第22話 試着
木古内が作ってくれた「サニタリーゾーン」は、ダンジョンの中とは思えないくらい落ち着いた空間だった。
パネルで仕切られた小部屋がいくつか並び、その奥に少し広い共有スペースがある。
さらに、一番奥に、壁で囲まれた一回り大きな個室がいくつかあり、それから目隠しになるパーティション付きの着替えスペースがある。男子校時代なら「ここは女子用かな」と思いそうな設備が、一箇所にぎゅっと詰まっている。
いま、その入口には「使用中」と書かれた札がぶら下がっていた。
「じゃ、行くか」
圭が、片手に下着セットの箱を持ちながら言う。
俺も自分用に選んだスポブラとショーツのセットを抱えて、そのあとをついていった。
背後からは、男子たちの好奇と気遣いが混じった視線を、ひしひしと感じる。
「中、覗いたら殺すからなー」
圭が振り返りざまにさらっと言うと、「誰が覗くか!」というツッコミと笑い声が返ってきた。
サニタリーゾーンの扉を閉めると、外の喧騒が少し遠のく。
圭が、ふうっと息を吐いた。
「……ふう。こっから先は、女子更衣室ってことで」
「言い方」
でも、そう言われると、少しだけ気持ちが切り替わる。
木古内が気を利かせてくれたのか、着替えスペースにはちゃんとカーテン付きの小さなブースが二つ並んでいた。
「どっち入る?」
「どっちでも」
「じゃ、こっちね」
圭が右側のカーテンをしゃっと開けて、中にスポブラの箱を置いた。
俺も、反対側に入る。
カーテンを閉めると、そこは畳一畳分くらいの、狭いけれど自分だけの空間だった。
天井の明かりが、スポブラの生地を柔らかく照らす。
黒地に、グレーのラインが入ったシンプルなデザイン。
触ってみると、生地はしっかりしているけれど、固すぎない。
胸の部分には薄いパッドが入っていて、ゴムは厚めだ。
「湊、サイズ合いそう?」
カーテン越しに、圭の声がする。
「たぶん……」
自分の胸元を押さえて、スポブラを重ねてみる。
この世界に来てから、ずっと意識してしまうようになった膨らみ。
服越しに見るだけでも、自分が「男子じゃない」ことを実感させられる場所。
「うん」
圭の言葉に合わせて、パーカーの裾をつかむ。
木古内がこのスペースを作ってくれていなかったら、こんなふうに落ち着いて脱ぐこともできなかっただろう。
男子たちの視線を気にしながらジャージを脱ぐなんて、想像しただけで無理だ。
ここは、扉とカーテンと、木古内の気遣いで守られた小さな島だ。
パーカーを脱ぎ、いままでの簡易ブラ代わりのタオルを外すと、ひやりとした空気が胸元に触れた。
元に触れた。
「……」
鏡はないけれど、自分の体のラインは、手のひらが覚えてしまっている。
深呼吸をひとつしてから、スポブラに腕を通した。
慣れない動きで少しもたつきながら、肩ひもを引き上げ、背中側のゴムをぐいっと下ろす。
胸を手でおさえて、下から生地を持ち上げるようにして、位置を整える。
ぴたり、と収まった瞬間、今までとの違いがはっきり分かった。
「……あ、これ」
思わず声が漏れる。
カーテンの向こうから、圭の声がした。
「どう?」
「なんか……全然違う」
胸が動かない、というわけではない。
けれど、今までみたいに「布一枚で何とかしてます」みたいな心もとない感じがない。
全体を包まれて支えられている安心感がある。
ジャンプしてみたら、揺れ方もだいぶ抑えられそうだ。
「さすがダンジョンクオリティって感じだな」
圭の方からも、小さく感心したような声がする。
「こっちもいい感じ。これなら走り回ってもイケるわ」
「圭、そのサイズでもちゃんと支えられてる?」
「支えてくれないと困る」
どこかおかしそうに笑っている。
圭の方のスポブラは、きっと俺より一回りも二回りも大きいサイズだ。
それをちゃんと受け止めているのなら、この装備は本当に「当たり」なのだろう。
ショーツも、さくっと履き替える。
こちらも、余計な装飾はなく、ウエストゴムは太めで、足さばきの邪魔にならなそうだった。
服を脱いでいるというより、「戦闘用インナーに着替えている」という感覚の方が近い。
「湊」
「なに」
「ちょっとだけ、カーテン開けて、シルエットだけ見せ合わね?」
「シルエットだけって何」
「ほら、サイズ合ってるかどうか、外側から見ないと分かりにくいところあるし。胸の位置とか、ストラップ食い込んでないかとか。女兄弟チェック的な」
女兄弟チェックという単語が、妙に説得力を持っている。
たしかに、自分一人では気づかないバランスの悪さもありそうだ。
「……じゃ、上だけ」
「了解」
お互い、パーカーやジャージはまだ着ていない。
スポブラとショーツだけの状態で、カーテンを指二本分くらい、そっと開ける。
目線より上で。
互いの首から下、肩から胸のラインだけが、カーテンの隙間に重なった。
「おー……」
圭が、素直な声を出す。
「湊、そのサイズでその形なら、これで正解だわ。ちゃんと支えられてる」
「圭は……」
言いかけて、言葉に詰まった。
金髪をまとめて後ろに払った圭の肩。
スポブラに収まっているけれど、それでもはっきり分かるボリューム。
さっきまでジャージに押し上げられていたラインが、今はしっかりとホールドされている。
スポブラの黒い生地が、圭の胸にぴたりと沿っていた。
「……すごいな」
「感想が雑」
「いや、ちゃんと支えてるなって意味で」
「だろ?」
圭は、自分の肩ひもを指でつまみながら、位置を微調整している。
「これなら、テンパーチャーで前に出ても、胸のことそこまで気にしなくて済みそう」
それはたぶん、俺も同じだ。
パナシーアで走り回るとき、ずっと意識のどこかで「変な揺れ方してないか」を気にしていた。
このスポブラなら、その分、戦闘と回復に集中できる。
「よし。確認終わり」
圭が、ぱんと手を叩く音がした。
「一回閉めよ。これ以上やると、なんか変な気分になってくる」
「同意」
同時に、カーテンを閉じる。
その布一枚が、男子時代との距離感まで仕切ってくれている気がした。
パーカーを着直す。
スポブラ越しの胸は、さっきよりも形が整っていて、揺れも少ないはずだ。
でも、見た目には大きな違いはない。
男たちの前に出ても、今まで以上に意識されることは、たぶんない。
それでいい。
「湊」
カーテンの向こうから、圭の声がする。
「なんかあったら、遠慮なく言えよ」
「何が」
「うん。こっちも、何かあったら言う」
「よし。じゃ、男子共の待つ世界に戻りますか」
圭が、軽く息を吐いてから言う。
サニタリーゾーンの扉の向こうには、いつもの男子校の空気が待っている。
でも、その前に。
スポブラとショーツという、ちゃんとした「装備」を手に入れた。
それは、女体化というペナルティの中で、自分たちが取り戻した、ささやかな安心だった。




