第28話 第2階層ボス戦③
ころり、と。
その小さな球体が、床の上で一度だけ跳ねる。
湊は、その音に気づいた。
胸の奥で、さっきまで意識して避けていた選択肢が、ゆっくりと浮かび上がる。
まだ温存している一手がある。
川端のフレイム。
圭のテンパーチャー。
そして、ルベルの突撃。
ここまで出し惜しみしてきた切り札だ。
「湊!」
背中越しに、圭が叫ぶ。
額に汗を光らせ、息を荒げながら、それでも目だけは迷っていない。
「これ以上は、マジで危ねぇ。
テンパーチャー、そろそろ本気で使っていいか?」
川端も、ちらりと湊を見る。
川端も、ちらりと湊を見る。
いつもの軽口は引っ込めた、真面目な目だった。
黒い石の四腕リザードマンが、また一歩、こちらへ踏み込む。
縮められた足がぎこちなく石床をこすり、残りの足がそのぶんを補うように、重い音を立てる。
ゴリッ、と。
牛久の足元すれすれで、石の爪が床を抉った。
「っ――!」
牛久の顔から、さすがに血の気が引く。
ここで迷えば、本当に誰かが死ぬ。
湊は、唇を一度強く噛んでから、決めた。
「圭、川端。さっきのやつ――やろう」
湊の声に、圭が即座にうなずいた。
その隣で、川端も舌打ちしつつ、右手を前に出す。
「ったく、温存ってレベルじゃねえな……。
フレイム、いくぞ!」
川端の掌に、赤い火がぱっと灯る。
細く伸ばした炎の矢が、黒い石のリザードマンの胴体めがけて走った。
直撃。
だが、黒石の鱗はほとんど焦げ目すらつかない。
表面で火花が散っただけだ。
「ここからだって」
圭が一歩前に出る。
その瞳が、炎と黒石の境目をじっと見据えた。
「テンパーチャー――上げてくぜ!!」
川端の炎に重ねるように範囲を絞って圭が周囲の温度を操作してゆく。
空気が、きゅっと締まったように感じた。
川端の炎が、そこを起点に一気に温度を跳ね上げる。
色が変わる。赤から、白に近い眩い橙へ。
黒い石の表面が、じわじわと赤く染まっていく。
さっきまで熱を弾いていた鱗が、今は逆に、熱を抱え込みすぎてきしんでいた。
リザードマンが、低くうめき声を上げる。
四本の腕のうち、上側の一本が、反射的に胸元をかばうように動いた。
「今!」
湊が右手を銃の形に構え、床に丸まっていたルベルを撃つように指さす。
ころん、と転がっていた小さな赤い球体が、弾かれたように飛び出した。
一直線に、加熱された胸元へ。
甲羅と黒石がぶつかる瞬間、短い衝撃音が響いた。
パキン。
乾いた音とともに、赤熱した鱗に、はっきりとした亀裂が走った。
ルベルはそのまま跳ね返り、床を転がって湊の足元へ戻ってくる。
胸元のひび割れから、白い蒸気のようなものがぶわっと噴き出した。
黒い石のリザードマンが、初めてはっきりとした苦鳴を上げる。
そこが、確かに「通る」場所だ。
「……割れたな」
川端が息をのむ。
圭は肩で息をしながらも、口元だけで笑った。
「そっから先は、任せる」
湊はうなずき、ひびの入った一点を見据える。
亀裂から噴き出す白い蒸気が、視界をゆらした。
「今の、効いてる!」
湊の声に、黒いリザードマンが咆哮で答える。
四本の腕が一斉に振り上がり、怒りに任せて叩きつけてきた。
「圭、もう一回は無理だろ!?」
叩きつけてきた。
「圭、もう一回は無理だろ!?」
川端が叫ぶ。
圭はわずかに首を横に振った。
「さっきのが限界……でも、あそこはもう脆い。
削りゃ、必ず割れる」
「なら、通り道作るしかねぇな!」
川端が前に躍り出る。
フレイムを細く伸ばし、リザードマンの視線と腕を自分に引きつける。
