第14話 第一階層ボス戦
最初に聞こえたのは、石が砕ける音だった。
八千穂 圭に待機エリアの守りを任せ、スキル持ちの4人は階層ボス撃破の為にボス部屋へと突入した。
円形の広間の中央。
床の割れ目から、灰色の何かがゆっくりとせり上がってくる。
最初は柱かと思ったそれが、ぬるりと曲がり、天井近くまで持ち上がった。
「……蛇?」
誰かのつぶやきが、震えて広がる。
石と金属が混ざったような鱗が、松明の光を鈍く反射する。
黄土色の瞳が、ぎょろりとこちらを見下ろした。
「毒、持ってそうだな、あれ」
湊の隣で、直江 柊が低くつぶやく。
手には何も持っていないのに、肩の線はいつでも飛び出せるように張りつめていた。
「前衛、俺と直江。風連、援護。東金は後ろで構えとけ」
川端が右腕を軽く振ると、指先に赤い火が灯る。
炎の紋様が肩から肘に走り、空気がじりじりと熱を帯びた。
蛇の頭が、音もなくこちらへと滑ってくる。
次の瞬間、石床を抉るような勢いで噛みつきが突き出された。
「ムーヴ」
柊がほとんど呟くように言った瞬間、一颯の体がふっと一メートルほど横にずれる。
さっきまでいた場所を、蛇の顎がえぐり取った。
「助かった。ナイス」
川端は振り向きもせず、突き出された牙の根元めがけて炎を叩き込む。
「フレイム!」
轟音とともに、蛇の頭部が炎に包まれた。
焼けた鱗の隙間から、どろりとした黒い液体が滴る。
「いってえなおい……硬っ」
川端が舌打ちするのと同時に、蛇の尾が横薙ぎに振り抜かれた。
空気が鳴り、前衛ごと床が砕ける。
「速度、三分の一!」
風連 梓が手を突き出す。
尾の動きが、途中で妙に重たくなり、そのまま床を撫でるような軌道に変わった。
「助かった!」
かすめた石片が頬を切る。
川端の頬に赤い線が走り、じわりと血が滲んだ。
「み、湊!」
後方で見ていたクラスメイトが湊の肩を押す。
湊は喉がからからになるのを感じながら、川端へと駆け寄った。
「パナシーア……!」
手のひらに集めた光が、小さな瓶の形に固まる。
少々乱暴ではあるが、そのまま中身を川端の頬にかける。
ジュ、と微かな音がして、傷口がみるみる塞がっていく。
「……マジで便利だなお前の、それ」
痛みが引いたのを確かめてから、川端はにやりと笑う。
「便利で済ませないでくれよ……っ」
湊が抗議しかけたそのとき、蛇の喉元が不気味に膨らんだ。
「来る!」
柊の叫びと同時に、黒緑色の霧が前方に吐き出される。
床に落ちた瞬間、石がじりじりと溶け始めた。
「毒ガス!? やべ、全部吸ったら死ぬって!」
「東金、下がれ!」
川端が湊の腕を掴むのと、柊が「ムーヴ」と呟いて湊の体を一メートル後ろへ飛ばすのは同時だった。
「風連! 霧の広がり、三分の一にできるか?」
川端の声に、風連が歯を食いしばる。
「……やってみる!」
手をかざすと、黒緑の霧の広がりがぴたりと鈍る。
床を這う毒の速度が、目に見えて遅くなった。
「今のうちに、頭落とす!」
炎が再び渦を巻く。
柊が一メートルずつ位置をずらして死角を作り、梓が尾と石柱の動きを鈍らせる。
その真ん中で、湊は震える手で次の瓶を作っていた。
誰かが倒れたら、すぐに駆け寄れるように。
この世界で、クラス全員を生かすための命綱として。
石蛇の体が、広間をぐるりと一周するようにのたうった。
砕けた床の破片が宙を舞い、毒の霧がまだところどころに残っている。
「っくそ、しぶといな……!」
川端の息が荒い。
右腕を覆う炎の紋様はさっきよりも濃く、赤からほとんど白に近い色へと変わっていた。
使いすぎだ、と湊は見ただけで分かる。
「川端、もう限界だろ」
柊が低く言う。
蛇の首筋を見上げたまま、足さばきは止めない。
「黙ってろ。どうせ、あと一発だ」
川端は笑ってみせたが、足元がふらついた。
