第26話 第二階層ボス戦①
第二階層の最深部は、やはり石だった。
天井も壁も、黒ずんだ岩盤が四方から迫っている。湿り気はほとんどなく、代わりに、冷えた石の匂いが肺の奥まで入り込んでくる。
その中央だけがぽっかりと広く、丸く削られていた。そこがボス部屋の前室だ。
足を止めた東金湊は、正面の石扉を見上げる。人の身長の二倍はある巨大な扉には、トカゲともドラゴンともつかない爬虫類の紋様が浮き彫りにされていた。
黒い石の鱗。四本に分かれた腕。二つの黄色い目。
ここまでの道中で散々見てきた「石の犬」や「石の狼」とは、明らかに格が違う。
「石の犬、石の狼。んで次は石のリザードマンだったから。まぁ、リザードマン系もくると思はってたけど」
湊がぼそりとこぼすと、すぐ隣で直江柊が「だよな」と短くうなずいた。
髪を軽くかき上げ、彼もまた扉の紋様を睨みつける。
「黒い石のリザードマン、か。しかも腕が四本ある強化型って感じか。手数で押してくるタイプだろ、これ」
その少し後ろで、風連梓が小さく呟く。
ぽっちゃりとした体型の制服が、緊張でわずかに震えていた。
「速度が問題だな。四本腕すべてが第一階層ボス並みに速いなら、かなりきつい。
でも、ワン・サードで動きか体格を削れれば、話は変わる」
彼の落ち着いた声に、川端が苦笑を漏らした。
手にマグボトルを持ち、そこから立ちのぼる湯気を確かめるように目を細める。
「その前提で作戦立ててるからなあ。頼むぞ、風連。
俺、あんな四本腕に追いかけ回されたら、温かい飲み物どころじゃいられねえ」
六人の輪の少し外側で、八千穂圭がきゅっと拳を握りしめている。
第一階層ボスでは非戦闘員の護衛に回っていた少年は、今回は正式に前線メンバーとして加わっていた。
緊張はしているが、逃げ腰ではない。
「大丈夫、やれる。ここまでだって、何とかしてきたし」
八千穂の言葉にかぶせるように、背後から大きな声が飛ぶ。
「だからこそ! 俺も行くべきだと思うんだよなあ!」
振り向けば、牛久吾朗がそこにいた。
分厚い胸板と丸太のような腕。いかにも体育会系、といったゴツい体躯が、場違いなほど元気に胸を張っている。
「推奨人数六人なんだろ? だったら前衛は多いほうがいいじゃん。俺、足も腕も自信あるし、殴り合いなら負けねえよ」
「牛久。お前、まだ武器もスキルもないだろ」
柊が冷静に突っ込む。
事実を告げているだけの口調なのに、その一言は容赦がなかった。
「そ、それはそうだけどよ。殴るのは得意だし――」
「相手、石なんだよなあ」
川端が言葉を継ぐ。
「素手でいくの? 第二階層ボスに」
「……」
牛久が口をつぐむ。その横顔に、湊は小さくため息をつきかけて、飲み込んだ。
言いたいことは全員同じだが、頭ごなしに否定したくはない。
「延徳は?」
湊があえて話題を変えると、少し離れた場所で腕を組んでいた延徳龍太郎が、わざとらしく肩をすくめて見せた。
色黒のゴリマッチョは、どこか居心地悪そうに、しかし目だけは鋭く全体を見ている。
「俺は後ろだ。非戦闘員と待機エリアの守り。
ブラックスミスも使えるしな。前に出るより、武器を作ったほうが全体の戦力は上がるって話だ」
「本当は前に出たいんだろ?」
川端がニヤつきながらからかうと、延徳はわずかに顔をそむけた。
「……まあな。でも、誰かが後ろをやらなきゃなんねえし。
それに、前線に足りねえもんを補うのが、鍛冶屋の仕事だろ」
その言葉に、牛久がぐっと拳を握る。
さっきまで「俺も行く」と騒いでいた顔に、ほんの少しだけ迷いが走った。
風連が、そこで口を開く。
「ボス部屋には、湊、柊、川端、八千穂、俺、牛久の六人で入る。延徳は、後方で武器を創って非戦闘員を守る。
ルベルは人数外で同行。これが一番、全体の生存率が高いと思う」
さらりと告げられた結論に、全員の視線が集まる。
「……なんで、俺?」
