉を遮って、再びその身体を腕の中へと閉じ込めた。


「ねぇ、そこにちゃんとオレはいた?」


 掠れた声が出た。

 祈るような、すがるような問い。


「えぇ。カグツチも隣にいてくれました」


(ああ――)


 胸の奥で、張り詰めていた何かが一気に決壊した。

 彼女は意味を知らない。

 人間だった彼女は、きっとこれが状況証拠による生存確率の証明だなんて、つまらない理屈で自分を納得させているんだろう。


 でも、そんな人間の言葉遊びなんてオレにはどうでもいい。

 竜にとって、原初の夢に誰がいるかは、魂の所有権がどこにあるかと同じ意味だ。

 ルシアがどんなに盤面だの駒だのと言い訳しても、彼女の因果の定まるときには、もうオレが刻まれている。逃げようとしたって、因果の鎖がそれを許さない。


 灰になろうと離れない――ルシアは、無自覚にオレと永劫ともにある事を誓ったのだ。


「……そっか。よかった」


 歓喜と、安堵と、狂おしいほどの独占欲がごちゃ混ぜになって、オレは熱に浮かされたようにルシアの肩に顔を埋めた。

 この盤面が終わった後、彼女がどこか遠くへ逃げようとしても、オレはもう絶対に離してやらない。その確かな免罪符を得たことが、堪らなく嬉しかった。


(ルシアがそこまでオレの隣を約束してくれるなら……オレだって、もう我慢しなくていいよね)


 ただの剣でいいと思っていた。見返りなんていらないと思っていた。

 でも、この致死量の愛情表現をぶつけられて、大人しく引き下がるほど、オレはもう聞き分けの良い竜ではいられなかった。


「――その代わり」


 だから、生まれて初めて、オレは明確な対価を欲しがった。


「ちゃんと誰も殺さずに、綺麗な剣でいられたら……オレも、ルシアに一つだけお願いをしていい?」


 オレだって、もっとルシアを欲張りたい。

 お願いはもう決まっていた。

 ずっと前から決めていた。

 いつか言おうと思っていて――でも、それをいきなり伝えたらきっとルシアを困らせる。

 だけどこれが対価なら、きっとルシアは嫌って言えない。


 冷たくなった彼女の頬を包み込みながら、オレは暗闇の中でただ一人、幸福の絶頂に酔いしれていた。

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