48.奇跡の人
それから三か月後。
マリアの腹はだいぶ膨れて来て、医師によって胎児の心音も確認された。
まだ見ぬ小さな我が子は、腹の中で何やらぐるぐると回ったりしゃっくりをしたりしている。何もかも初めての経験で、異変を感じては慌てる毎日だ。そのたびに出産経験のある使用人があれこれと情報をくれ、なだめすかしてくれる。
今日、マリアは窓辺でレース編みを始めた。
赤子が産まれて来た時のために、ボンネットを編んでいるのだ。
そうして窓から何度も顔を出し、馬車が何台かこちらにやって来るのを見つけ、マリアの表情は明るくなった。
マリアは立ち上がると、裏庭に移動する。
今日は久方ぶりに、お茶会を催すのだ。
貴族夫人たちがわらわらと出て来て、裏庭で再会したマリアを見てわっと声を上げる。
「やだ、妊婦さんは座って座って」
アンナがやって来て、マリアは強制的に椅子に座らされた。
「初めての妊娠ですもの、不安でしょう?案外、産む時は張り切ってるものだから大丈夫よ」
こういう時、経験者の話は不安な心を助けてくれる。貴族女性たちは口々に言った。
「痛いって言っても、何かを生み出す痛みだもの。何も生み出さない痛みなんかいくらでもあるんだから、それよりは幾らかマシよ」
「本当に大変なのは、産んでからなのよ。毎日忙しくて大変だから、今の内に寝ておくのよ」
「うちの地方では、ナッツを食べると赤ん坊の頭が良くなるって言い伝えがあるのよ」
「あら、じゃああなたはとっても頭がいいってわけ?」
「食べなかったら、もっとひどいことになっていたのよ!」
「違いないわね!」
奥方はげらげらと笑って、クッキーを貪り食う。
「ああ、そうだ。あなたが妊娠したことで、アンディが引きこもっちゃったらしいわよ!」
思わぬ話題にマリアは怪訝な顔になる。
「……え?それは、どういう……」
「二件目の結婚話も破談になっちゃったらしいのよ。どうやら、アンディの方が男性不妊を疑われたようね。離縁した前妻がすぐ妊娠したものだから、貴族の間でちょっとした噂になってるみたい」
「あいつが以前リューデル競馬場でマリアの悪口を言っていたことが、その疑いの火に油を注いでいるわけ。あれは後ろめたさの裏返しだったんじゃないかって、うちの夫も言ってたわ」
「口は災いの元ね。やっぱり、嘘をつくとああなるのよ。神様っているのね」
「逆に、正直者のマリアに神様は味方したのよ。私マリアと出会ってから、神を信じるようになったわ」
マリアは微笑みながら、蠢いている腹を撫でさする。
「そうね……きっと、神様はいるわ」
その頃。
ローヴァインファームではテオとアロイスが馬を眺めながら話していた。
「そうですか。いよいよテオ様が父親に……」
「アロイスも今、奥方が妊娠中だろう」
「そうですが、来月にはもう産まれますよ」
「ということは、私とアロイスは同時期に父親になるのか……」
アロイスは、ぶっと笑いをこらえ切れずに吹き出した。
「あはは、まさか。でも、本当ですね」
「私も全く予想していないことだった。まさか30も年下の部下と同時期に父親になるなんてな」
アロイスは草をはむセンティフォリアを眺める。
「マリアさんは、奇跡をたくさん起こす人ですね」
「そうだな。あんな女は、なかなかいない」
「テオ様。でも思うんですが、奇跡って結局は何かの積み重ねですよ。何かが積み重なって、ここぞという時に叶うのが奇跡です。実は目に見えないところで何かが育っていて、ある時ふと地表から芽吹くものなんだと思います」
テオは感慨深そうに頷く。
「アロイス。君もここまで来るのに、紆余曲折あったからなぁ」
「そうですね。怪我をして、精神病になって、ベッドから起き上がれるようになるまでに三年もかかってしまいました」
「だが、騎手の道を見つけた」
「見つけたと言うよりも、それしかなかったんです。けど、それしかなかったっていうのも、今思えば奇跡ですね」
「そのひとつがなかなか見つけられずに……というケースもよくあることだ」
「はい」
「となると、私は数々の奇跡をこの目で見ているということになるな」
「それって、なかなか凄いことじゃありませんか?」
「全くだ。私は周囲に恵まれて、今こうして幸福に暮らしている」
「……産まれたら、ぜひお互いの子どもを交流させましょう。仲間は多ければ多いほどいい」
「そうしよう。私亡き後も、子が寂しくならないように」
アロイスはふと、真顔になった。
「そんな寂しいこと言わないでください」
「うーん、そうは言うがねぇ……」
「奇跡を何度でも見ましょう、テオ様。お子さんが産まれたら、案外若返るかもしれませんよ」
「そうだといいな。まずはこの目で見届けなくては」
「産まれて落ち着いたら、赤ん坊を見せに来ますね」
「楽しみにしているぞ」
「はい!」
アロイスは軽く会釈すると、センティフォリアを連れて牧場内のコースへと歩いて行く。
テオもローヴァインファームから屋敷へと戻って行った。
屋敷へ戻ると、どこかすっきりした顔のマリアが再びボンネットを編んでいた。
テオが尋ねる。
「体調はどうだ?」
「ええ、いつも通りよ」
「お腹の中は?」
「ふふふ。今日もこの子、しゃっくりが止まらないみたいなんです」
「……そうか」
テオはマリアの隣に座った。
奇跡を起こす人。
「マリア、君は次々奇跡を起こすな」
「あら、そう?それはきっと、テオが一緒にいるからよ」
「私が?」
「そりゃそうでしょ。あなたがいなくて、どうしてこの子が出来たって言うの?」
当然のようにマリアに言われ、テオはふと笑う。
「そうか……」
「私ひとりでは、何もなし得なかったわ。全ての奇跡は、あなたの力を借りたから起こったのよ」
当然のようにそう言う妻を、テオは眩しそうに見つめた。