牛久がうめくように問いかけると、風連は少しだけ目を細めた。
「単純な話だよ。お前、殴り合いしか取り柄がないだろ。あ、悪口じゃなくて、貴重なスペックだってこと。
スキル持ちもサポートも揃ってる中で、『とにかく前で殴れるやつ』は、一人必要なんだ」
「でも、俺、まだ――」
「だからこそ、だよ」
風連は石扉をちらりと見上げた。
「第二階層で丸腰だった経験は、後で必ず効いてくる。
延徳の武器がどれだけ助かるか、痛いほど分かるはずだからな」
牛久はしばらく黙っていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……チッ。分かったよ。行く。
どうせ止めても聞かねえんだろ、こういう時の湊らは」
「いや、止められたら止まるけど?」
湊が思わずツッコミを入れると、場の空気がわずかにほぐれた。
弾むような動きに、湊は右手をそっと銃の形に構えた。
「よし。じゃあ、行こうか」
石扉の前に六人が並ぶ。背後では延徳が腕を組み、何かあればすぐにでも武器を創れるように構えている。
この先に待つのは、黒い石の四腕リザードマン。
まだ浅い階層のボスのはずなのに、扉の向こうから伝わってくる圧力は、第一階層とは比べものにならなかった。
それでも、湊は一歩、前に出る。
迷宮アナウンスが、無機質な声で鳴り響いた。
『第二階層ボス部屋への入室を確認。参加者六名、使役獣一体。
推奨人数内。条件を満たしています』
石扉が、低い音を立てて開きはじめた。
中は、広い。
天井は高く、闇に溶けて輪郭が見えない。足元だけが、冷たい黒石に照らされていた。
床も壁も、第一階層よりさらに色が暗い。
まるで、煤でも練り込んだみたいな黒だ。
六人と、湊の足元で丸まるルベルが、一歩、また一歩と中へ足を踏み入れる。
扉が背後で閉まる音が響き、その余韻が消える前に、それは動いた。
部屋の奥。
岩と同化していた「何か」が、ぬるりと形を変える。
最初に見えたのは、黄色い光だった。
ぽつり、ぽつりと二つ。闇のなかでゆっくり瞬いて、やがて細くすがめられる。
「……目、かよ」
川端が小さく吐き捨てる。
黒い石が、ひび割れるような音を立ててせり上がった。
そこに浮かび上がった輪郭は、細長い頭蓋。トカゲのように伸びた口。
その口元から、ざらついた石の舌が、一瞬だけのぞく。
首が持ち上がるたびに、肩口から石の欠片がぱらぱらと落ちる。
肩の両側からは、太い腕が二本。
さらにその下、腰のあたりから、もう二本。
四本の腕が、同時に握りしめられた。
指の一本一本まで、黒い石。なのに、関節の動きは生き物と変わらない。
「……おいおい。石像のくせに、やけに滑らかじゃねーか」
風連が、低くつぶやく。
デブな体格のわりに、その目だけは鋭く細まっていた。
黒い石のリザードマンは、完全に立ち上がった。
身長は、柊の倍近い。
四本の腕が、四方向にゆっくりと開かれる。その動きだけで、空気がざらついた。
「圧、やべーな……」
八千穂が、ごくりと喉を鳴らす。
湊は、自分の手のひらににじむ汗を感じながら、右手をそっと銃の形に構えた。
視界の端で、柊が一歩前に出る。
足場を確かめるように、石の床を軽く蹴った。
「ムーヴの間合いは、いつもどおり一メートル。
近づきすぎたら、即死コースだな。腕、四本だし」
「ワン・サードでどうにかならなきゃ、マジで詰みだろこれ」
風連が鼻で笑う。
その直後、ボスの足が、どん、と床を踏み鳴らした。
音が、遅れて胸に響く。
四本の腕が、同時に構えを変えた。
迷宮アナウンスの、無機質な声が頭上から落ちてくる。
『第二階層ボス、〈オブシディアン・リザード〉との戦闘を開始します』
湊は、息を短く吸い込んだ。
「――行くよ、ルベル」
足元で丸まっていた赤いアーマディールが、ぱん、と弾けるように転がり出た。




