第23話 部屋前の攻防
湊と圭の二人がはじめて女性用の下着を着けているちょうどその頃。
木古内の創り出したサニタリーゾーンの前の通路には、「使用中」の札が揺れていた。
その札を、やたら熱心に見つめている影が二つある。
「……なあ、二階堂」
眼鏡の奥で目を細めながら、マッシュルームカットの長井正臣がささやいた。
「これさあ、行くだけタダじゃね?」
「お前、声ちっちゃいくせに言ってることは一番ヤバいな」
坊主頭で中肉中背の二階堂太賀が、口の端をにやりと持ち上げる。
「でもまあ、分かる。分かるぞ」
サニタリーの中には、今、女体化済みの二人がいる。
東金湊と、八千穂圭。
男子校ダンジョンに突如生まれた「女子枠」が、二人まとめてスポブラ試着中という、男子校的には事件級のシチュエーションだ。
「柊たちが見張ってるうちに、ちょっと位置取り確認だけでも」
「お前、『位置取り確認』って言い方がもうアウトだろ」
二階堂はそう言いつつも、足はサニタリーの方に向いている。
ムッツリは、理性ではなく本能と打算で動く生き物だ。
その前に、ひょい、と細い影が立ちふさがった。
「ストップ」
直江柊が、背筋を伸ばしたまま二人の前に片手を出した。
細身だが、目が笑っていない。
「どこに行くつもりだ?」
「いやいやいや」
二階堂が、あからさまに視線をそらす。
「ちょっと通りかかっただけっすよ、直江センセ」
「誰が先生だ」
柊はため息をひとつ吐いた。
その横には、腕を組んだ川端も立っている。
「お前らの顔見りゃ分かるんだよ、『ちょっと』の中身が」
「偏見だなー。俺ら、そんなに信用ない?」
「ない」
即答だった。
そこに、ふわふわとしたもう一つの影が加わる。
湊のフードから抜け出してきたルベルが、廊下の床を小さく転がってきて、三人の間にちょこんと陣取った。
「キュッ」
「まだだルベル、慌てんな!」
川端がさっとルベルの前に手を出した。
「こいつ、パナシーアの味覚えてんだよ。お前ら変なことしたら、たぶん湊に告げ口するからな」
「モンスターに忠犬属性ついてんの、どういうダンジョン設定だよ」
二階堂がぼやいた。
長井は、眼鏡を押し上げながら、なおも未練がましくサニタリーのドアを見つめている。
「いや、でもさ。男子校生活ずっとやってきて、こんなイベント一生に一回あるかないかじゃん? 研究って大事だと思うんだよね、俺」
「何の研究だよ」
「男子校生の精神衛生的な」
「悪化させに行ってんだろ、それ」
柊が、じとっとした目を向ける。
「いいか。あそこにいるの、今は女だからな?」
「だからこそ……」
「だからこそ、じゃない」
柊の声が、少しだけ鋭くなる。
「湊も八千穂も、これから前で戦うんだぞ。そこで変な目で見られたら、普通にやりにくいだろ」
男子校生の本音が、思わず口から漏れる。
「頭では『やっちゃダメ』って分かってんのに、足がな……」
「足に責任転嫁するな」
柊のツッコミが鋭い。
長井は、なおも迷うようにサニタリーのドアの方を見ていたが、やがて観念したように肩を落とした。
「……せめてさ」
「まだ何かあるの?」
「音だけ」
「却下」
「扉の前に座って、何も見ないで、ただそこに『いる』って事実を噛みしめるだけ」
「それも却下」
「お前らがそこに座ってるの、どう見ても不審者だからな」
ルベルがころりと転がって、長井の足の前に止まる。
短い前足でペシリ、と靴先を叩いた。
「キュ!」
「あの、何この生き物。なんで俺にだけちょっかい出してくんの」
「たぶん、さっきから一番ガチな顔してるの見抜かれてんだろ」
川端が苦笑する。
「ほら、ルベル。こっち」
呼ぶと、ルベルは素直に川端の方へ転がってきた。
だが、それでも時々ちらちらと長井と二階堂の方を振り向く。
そのたびに、小さな声で「キュ」と鳴く。
まるで、「だめ」と言っているように。
「……湊、あいつに何教え込んでんだよ」
二階堂がぼそっとつぶやく。
「甘やかしすぎなんじゃねーの」
「それは否定できないけど」
川端は、どこか誇らしげでもあった。
「でもな。パナシーアの味、あいつすっかり気に入ってんだよ。湊に変なことされたら、絶対『楽しい味』減るって気づいてんだろ」
「食い物のために風紀守ってるモンスターとか、新しすぎるわ」
柊が、ふっと笑った。
その時、サニタリーの扉の向こうで、かすかな衣擦れの音がした。
長井と二階堂の首が、一瞬だけ反射でそちらを向く。
すかさず、柊と川端とルベルのトリオが視線を遮る位置に動いた。
「前見ろ前」
「はいはい、前向いて深呼吸なー」
「キュッ」
三方向からの圧に、さすがのムッツリ二人も、観念したように顔をそむける。
「……お前らさ」
二階堂が、ぽつりと言った。
「こういうときだけ、連携よすぎじゃね?」
灰色のパーカー姿の湊と、金髪ジャージの圭が、ほぼ同時に出てくる。
二人とも、変わったのは中身だけで、外見はほとんどさっきと変わらない。
でも、足取りは少しだけ軽くなっていた。
胸元を気にして押さえる仕草も、だいぶ減っている。
「ただいま」
湊がそう言うと、川端が片手を挙げた。
「おかえり。どうだ、具合?」
「動きやすい」
湊が短く答える。
圭も、肩をぐるぐる回しながら満足げにうなずいた。
「これは当たり装備だわ。加島、マジでナイス」
「でしょー?」
加島がどこからともなく現れて、ドヤ顔を決める。
長井と二階堂は、ほんの一瞬だけ湊と圭に視線を向けて、すぐにそらした。
その顔には、「見たい」と「見ない方がいい」が綱引きしている気まずさが浮かんでいる。
柊が、そんな二人を横目で見て、少しだけ口元をゆるめた。
「……ちゃんと我慢できたな」
「そこは褒めてくれていい」
二階堂が、どこか疲れた声で言う。
「男子校生的には、けっこう大仕事だったんだぞ、これ」
長井もうなずいた。
「ルベルににらまれながらな」
「キュッ」
ルベルが、満足げに一声あげる。
男子校ダンジョンの片隅で起きた、小さな攻防。
それはきっと、これからも続く「女子参入後の距離感調整」の、最初の一歩だった。




