第17話 味を占める
視界がぐにゃりと歪んで、足元の感覚が一瞬だけ消えた。
転送独特のふわっとした浮遊感が引いていくと、次の階層の空気が肺に入り込んでくる。さっきのボス部屋より、ほんの少し湿っていて、ひんやりしていた。
「これが第二階層」
「……着いた、か」
周囲を見回す。
岩肌むき出しの通路は続いているけれど、第一階層よりは少しだけ整っている気がする。壁の苔が均一に生えていて、足元の石畳も割とフラットだ。
俺は、灰色のパーカーの裾をぎゅっと握った。
石切がダイスで引き当てた「装備」という名のこの服は、少なくとも今までのジャージよりはずっと動きやすい。黒いショートパンツも、最初こそ抵抗があったが、布の量のわりに不思議と安心感がある。
なにより――パーカーのフードが深くて、なんとなく落ち着く。
「隊列はさっきと同じでいいなー!」
前の方で誰かが声を上げ、クラスがざわざわと動き出す。
前衛組が前に出て、スキル持ちがその後ろ。俺は例によって、後衛寄りの列の中ほどに収まった。直江が、当然の顔で隣に立つ。
「さっきよりはマシな敵だといいな」
「フラグ立てるなよ」
そんな会話を交わした直後だった。
突然、斧を振り回しながら襲い掛かってくる人型の魔物。それはリザードマンのような姿をしていたが、第一階層と同様に石で出来た硬い身体を持っていた。
「石のリザードマン。また石シリーズかよ!」
片手斧を振り上げて突っ込んで来る石のリザードマンを避けた柊は、すれ違いざまにリザードマンのボディーへ向けてパンチを繰り出し、そのインパクトの瞬間に拳の威力を『ムーヴ』で移動させ、より深く突き込む。
胸の中心からひび割れて崩れ落ちるリザードマン。
「前の階層の時から思ってたけどよぉ、お前、よくそんなトリッキーな能力実践で使えるよな。なんか、戦い慣れてるってゆーか。いくら空手部っつっても限度があるだろうが」
その様子を見ていた川端が、ふと声をかける。
「あぁ、柊の家は古武術の道場やってるしね。小さい頃からお爺さんに色々仕込まれてるみたい」
「それでか、どおりで強いと思ってたんだ。そんなん俺なら自慢してるけどなー」
風連がそう言いながら、よたよたと早歩きでよって来る
「別に、わざわざ語る程のことでもないからな」
ふと、通路の奥からカツン、と硬いものが石畳を跳ねる音がした。
「ん?」
足元を見下ろすと、何か小さな球体が、通路の影から転がり出てきていた。
テニスボールくらいの大きさ。真っ赤な、つるりとした球体――に見えたそれは、よく目を凝らすと、ごつごつとした鱗のような外甲で覆われている。
ちいさく「キュ」と鳴いた。
「うわ、何だあれ」
「敵か?」
前衛組が身構える。拳を向けるように動いた瞬間、その赤い球体はビクリと震え、あわてたようにコロコロと後ずさった。
その動きに合わせて、球体の一部がわずかに開き、内側の肌色の部分がのぞく。
アルマジロみたいな小さい前足。丸まった体の隙間から、黒いクリクリとしたつぶらな瞳がこちらの様子をうかがっていた。
さっきのボスと比べるのも馬鹿らしくなるくらい、ちっこい。
けれど、その赤い外甲の表面には、細かいひびと擦り傷が走っていた。ところどころ、乾いた黒い血の跡がこびりついている。
「……怪我、してる?」
思わず独り言が漏れた。
その瞬間、胸の奥で、さっきのアナウンスがよみがえる。
『一部モンスターが、対象ユニット・東金湊に対して限定的な友好行動を優先するものです』
対象ユニット。東金湊。
いやいや、と首を振る。そんな分かりやすく出るか?
