閑話 川端のコンポタ事件
インターバルの夜。
サニタリー・ゾーンの部屋の照明が落とされ、あちこちで寝息が聞こえ始めていた。
湊はベッドの上で、半分だけ意識を手放していた。
パーカーのフードの中では、ルベルが丸くなって「キュゥ」と小さく寝息を立てている。
どれくらい眠っていたのか分からないころ、肩口が控えめに揺さぶられた。
「……湊」
ぼんやりとした声。
湊は片目だけ開けて、揺れる視界の中に川端の顔を認めた。
「……川端?」
「勝手に入っちまって悪い。ちょっとだけ、パナシーア、もらえないか」
いつものような遠慮がちな声だったが、どこか切羽詰まった響きが混じっている。
「今日、まだ冷たい枠、残ってたよな。前に作ってもらったスポドリ味のやつ。あの味で飲みたい」
湊はしばらく考えてから、照明をつけ、スキルの使用回数表示を見やった。
回復と解毒はすでに使い切っているが、「麻痺」「病気」の欄には、まだ余裕がある。
「……ん。余ってるぶんなら、いいけど」
瞼が重い。
頭の中も、まだ完全には覚醒していない。
それでも、手のひらを胸の前に持ち上げると、いつものように光が集まり始めた。
「今日の川端は、冷たいスポドリ……」
そこまでは、覚えていた。
問題は、その先だ。
湊の意識のどこかで、「温かい飲み物しか飲めない」という川端のペナルティが、いつものように顔を出す。
温かいのに飲みやすいもの。
食事にも近くて、体に優しいもの。
そのイメージが、眠気にまぎれてスライドした。
「……あったかい……コンポタ」
ぽつりと、湊はつぶやいた。
自分で気づかないうちに、スポーツドリンクのイメージはどこかへ吹き飛んでいた。
掌に集まった光が、ひとつのカップに変わる。
立ちのぼる湯気と、ほんのり黄色い液体。
よく見ると、とろみのあるスープの中には、小さなコーンの粒がいくつも沈んでいた。
「……あれ?」
湊はそこでようやく、自分のミスに気づいた。
「ごめ。寝ぼけて、具入りのコーンポタージュに……」
「いや、もう作っちまったなら、試してみる」
川端がカップを受け取る。
表情には緊張が浮かんでいるが、引き返す気配はない。
「無理そうなら、すぐ吐けよ」
「ああ」
短いやり取りのあと、川端はカップを唇に傾けた。
とろりとしたスープが、喉を流れ落ちていく。
コーンの粒が、わずかに舌をかすった。
数秒の沈黙。
湊は、布団の上で体を起こしかけた姿勢のまま、息を詰めて見守った。
フードの中のルベルも、「キュル」と小さく鳴いて顔だけのぞかせる。
「……」
川端は、ゆっくりと目を開けた。
「普通に、うまい。ちゃんとコンポタだ」
その言葉に、湊の眠気が一気に覚めた。
「川端のペナルティって、“温かい飲み物しか摂取できない”だったよな。
これ、飲み物っていうより、ほぼスープなのに……」
「細けえことは、システムが決めるんだろ」
川端は、苦笑とも諦めともつかない表情を浮かべる。
「でも、少なくともこれはセーフらしい」
カップの底を見下ろしながら、ぽつりとつぶやいた。
湊は、自分の胸の奥が、ひやりと冷えるのを感じた。
ペナルティは、時間では消えない。
何度も聞いてきた言葉だ。
そのはずなのに。
コーンの粒が沈んだ黄色い液体が、静かに揺れている。
それは、「この世界のルール」に、かすかな例外が生まれた瞬間の証拠だった。




