第27話 第二階層ボス戦②
先に動いたのは、ボスのほうだった。
黒い石の足が床を蹴る。
その巨体からは想像できない速度で、一直線に突っ込んできた。
「速っ――!」
川端の叫びと同時に、四本の腕がばらける。
右上の腕は真っ直ぐ振り下ろし、左上の腕は横薙ぎに。
下の二本は、防御と牽制に回るように、低い位置で構えられていた。
真正面から受ければ、六人まとめて石の破片になる。
「柊!」
湊が叫ぶより早く、柊が一歩踏み出していた。
「分かってる!」
彼の足元で、空気がわずかに歪む。
ムーヴの対象は、自分の足――一メートル先に、地面ごと「位置」をずらす感覚。
次の瞬間、柊の身体が一メートルだけ、横に「ずれた」。
振り下ろされた腕が、紙一重で空を切る。
石と石が擦れ合う嫌な音が、柊の耳元をかすめて通り過ぎた。
「っぶな……!」
掠れた声を上げた彼のすぐ後ろから、別の声が飛ぶ。
「今だろ、風連!」
川端の怒鳴り声。
視線の先では、突っ込んだ勢いのまま、ボスの一歩目の体重が完全に前に乗っている。
風連は、すでに動いていた。
「分かってる……つーの!」
太った体を前に出し、黒い石の足を睨みつける。
標的は腕ではない。まずは「土台」だ。
「ワン・サード――足だ!」
短く吐き出すように叫んだ瞬間、黒い石の片足が、きゅ、と縮んだ。
体積も重さも、そのまま三分の一へと圧縮される。
片足だけが異様に小さくなったことで、巨体のバランスが一気に崩れた。
どん、と鈍い音を立てて、ボスの身体が前に傾ぐ。
四本の腕が慌てて体勢を立て直そうと動くが、そこにまた声が飛ぶ。
「もう一回だ、風連! 今度は右下の腕!」
「うっせえ、言われなくても見えてんだよ!」
風連の視線が、右下の腕に吸い付く。
再び、ワン・サード。
今度は腕の長さが三分の一になる。
石の筋肉がぎちぎちと音を立て、アンバランスな四本の腕が、さらにちぐはぐな動きになった。
「おいおい、ガキの工作みてぇになってきたじゃねぇか」
川端が笑い混じりに吐き捨てる。
片足と一本の腕だけが不自然に短くなったことで、
黒いリザードマンのシルエットは、明らかに歪んでいた。
踏み込みのリーチも、同時に振れる角度も、さっきまでとは段違いに落ちている。
「柊、もう一発いける?」
湊の問いに、柊は肩で息をしながらも、口元だけで笑った。
「一メートルくらいなら、まだどうとでもなる」
そう言って、足場を確かめるようにもう一度踏み出す。
「こいつの正面、ズラす。
風連、次は上の腕、どっちか一本頼む。
川端は、隙見てカウンター。圭と牛久は、変な動きしたらすぐ下がれ!」
指示が飛ぶ。
ボスの圧倒的な存在感はそのままなのに、少しずつ「届かない場所」が増えていく。
黒い石のリザードマンが、くぐもった咆哮を上げた。
黄色い目が、明らかに苛立ちを帯びる。
その隙を、彼らは見逃さない。
足と腕を削られた黒い石のリザードマンは、それでも止まらなかった。
短くなった右下の腕が、床を殴りつける。
その反動で、巨体が横に滑った。
崩れたバランスを、力ずくでねじ伏せるような動きだ。
「まだそんな速さで動けんのかよ……!」
川端が舌打ちする。
風連のワン・サードでリーチは確かに削れているはずなのに、
「届かない」と油断した瞬間に石の拳が迫ってくる。
「牛久、前出すぎ!」
八千穂の叫びが飛ぶ。
だが、すでに牛久の体は前に出ていた。
「分かってる! 分かってるけどよ!」
牛久は素手のまま、黒い石の腕に向かって踏み込んだ。
拳を握りしめ、真正面からぶつける。
どん、と音がした。
牛久の拳と、ボスの腕と、その間の空気と、全部ひっくるめた重い衝突音。
「っぐ……!」
次の瞬間、牛久の表情が歪む。
拳は、まるで鉄柱を殴ったかのように弾き返されていた。
石の腕は、表面にわずかな白い線がついただけだ。
「牛久!」
湊の声とほぼ同時に、ボスの別の腕が振り上がる。
今度は反撃だ。
さっきまで届かなかったはずの間合いに、その拳は入り込んでくる。
「ムーヴ!」
柊が叫ぶ。
牛久の身体が、一メートルだけ後ろに「飛んだ」。
その直後、さっきまで牛久がいた空間を、石の拳が貫く。
床が砕け、黒い破片が四方に散った。
「何をやっている、死ぬとこだっただろうが!」
柊が息を荒げて怒鳴る。
牛久は、後ろに吹っ飛ばされた勢いのまま膝をつき、痛む拳を押さえた。
「分かってるって……! でも、前誰かが止めねえと――」
「止めるにしたって、素手はねぇだろ!」
川端がかぶせるように怒鳴る。
「お前がウィークポイントになってんだよ、今!」
その言葉に、牛久が歯を食いしばる。
悔しさと、分かっているからこその何も言えなさが、顔に出ていた。
その一瞬の隙を、ボスは逃さない。
崩れた床を踏み砕きながら、再び前進してくる。
四本の腕が、それぞれ別の方向を狙っていた。
湊と八千穂、川端と風連、柊と牛久。
ペアごとに分断するような軌道。
「ちょ――これ、さっきよりヤバくない!?」
八千穂の声が裏返る。
ワン・サードで削ったはずなのに、四本という数そのものが暴力になっていた。
「風連、これ以上削れるか!?」
「もう一発いけるけどよ……どこ削ったって、あの本数は残んだろ!」
風連の額には、汗がにじんでいる。
スキルの多用で、息も上がっていた。
柊も、ムーヴの連発で呼吸が荒い。
さっき牛久を飛ばした一発が、じわじわと足に来ていた。
「このままズルズル行ったら、じり貧どころじゃねえぞ!」
川端の声に、湊は唇をかんだ。
このまま小手先でいなしても、
いつか誰かが追いつかれ、叩き潰される。
武器なしの牛久は、その筆頭だ。
視界の端で、ルベルが小さく丸まり直す。
赤い甲羅が、薄い光を反射していた。




