第9話 ワン・サードとパナシーア
サニタリーゾーンの保護時間が切れたあと、俺たちは再びダンジョンの通路に戻った。
石造りの回廊は、どこまで行っても同じように見える。
等間隔に灯る光源だけが、ここが完全な自然洞窟ではなく「造られた迷宮」だと主張していた。
「そろそろ、何か出るぞ」
先頭を歩く直江 柊が、小さくつぶやく。
空手部で鍛えた勘なのか、それとも単に経験則か。
言葉の少ないやつほど、こういう予感が当たるから怖い。
「マジ勘弁してくれよ……」
俺の斜め後ろで、ぜいぜい言っているのは風連 梓だ。
丸い。
とにかく丸い。
教室でもひときわ大きかった体格は、ダンジョンの狭い通路だと余計に存在感を増している。
つり目気味の顔に汗が光っていて、息も荒い。
「お前、ちょっとペース落とすか?」
「落と……したら、置いてかれんだろ……! それはそれで……死ぬっての……!」
息を切らしながら、そう答える。必死な言い分だが、確かにその通りだ。
風連も、昨夜ダイスを振った。
『能力を付与します。対象を三分の一にすることが可能です』
対象を三分の一にする。
体重も、大きさも、動く速度も。
「どういうバランスだよ」と全員が首をかしげたところへ、ペナルティが追い打ちをかけた。
『ペナルティを告知します』
『対象の基礎体重および体積を、現状から増加傾向に固定します』
『日常生活において、減量行為の効果は限定的なものとなります』
つまり──
「一生、太りやすい体質確定ってことだよな……」
風連本人のまとめが、一番分かりやすかった。
代わりに、『ワン・サード』の性能はえげつなかった。
ためしにダンジョンの岩を指さして発動したら、その部分だけが「きゅっ」と縮んで、三分の一サイズになったのだ。
重さもその分だけ軽くなるらしい。
「モンスターに当てたら、かなりヤバいぞこれ」
「重い敵の体重三分の一にしたら、たぶんバランス崩すしな」
そんな検証をしたあとで、今に至る。
「──来るぞ!」
直江の声と同時に、前方の闇から何かが飛び出してきた。
犬に似ているが、明らかに犬ではない。
皮膚は斑に変色し、目はぎらぎらと光っている。
牙はやけに長いし、唾液が床に落ちるそばからじゅっと煙を上げていた。
「毒持ちかよ!」
川端が舌打ちし、手をかざす。
「燃えろ。《フレイム》!」
その叫びとともに、手のひらから炎が飛び出した。
細い線のような火が、一直線に魔物の胴体をなぞる。
悲鳴のような鳴き声。
毛皮が焦げる匂いが、鼻を刺した。
それでも、倒れない。
「タフだな!」
直江が前に出て、空手の構えを取る。
だが、魔物の動きは早い。
炎にあぶられた分、余計に暴れているようにも見えた。
そいつが、ふいに進路を変えた。
一直線に、風連の方へ。
「うおおおおおお!!?」
「風連、避けろ!」
「無理だってえええ!!」
でかい体が、悲鳴と一緒に後ろへのけぞる。
が、足がもつれて、尻もちをつきかけた。
やばい。
あの牙に噛まれたら──
「風連!」
反射的に叫んでいた。
「《ワン・サード》!! アイツに当てろ!」
「えええええ!? 今!?」
「今だって!」
風連は、半泣きのまま両手を魔物に向けた。
「ワ、ワン・サードッ!!」
一瞬、空気が揺らぐ。
次の瞬間、魔物の体が「ぎゅっ」と縮んだ。
目に見えて小さくなったのに、スピードはそのままどころか、むしろ速くなっている。
重さと大きさが三分の一になったぶん、機動力が上がったらしい。
目に見えて小さくなったのに、スピードはそのままどころか、むしろ速くなっている。
重さと大きさが三分の一になったぶん、機動力が上がったらしい。
「やべ、速ぇ!」
「そういう仕様かよおおお!!?」
小さくなった犬型モンスターが、狙いを変えず風連に飛びかかる。
そのとき。
「──《ムーヴ》」
短い声とともに、風連の体がふっと横にずれた。
さっき見た、一メートルの瞬間移動。
直江が、半身を切るようにして風連の肩を押さえていた。
魔物は、風連のいた場所を素通りして、床に転がる。
そこを、川端の炎が容赦なく追い打ちした。
「燃え尽きろ!」
炎が、三分の一サイズの魔物を包み込む。
さっきよりも火の回りが速い。
やがて、じゅう、と音を立てて、動かなくなった。
「はあ……はあ……死ぬかと思った……」
風連が、その場にへたり込む。
次の瞬間だった。
「風連、足!」
誰かの叫びで、視線が一点に集まる。
風連のズボンの裾。
そこに、細い傷が走っていた。
かすめただけのはずなのに、その周囲の皮膚がみるみる赤黒く変色していく。