その瞬間、蛇の頭が高く持ち上がる。
「来るぞ!」
黄土色の瞳に、赤い光が走る。
さっきの毒霧とは違う、純粋な質量のある一撃だと、誰もが直感した。
「風連!」
「分かってる!」
風連が手を突き出す。
巨大な頭部が振り下ろされる直前、その速度が目に見えて鈍った。
「速度、三分の一……!」
だが、遅くなったとはいえ、当たれば終わりの威力だ。
「川端、こっちに――」
「ムーヴ!」
柊が叫ぶと同時に、一颯の体が一メートルだけ横に跳ぶ。
だが今度は、完全には避け切れなかった。
かすめた石片が、川端の脇腹を抉る。
「っ……!」
血が飛び散り、燃え上がっていた炎が一瞬かき消えた。
「川端!」
湊の声が裏返る。
足が勝手に前へ出ていた。
毒霧の残り香が鼻を刺すのも構わず、川端のもとへ駆け寄る。
「触るな、火、熱い……っ」
「いいから!」
一瞬で回復薬を生成すると、湊は震える手で、川端の脇腹に直接かける。
皮膚が焼けたような熱さが指先に刺さる。
「パナシーア!」
やわらかな淡い光が傷口と焦げた皮膚を包む。
肉が再生し、裂けた制服の下で血が引いていく。
「……マジで、反則だろ、それ……」
痛みが引き、かすれた笑いが漏れる。
「反則でいいから、死なないで……!」
湊の声が、ほとんど悲鳴だった。
その頭上を、再び蛇の影が覆う。
巨大な首が、今度は湊ごと川端を叩き潰そうとしていた。
「湊!」
柊の叫びと同時に、世界が一度だけずれた。
視界が揺れ、足元の感覚が一瞬浮く。
「……っ!」
気づいたときには、湊はさっきより一メートル後ろに立っていた。
自分の目の前を、蛇の顎が通り過ぎていく。
「一メートルで足りるかどうかは、お前次第だ」
柊の声が、落ち着いたまま耳に届く。
「……次で終わらせる」
川端が静かに立ち上がった。
右腕の紋様が、今度は音を立てて燃え上がる。
「風連。あいつの首、三分の一にできるか」
「サイズってこと? いや、たぶんイケる……はず!」
風連は震える手を前に出す。
「じゃあ、今からあいつの首、落ちやすくしてくれよ」
蛇が再び頭を持ち上げる。
首筋の石鱗が、きしむような音を立てた。
「――三分の一!」
風連の叫びとともに、蛇の首の付け根がぎゅっと締まるように縮んだ。
太さが目に見えて細くなり、石と石の隙間に亀裂が走る。
「柊!」
「分かってる」
柊が床を蹴る。
『ムーヴ』で自分の位置をずらしながら、蛇の死角へと一メートルずつ滑り込む。
その動きに合わせるように、川端も走る。
湊には、ただそれを見ていることしかできない。
胸の鼓動が、耳の奥でうるさく鳴る。
「――燃えろ」
一颯が小さく呟き、跳んだ。
柊の「ムーヴ」が、最後の一メートルを押し出す。
空中で、川端の右腕が白く燃え上がった。
「フレイム――フルバーストでいくぜ! 食らいやがれ!」
炎が、蛇の細くなった首筋に叩き込まれる。
熱と光が一瞬で広間を塗りつぶした。
石の焼ける匂い。
爆ぜる音。
割れ目から、ひびが蜘蛛の巣のように走る。
次の瞬間、蛇の頭部が音を立てて床に落ちた。
轟音とともに、全身が痙攣する。
毒霧が霧散し、黄土色の瞳から光が消えていく。
「……勝った、のか?」
誰かの声が、信じられないものを見るように震える。
川端は、その場に膝をついた。
右腕の炎がふっと消え、代わりに真っ赤な火傷の跡が浮かび上がる。
「川端!」
湊が駆け寄り、また光を生み出そうとする。
だが、指先に集まる光はさっきよりもずっと弱い。
「ごめん……もう、そんなにたくさんは……」
「いいって。十分だ」
川端は、左手で湊の頭をくしゃりと撫でた。
「お前がいたから、勝てたんだよ。サンキュー」
湊は何も言えず、ただ俯いて唇を噛んだ。
焼け落ちた蛇の首の向こうで、ダンジョンの奥へ続く扉が、きしみながら開いていく。