赤い球体は、前衛の剣先を警戒しながら、ころころと少しずつ俺の方へと転がってきた。距離が縮まるごとに、震え方が激しくなる。
怖いなら出てこなければいいのに、と一瞬思う。でも、怖くても出てこざるをえない理由があるとしたら。
――痛い、とか。
――しんどい、とか。
そういうのは、もう何度も見てきた。
「湊、近づくな。敵かもしんねーぞ」
前から声が飛ぶ。
俺は、パーカーのフードの紐を指でいじりながら、一歩だけ前に出た。
「……ちょっと見るだけ。変なの来たら、すぐ下がるから」
リーダー格が舌打ちする気配がしたが、止める声はそれ以上飛んでこなかった。たぶん、ボス戦での回復の恩と、さっきダイスを振った件が、ぎりぎりの信用ラインになっている。
しゃがみこんで、赤い球体と目線を合わせる。
近くで見ると、傷は思ったより深かった。表面のひびの隙間から、じわりと黒っぽい体液がにじんでいる。
「……痛そうだな、お前」
教卓を拭く雑巾を絞るときの、あの加減を思い出す。強く握りすぎると水が飛び散る。優しすぎると汚れが落ちない。
指先で、赤い外甲の一部をそっと撫でた。
硬い。けれど、さっき触ったダイスの冷たさとは違う。体温が、ちゃんとある。
「キュ……」
か細い鳴き声が、ひとつ。
球体だった体が、少しずつほどけていく。短い四肢がのびて、アルマジロみたいな姿があらわになった。背中の外甲はやっぱり真っ赤で、その色の鮮やかさが、逆に痛々しい。
これは、たぶん――特殊な個体なのだろう。
「湊、危なくなったらすぐ下がれよ」
背後から、直江の声が飛ぶ。
「うん」
短く返事をしてから、俺は自分のスキルウィンドウを開いた。
パナシーア。
さっきのボス戦で、何度も何度も使った、万能回復薬のスキル。
本当に「万能」なのかはさておき、少なくともこれまで、人間相手にはよく効いてくれている。
モンスターにも効くのかどうかは、わからない。
でも、試さずに見捨てるほど、俺は器用じゃない。
「……ちょっと、もったいないけど」
使える残量をざっと確認する。ギリギリカツカツではあるが、「絶対に次の戦闘で足りなくなる」ほどでもない。これ一回分くらいなら、どうにかなるはずだ。
パナシーアを一つ、手のひらに呼び出す。淡い光とともに現れた小瓶を、赤いアルマジロの前にそっと置いた。
「これ、飲める?」
通じるわけない問いかけをしながら、瓶の栓を抜く。
甘いような薬っぽいような匂いが、ふわりと立ちのぼった。
赤い小さな鼻が、くんくんと動く。
次の瞬間。
「キュッ!」
さっきまでのおどおどした様子が嘘みたいに、勢いよく顔を突っ込んできた。小さな舌がちろちろと動いて、パナシーアをなめとっていく。
「……気に入ったらしいな」
直江のぼそっとした感想が、背中越しに聞こえた。
「おい、もったいなくねーか、それ!」
「パナシーア、俺らでもそんなぽんぽん使ってもらえないのに!」
後ろから、クラスメイトたちの抗議とも冗談ともつかない声が飛んでくる。
それでも、誰も本気で止めには来ない。
もしかしたら、みんなもどこかで同じことを思っているのかもしれない。
――目の前で痛がってるやつを、見捨てるのは、後味が悪い。
薬を飲み終わった赤いアルマジロのような魔物は、しばらくその場でじっとしていたが、やがて傷口の体液のにじみがゆっくりと引いていくのが見えた。
ひび割れていた外甲が、少しずつ滑らかさを取り戻していく。
「……効いてる?」
思わずそう呟いた瞬間だった。
赤い魔物が、ぴょん、とその場で跳ねた。
そのまま、俺の方に向かって一直線に突進――してきたかと思うと、ぎりぎりのところで体をくるんと丸めて、勢いを殺し、俺の胸元にふわっと当たって止まる。
「うわっ」
よろけながら、反射的に両手で抱え込んだ。