「うそだろ……」
ビリビリと、嫌な記憶が甦る。
『怪我、毒、麻痺、病等に効く万能薬を作り出す事が出来る』
パナシーア。
俺のスキル。
「湊!」
直江が、こちらを振り向いた。
その目に、迷いはなかった。
「出番だ」と言われているのが、痛いくらい分かる。
「……分かってる!」
自分でも驚くくらい、声が出た。
足が、勝手に前に出る。
風連の足の傷は、もう普通の出血とは違う色をしていた。
じわじわと広がっていく変色は、どう見てもただの傷じゃない。
毒だ。
自分でも驚くくらい、声が出た。
足が、勝手に前に出る。
風連の足の傷は、もう普通の出血とは違う色をしていた。
じわじわと広がっていく変色は、どう見てもただの傷じゃない。
どうすればいい──と考えかけたところで、耳の奥にあの声が響いた。
『能力を起動しますか?』
「……起動!」
即答すると、視界の隅に、薄く文字が浮かんだ。
『状態異常を選択してください』
簡潔なメニューが並んでいる。
『出血』『毒』『麻痺』『病気』『その他』
「毒!」
迷わず言う。
すると、右手がじん、と熱くなった。
何かが、手のひらの中に形を成していく感覚。
何も持っていなかったはずの手に、いつの間にか小さなガラス瓶が握られていた。
中には、薄緑色の液体。
「……これが、パナシーア……?」
自分の声が、やけに遠く聞こえた。
「湊、間に合うか?」
直江の焦った声で、我に返る。
風連の呼吸は荒くなっていて、額には冷や汗が浮かんでいる。
毒は、変色した部分からさらに上へと這い上がろうとしていた。
「飲め、風連!」
そう言って瓶を差し出すと、風連は顔を引きつらせた。
「え、なにそれ、色やべーけど……」
「文句言ってる場合か! パナシーアだ、毒に効くはずだ!」
「パナシーアって何それ厨二病かっけ……ごふっ」
最後まで言わせず、直江が半ば強引に風連の口に瓶を押し当てた。
ごく、ごく、と喉が鳴る。
数秒後。
変色していた皮膚が、ゆっくりと元の色に戻っていくのが見えた。
「……あ」
風連の息が、少しずつ楽になっていく。
「な、治ってる……?」
周りの誰かが呟いた。
「マジかよ」「本当に効いてる」「すげえ……」
ざわざわ、と空気が揺れる。
俺は、思わず自分の手のひらを見つめた。
さっきまで瓶を握っていたはずの手は、もう空っぽだ。
それでも、そこに残る微かな熱だけが、さっきの出来事が夢じゃないことを教えてくれていた。
『使用:パナシーア(毒) 残り回数:4/5』
視界の端に、小さな文字が浮かぶ。
五回。
少なくはない。
多くもない。
でも──
「助かった……マジで、ありがとう、湊……」
風連が、半泣きの顔で俺を見上げてきた。
でかい体なのに、今は縮こまって見える。
「おれ、マジでヤバかったろ……? なんか、身体の中、じわじわ冷たくなってく感じしてさ……」
「……間に合ったんだから、結果オーライだろ」
自分でも、意外なくらい素直に言葉が出た。
さっき個室で、自分の身体を見られなかった情けなさが、少しだけ薄れた気がする。
この身体には、この身体でしか使えないスキルがある。
パナシーアは、俺しか扱えない。
それが、誰か一人の命くらいは、ちゃんと繋ぎ止められる。
「東金」
直江が、短く呼んだ。
「ナイス」
その一言が、変に胸に響いた。
照れくさくて、思わず顔をそむける。
「……当たり前だろ。
こんなペナルティ食らって、役に立てませんでしたとか、冗談にもならねえし」
本音が、少しだけ混じってしまう。
川端が、その言葉に苦笑した。
「そっちもなかなかキツいけど……でも、さ」
炎を消しながら、こっちを見る。
「今のは、堂々と自慢していいレベルだと思うぜ。
回復役がいなかったら、たぶん風連、ここで終わってた」
「ひいっ……やめろそういうことさらっと言うの……」
風連が本気で震え上がる。
でも、その震えには、さっきまでの「死ぬかも」という恐怖よりも、「生き延びられた」という安堵の方が強く混じっている気がした。
俺は、こっそりと、自分の胸の上あたりに手を置く。
そこに違和感を覚えるのは、たぶん、ずっと続く。
でも、その違和感ごと、このスキルで何人救えるか。
それが、これからの「東金 湊」の仕事だ。
「……次からは、噛まれる前にどうにかしような」
わざと軽く言うと、風連が「うっす……」と情けない返事をした。
クラス全員の迷宮攻略は、まだ始まったばかりだ。
パナシーアの瓶の残り回数表示が、視界の端で小さく光っていた。