「こっち見ろよデカブツ! 焦げんのが怖ぇか!?」
四本のうち二本が川端へ向く。
残り二本が、なおも全体を薙ぎ払うように振るわれた。
「牛久!」
柊が叫び、ムーヴを発動する。
一メートルだけ、牛久の位置が横へずれる。
かすめた石の拳が、彼の後ろの床を砕いた。
「助かった……けどよ、いつまでも避けてるだけじゃ――」
「分かってんだろ!」
風連が怒鳴る。
デブな体で短く踏み込み、リザードマンの足元を睨んだ。
風連が怒鳴る。
デブな体で短く踏み込み、リザードマンの足元を睨んだ。
「お前が通る道、俺らが無理矢理こじ開けんだよ!」
ワン・サードが再び唸る。
今度は、まだ無傷の足、一本。
重さと長さが三分の一になり、巨体がさらに不安定になる。
バランスを取ろうと、上半身がわずかに前へかがんだ。
「湊!」
圭が短く名を呼ぶ。
湊はうなずき、右手を前に突き出した。
「ルベル、もう一回! さっきの亀裂めがけて!」
「キュー!」
足元で丸まっていた赤い球が、弾丸のように飛び出す。
だが、今度はボスも学習していた。
短くなった右下の腕が、ルベルの進路を叩き潰そうと横薙ぎに振る。
「させるかよ!」
川端がフレイムをねじ込んだ。
腕と甲羅の間に炎を差し込み、一瞬だけ動きを鈍らせる。
その刹那、柊がムーヴでルベルの軌道を一メートルだけずらした。
炎をかすめて、赤く輝く甲羅が弧を描く。
狙いは、さっきテンパーチャーで焼き切られたひびの一点。
ぱきん、と乾いた音。
続けざまに、ばきばきばき、と嫌な音が胸郭全体に広がっていく。
黒い石の胸が、内側から割れた。
リザードマンが、かすれた悲鳴を上げる。
四本の腕がばらばらに暴れ、体勢を崩しながら後退しかけ――そこへ、風連の声が飛んだ。
「今しかねぇだろ、牛久!!」
牛久は、もう走り出していた。
丸腰の拳。
だが、目の前の黒石は、もはやただの壁じゃない。
ひび割れ、熱で脆くなった「倒すべき一点」だ。
「――うおおおおおッ!!」
雄叫びとともに、渾身のストレートが叩き込まれる。
拳が、亀裂にめり込んだ。
石が砕ける感触が、腕を通して伝わる。
痛みと同時に、確かな「手応え」。
割れた胸の内側から、黒い光がふっと漏れ――次の瞬間、四腕リザードマンの全身に、蜘蛛の巣状のヒビが走った。
「下がれ、牛久!!」
湊の叫びに、柊のムーヴが重なる。
一メートル後ろへ、強引に引きずり戻される。
直後、黒い巨体が、内側から爆ぜた。
砕けた黒石が、雨のように降り注ぐ。
圭のテンパーチャーで一度上げられた熱はもう抜けかけていて、破片はじりじりと温かい程度にまで落ちていた。
しばらくして、音が止む。
そこに立っていたのは、ひび割れた石の山と、六人と一体だけだった。
湊は息を整えながら、周囲を見渡す。
全員、生きている。
牛久は拳を押さえ、痛みに顔をしかめながら、それでもニヤリと笑った。
「な? 殴りゃ、勝てんだよ」
「最後だけな」
川端が呆れたように笑う。
やがて、ゆっくりと回転しながら湊の足下まで戻ってきたルベルがよじよじと身体を伝って肩に乗っかってくる。
その赤い甲羅をそっと撫でながら、湊は小さく息を吐く。
「……第二階層ボス、撃破、ってことでいいんだよね」
無機質な声が、それに答えた。
『第二階層ボスの撃破を確認。参加者六名、使役獣一体。
報酬のボーナスダイスを付与します』
空中に、淡い光の粒が現れる。
彼らにとっては、見慣れつつある、迷宮からの報酬と代償の合図だ。
まだ、戦いは続く。
けれど、とりあえず――この階層は、生きて抜けた。