硬い外甲なのに、不思議と痛くはない。体温が、ダイレクトに伝わってくる。
「キュッ、キュキュ!」
やたらとテンションの高い鳴き声が、耳の近くで連発された。
どうやら元気になったらしい。
それだけならいいのだが。
「……あの、もういいよ? 離れて大丈夫だよ?」
そう言ってそっと床に下ろそうとしても、赤いアルマジロのような魔物は外甲と短い前足でパーカーの生地をがっちりつかんで離れない。
そのまま、ずりずりとよじ登るような動きで、俺の肩まで上がってくる。
「ちょ、ちょっと待って……!」
慌てて押さえようとしたところで、そいつはさらに体を丸め、俺の頭の後ろ――パーカーのフードの中に、ころんと転がり込んだ。
フードが、ずしりと重くなる。
「…………」
思わず固まる。
背中側の布越しに、硬いはずなのに妙に安心感のある重量感がぴったりとおさまっていた。中で小さく体勢を整える気配がして、そのあと、満足そうな「キュ」と一声。
完全に、そこで落ち着くつもりらしい。
「おい湊」
直江が、堪えきれないと言わんばかりに口元をひくつかせている。
「……フード、なんか入ってるぞ」
「見れば分かるわ!」
背中側に手を回そうにも、フードの中身が器用に逃げるせいで、うまくつかめない。
クラスの前方から、半笑い混じりの声が飛んだ。
「その赤いの、さっきまで敵だったやつだよな?」 「いや、敵かどうかも怪しいけど……」
誰かがぼそっと付け足す。
「たぶん、それが『友好モンスター』ってやつなんだろ」
その言葉に、妙に納得がいってしまった。
さっきのアナウンス。俺限定の友好フラグ。パナシーアの味を覚えたらしいテンションの高さ。
全部を足し合わせると、結論はひとつになる。
「……お前なあ」
どうにか首をひねってフードの中をのぞき込むと、赤いアルマジロがきゅるんとした目でこちらを見上げてきた。
その目には、「ここ、気に入った」という意思表示しか見えない。
きび団子につられたお供の動物のように見えてしまったのは、きっと俺の被害妄想だ。
――いや、違うな。
あいつ、多分そのうち、本当に「おかわり」してくる。
パナシーアの味を、完全に覚えてしまった顔をしている。
「……名前、どうする?」
直江が、小声で訊いてきた。
名前。
そう言われてみれば、こいつを「おい」とか「赤いの」とか呼ぶのも、そのうち限界が来る気がする。
真っ赤な外甲。助けた縁。フードの中での落ち着きっぷり。
口の中で、いくつかの単語が転がる。
「……ルベル」
「ん?」
「赤って意味。なんか、そんな感じがした」
自分でも少し気恥ずかしくなりながらも、そう口にしてみる。
フードの中で、ルベルが小さく身じろぎした。
次の瞬間。
「キュッ!」
さっきのどの鳴き声よりも元気な返事が、背中越しに響いた。
パーカーの生地越しに、小さな額が「こつん」と当たる。
「……爆懐きじゃん」
風連が、苦笑混じりに言う。
俺は、ため息をひとつついてから、フードの中にそっと指先を差し入れた。
硬い外甲を、軽くひとなで。
「よろしくな、ルベル」
その言葉に、もう一度「キュッ」と返事が返ってきた。
こうして俺は、いつの間にか「女体化した回復役」から、「女体化した回復役兼、フードに赤い何かを飼っているやつ」にクラスチェンジしてしまったらしい。
パナシーアの残量と、これからの面倒ごとを思って、頭が痛くなる。
それでも、背中の重みは、不思議と嫌ではなかった。
◎アーマディール
小型のアルマジロに似た魔物。丸くなるとテニスボール程のサイズになり、高速回転したまま弾丸のように敵に突進し撃破する戦法を得意とし、その外甲は非常に防御力を有しており、生半可な攻撃力ではキズ一つ付けることが出来ない。
※ルベルは、これの特殊個体(赤い外甲)




