第八章 数えるだけの英雄
聖女エルザが王都へ戻って、数日後、ギルドに依頼が舞い込んだ。
町外れの森に、魔物の群れが、湧いている。
魔物。日本にいた頃の俺なら、信じなかっただろう。だが、ここに来てから、俺は、信じる範囲が、ずいぶん広くなった。
グレンに呼び出された。
「サクラ。お前、戦えるか」
「戦えません」
「だろうな」
「ですが、何か、お役に立てれば」
「実は、それなんだ」
グレンは、地図を広げた。
「群れの規模が、つかめねえ。偵察に出たやつが、数を数えきれずに帰ってくる。動きも、読めねえ」
「数を、数える」
「ああ」
「偵察に、同行させていただけますか」
俺は、業務日誌を出した。
グレンは、苦笑した。
「殴られるなよ」
「努力します」
翌朝、偵察隊に交じって、俺は森に入った。
リリアも、自主的に同行を申し出ていた。商人として地理を把握しておきたいから、というのが理由だったが、俺の補助役を、自分の仕事に決めたらしかった。
森は、湿っていた。低木の根が絡む。腐葉土の踏み心地が、一定していない。先頭の斥候が、息を潜めて手で合図を送る。
俺は、業務日誌を開いた。
群れに近づくと、最初の数体が見えた。
緑の皮膚。小柄。三本指の手で、棍棒のようなものを握っている。
ゴブリン、と呼ばれる魔物だった。
斥候のリーダーが、囁いた。
「サクラ殿。ざっと数えて、群れは、五百か、六百と」
俺は、首を振った。
「もっと、いますね」
「は?」
「目視できる個体は、確かに六百ほどです。ですが、地形の使われ方を見るに、奥にもう三段、潜んでいます」
俺は、業務日誌に、地形の見取り図を書いた。森の出口、低い崖、川沿い、岩場。
「この崖の窪み、足跡が密集しています。岩場の苔の踏み跡、半数の苔が剥がれています」
斥候が、息を呑んだ。
「サクラ殿、見てきたんですか」
「いえ、見れば、分かります」
「いや、それで分かるほうが、おかしいんですよ」
俺は、続けた。
「総数、千二百三体。うち上位個体、十七体。配置から見て、本拠地は、こちらに七百メートル」
斥候が、グレンに目を向けた。グレンは、無言で頷いた。
「サクラの言う通りに、動いてくれ」
その日の防衛戦は、町の冒険者たちにとって、過去最小の犠牲で終わった。
魔物の群れは、町に達する前に、川沿いで足止めされた。罠の配置は、俺が業務日誌に書いた地形図に従って、組まれた。最も効率的な、陣の組み方を、俺は紙の上で、何度も書き直した。
陣形の組み方の基本は、ライフマートの売り場のレイアウトと、変わらなかった。
入り口は、目立つように。中盤は、客を留める仕掛けを。出口は、迷わせない動線を。それを、敵に置き換えるだけ。
入ってきた敵を、目立つ罠で、足止めする。中盤で、敵の動線を、強制的に、こちらの想定通りに、流す。最後は、追い込む先を、ひとつに、絞る。
冒険者たちは、最初、半信半疑で、俺の指示を聞いていた。
だが、最初の罠が、想定通りに発動して、敵の先頭隊列が、まとめて足を止めたとき、彼らの目の色が、変わった。
陣形通りに、動き始めた。
俺は、業務日誌を、机の上で、開きっぱなしにしていた。
書記の少年が、駆け込んできて、報告をした。書記は、ギルドの新人見習いだった。十五歳。文字の書き方を、まだ覚えたばかりだった。
「東面、撃破六十四体。うち、上位、二体」
俺は、書き取った。
書きながら、書記の少年に、言った。
「キミ、もう少し、字を、丁寧に書いてくれると、助かる」
「すみません」
「謝らないで。ただ、急いで書いた字は、後で、自分でも、読めなくなる。だから、急いでいる時こそ、丁寧に」
少年は、頷いた。
頷きながら、自分のメモ帳の、字を、書き直した。
戦闘そのものに、俺は加わらなかった。後方の指揮所で、ひたすら、報告を受けて、数字を更新した。
「東面、ゴブリン、五十七体撃破」
「西面、上位個体、三体撃破」
数字を、書く。差分を、見る。残数を、計算する。
それだけだった。
途中、報告の頻度が、落ちた。
俺は、すぐに、その異変を、書記に伝えた。
「東面、報告が、半刻、遅れています。確認の伝令を」
伝令が、走った。
戻ってきた伝令の顔が、青ざめていた。
「東面、奇襲を受けています。上位個体が、岩場の裏から、回り込みました」
俺は、地図を、即座に見た。
岩場の裏、俺が「奥にもう三段、潜んでいる」と、最初に書いた、その場所だった。
「グレンさん」
俺は、無線代わりの伝令に、叫ぶように、伝えた。
「西面の予備兵を、東面の岩場の裏側へ、迂回路で、回してください。三百歩、北西です」
「分かった」
予備兵が、回った。
挟撃された敵の上位個体は、半刻で、すべて討伐された。
東面の冒険者の、犠牲は、三人。
最初の予測通りに、対応していれば、犠牲は、ゼロになっていた、はずだった。
俺は、業務日誌に、書いた。
「俺の、見落とし。東面の予測、奥三段。報告頻度、注視」
戦闘の終了後、グレンが、後方の指揮所に、戻ってきた。
俺は、立ち上がって、頭を下げた。
