第8話 個室にて
個室の扉を閉めた瞬間、外のざわめきが嘘みたいに遠くなった。
壁は薄いはずなのに、外の気配はほとんど伝わってこない。
サニタリーゾーンの機能なのか、音を吸い込んでしまうみたいな、妙な静けさだ。
簡易ベッドが一つと、壁に取り付けられたフックが二つ。
角には、小さな洗面台のような凹みと、光る操作パネル。
それだけの、殺風景な箱。
「……ふう」
ベッドの端に腰を下ろして、やっと大きく息を吐いた。
外では、まだみんなが場所決めだの見張りの交代だのでバタバタしているはずだ。
それでも、ここには誰も入ってこない。鍵もかけた。
完全に、俺一人だけの空間。
さっきまで、必死に考えないようにしていたことが、じわじわと頭の隙間から這い上がってくる。
女になった。
戻らない。
標準。
アナウンスの言葉が、頭の中で反芻される。
『性別情報:男性から女性へ変更』
『再構成完了。以降、この状態を標準とします』
標準って、なんだよ。
つぶやいても、誰も答えない。
ふと、視界の端に操作パネルが映った。
何気なく近づいてみると、いくつかのアイコンの中に「ミラー」という表示がある。
タッチすると、正面の壁の一部が、すうっと透き通った。
鏡だ。
「……うわ」
思わず、そこから目をそらした。
分かっていた。
昼間から、何度も自分の姿を見ている。
黒髪ショートの女が、そこら中の視線を集めていたのは、自分だ。
でも、あれは他人の目越しだったから、まだ現実味が薄かった。
真正面から、自分の目で自分を見たら、もう言い訳できない。
ベッドに戻ろうか、と一瞬思う。
けれど、足が動かなかった。
逃げても、明日も明後日も、この身体で生きていくことになる。
だったら、今のうちに、一回くらいはちゃんと確認しておいた方がいいんじゃないか。
そう思ってしまった瞬間、もう自分で自分を止められなくなっていた。
ゆっくりと顔を上げる。
鏡の中に、知らない女が立っていた。
黒髪のショートヘアが、首のあたりでさらりと揺れている。
目は少し大きくて、睫毛が長い。
鼻筋は通っていて、口元はきゅっと結ばれている。
整ってる。
腹立つくらいに。
見れば見るほど、「東金 湊」だった要素は薄くなる。
背が低いのは、かろうじてそのままだ。
でも、少しだけ伸びた身長と、全体のバランスが、もう「男子のときのちんまり」とは別物になっている。
「……これが、俺……?」
声に出すと、鏡の中の女も、同じように口を動かした。
完全にシンクロしている。
当たり前だ。俺だ。
制服のシャツは、ボタンの少し下あたりで不自然に引っ張られている。
昼間、第一ボタンが弾け飛んだあたりから、ずっとこんな状態だ。
そこに目がいってしまう自分が、嫌だ。
でも、見てしまう。
胸の膨らみは、シャツ越しでもはっきり分かる。
巨乳、という言葉が頭をよぎって、慌てて掴んで丸めて、ごみ箱に投げ込むみたいに脳の端っこへ追いやった。
意識すると、余計に重さが気になる。
肩紐も何もないシャツ一枚で支えているせいで、引っ張られる感覚がダイレクトに伝わってくる。
、ずっとこんな状態だ。
そこに目がいってしまう自分が、嫌だ。
でも、見てしまう。
胸の膨らみは、シャツ越しでもはっきり分かる。
巨乳、という言葉が頭をよぎって、慌てて掴んで丸めて、ごみ箱に投げ込むみたいに脳の端っこへ追いやった。
意識すると、余計に重さが気になる。
肩紐も何もないシャツ一枚で支えているせいで、引っ張られる感覚がダイレクトに伝わってくる。
「……くそ」
小さく悪態をついて、鏡から目をそらした。
制服の裾を、指先でつまむ。
ためらいが、喉の奥で引っかかる。
どうせ、明日以降も、嫌でもこの体と付き合わされる。
誰かに見られるくらいなら、自分で先に知っておいた方がマシだ。
そう言い聞かせて、ゆっくりとボタンに手を伸ばした。
ひとつ。
ふたつ。
布が肌から離れていくたび、知らない感触が空気にさらされていく。
どこか居心地が悪いのに、やけに繊細な感覚がくっきりと立ち上がってくる。
途中で、手を止めた。
これ以上は、さすがに。
鏡を見なくても、分かる。
男だったころとは、形からして全部違う。
息を呑んで、シャツの裾を握りしめる。
「……やっぱ、無理だ」
声に出した瞬間、情けなさがどっと押し寄せた。
ダンジョンでモンスターと殴り合ったくせに、ここまで来て、ちょっと服を開くのは怖いのかよ。
「湊ならできる」
「能力持ちなんだから」
「パーティの要だ」
昼間、何人もの口からそんな言葉を聞いた。
ありがたい。
でも、その期待に見合う中身かと言われると、自信はない。
中身は、ただの、男子校で目立たなかった東金 湊だ。
昨日までトイレの位置なんて気にもしなかった、普通の男子高校生。
そんな俺に、いきなり「女としての自分」にも向き合えってか。
「……勘弁してくれよ、ほんと」
ぽつりとこぼして、シャツのボタンを上から留め直す。
持ち上げても、現実は消えない。
目を閉じても、感覚は消えない。
それでも、今はまだ、ちゃんと見る勇気が出なかった。
代わりに、洗面台のパネルをいじってみる。
手をかざすと、ぬるい水が出てきた。
顔を洗うと、少しだけ頭が冷える。
鏡に映る自分は、さっきよりも、ほんの少しだけ「見慣れた顔」に近づいた気がした。
目の下にクマができて、表情が疲れているからかもしれない。
「今までは存在感ない、とか散々言われてきたのにな……」
突然、転移させられたダンジョン。食料、装備品、ろくな持ち物もない中でダンジョン攻略を強いられている、この理不尽な環境のなかで、皆を守れる力を手に入れた判断は間違いではなかったという思いはある
。
今の自分の姿に納得なんてできる訳じゃない。
それでも……このダンジョンを攻略して、皆そろって元の世界に帰れるなら、この能力で救える命があるのなら。
そう思いながら、湊は静かに目を閉じた。