「グレンさん。すみませんでした」
「は?」
「東面の犠牲、三名。俺の指示が、半刻、遅れました」
「サクラ。お前、何言ってる」
「俺の責任です」
グレンは、しばらく無言で、俺を見た。
それから、俺の肩を、強く、叩いた。
「サクラ。お前の予測がなかったら、東面、全滅だった」
「ですが」
「ですが、じゃねえ。三人で、済んだ。それは、お前のおかげだ」
俺は頷けなかった。
頷けないまま、業務日誌の頁に、亡くなった三人の名前を、書き入れた。
書記が、横で、名前の綴りを、教えてくれた。
俺は、丁寧に、書いた。
死んだ人間の名前は、丁寧に、書きたかった。
戦いが終わったあと、グレンが俺の隣に座った。
「サクラ。お前、なんで戦況がわかる」
「分かります、というか。在庫管理と、同じです」
「在庫」
「全体の数があり、出入りがあり、残りがある。出入りを把握して、残りを把握すれば、次に何が起きるかが、見えます」
グレンは、しばらく無言だった。
それから、ゆっくり言った。
「お前のスキル『棚卸し』、戦場でも、効くんだな」
「効くも何も、ただ数えただけです」
「ただ数えるってのが、できねえから、戦争で人が死ぬんだ」
グレンの声は、静かだった。
俺は、業務日誌に、最後の数字を書き入れた。
「総討伐数、千百八十七体。残存、十六体。逃走、不明」
書き終えて、俺は空を見上げた。
夕日が、森の上に、赤く落ちかけていた。
「サクラ」
リリアが、後ろから声をかけた。
「あなたの戦果報告書、王都行きよ」
「王都?」
「ええ。これだけの戦況把握、地方の冒険者ギルドだけで、握っておけるものじゃない」
俺は、エプロンの埃を、はたいた。
埃が、夕日に散った。
グレンが、隣で、深く、息を吐いた。
「サクラ。お前のいねえ世界には、もう戻れねえな。俺たちはな」
俺は笑えなかった。
俺は、戻る。
戻る方法を、見つける。
それまでは、頼まれた仕事を、丁寧にやる。
それだけだ。
防衛戦の翌日、町は、静かに、祝杯を上げた。
冒険者ギルドの酒場が、夕方から開いた。普段は、依頼の調整で、忙しない酒場が、この日は、ただ人が集まり、酒を、飲んだ。
俺は、酒場の隅で、業務日誌を、開いていた。
戦果の、最終確定。亡くなった三人の、所属、出身、家族構成。次の遺族補償の、計算。
書記の少年が、俺の隣に、座った。
「サクラ殿、お祝い、しないんですか」
「祝う、より、書く方が、向いています」
「字、本当に、丁寧ですね」
「そういう癖が、ついていますので」
少年は、しばらく、俺の手元を、見ていた。
それから、ぽつりと言った。
「僕、今日、初めて、戦場の後ろにいました。怖かった、です」
「そうでしょうね」
「でも、サクラ殿が、ずっと、書いていたから、僕も、書けました」
「ありがとうございます」
「字を、書いていると、怖さが、止まる気がしました」
俺は頷いた。
頷きながら、業務日誌の余白に、書いた。
「字を書くと、怖さが、止まるらしい」
書きながら、これは、十年前の、自分も、感じていたことかもしれない、と思った。
棚を、数えている間、俺は、何も、考えなかった。考えなくて済んだ。考えないことが、十年、俺を、生かしてきた。
それを、この少年は、たった、一日で、見抜いた。
「グレンさん」
俺は、声をかけた。
グレンは、酒場の中央で、酒を、煽っていた。
「ああ」
「この子に、書記長補佐の役を、つけてあげてください」
「お、おう、いいぞ。お前が言うなら」
書記の少年が、ぱっと、目を上げた。
「僕、まだ、見習いですけど」
「見習いの、間に、覚えれば、後が、楽だ」
俺は、業務日誌から、新しい紙を、一枚、破った。
そこに、簡単な、書記の心得を、書いた。
「上から下へ。右から左へ。確定の前に、確認を。確認の前に、整理を」
四行、書いて、少年に、渡した。
少年は、その紙を、両手で、受け取った。
両手で、受け取った、ということが、すべてを、表していた。
その夜、グレンが、酒場の隅の俺の机に、来た。
「サクラ。今日の、戦果報告書、王都行きにしたい」
「と、いうと」
「冒険者ギルド連合本部から、王立魔導士団に、上げる。地方の防衛戦としては、過去最高の戦果だ」
「俺の、名前は」
「伏せられねえ。指揮の名前、書く欄が、ある」
「グレンさんの、ご署名つきで、ですね」
「ああ。だから、俺の責任で、書く」
「ありがとうございます」
グレンは頷いた。
「サクラ、悪いが、王都の連中は、お前の名前を、覚えるぞ」
「覚えられて、困ることが、あるんですか」
「教会だ」
俺は頷いた。
頷きながら、業務日誌に、書いた。
「教会、注意。俺の名前、王都に、伝わる」
書きながら、リリアの最初の警告と、ミレイアの最初の警告と、グレンの今日の警告が、すべて、同じ方向を、指している、と気づいた。
警告が、三度、別々の人間から、来ている。
棚卸しの世界では、警告が三度来た商品は、必ず、回収案件になる。
教会、回収必至。
俺は、業務日誌に、太い丸を、二重に、つけた。




