第七章 偽聖女と、震える鑑定士
数日後、町に、王都からの使節が来た。
現役の聖女、エルザ・ヴァンレイ。
教会の正式な鑑定団を引き連れて、地方都市を巡回していた。地方の魔力源と、潜在的な聖女候補を、把握し直すためだ、と布告には書いてあった。
ミレイアは、姿を消した。
リリアが、こっそり伝言を寄越した。「しばらく、戻らない。あなたも、うちの店の奥に隠れていて」と。
俺は、首を振った。
「俺が隠れると、リリアさんに迷惑がかかります」
「あなた、もう、隠れる段階じゃないかもね」
「と、言いますと」
「町の連中、誰がお手柄か、もう知ってる。隠しても、無駄」
俺は頷いた。
トラドル商会も、ギルドも、商人街も。俺の名前は、もう、町の表面に出ていた。
その日、町の中央広場で、聖女エルザの顕現が行われた。
白い衣装に、金の飾り。十代後半の少女だった。整った顔立ち。だが、目には、何の温度もなかった。
エルザは、市民の前で、形ばかりの祝祷を述べた。それから、顔を上げて言った。
「この町で、最近、不思議な働きをしている異邦人がいると聞きました。サクラ・タクヤ。前に出なさい」
俺は、群衆の隅にいた。
グレンが、舌打ちした。
「行かねえと、まずいか」
「行きます」
「お前、今のうちに、業務日誌、俺に預けとけ」
「いえ、持っていきます」
「お前、なあ」
「これが、なくなると、俺、ただの、エプロンの男になります」
グレンは笑った。笑いながら、俺の肩を、ぽん、と叩いた。
「分かった。気をつけろ」
俺は、エプロンの紐を直して、前に出た。
聖女エルザは、俺を見下ろした。
「あなたが、サクラ」
「はい」
「卑しい商人風情と、聞きました」
「卑しい、というのは」
「商人と作業員、と、聞いたという意味です」
エルザは、扇で口元を覆った。
その目には、明らかな、見下しがあった。
俺は、そういう目を、知っていた。日本のドラッグストアで、たまに、客から、向けられる目だ。レジ打ちの店員に、向けるべき目では、ない目。
俺は頭を下げたまま、待った。
桜井に、ずっと、向けられてきた目でも、あった。
慣れていた。
その隣に立っていた、王立鑑定士が、書類を取り出した。年配の男だった。白髭。落ち着いた目。
「鑑定の儀を始めます。サクラ殿。所持品を、こちらに」
俺は、ポケットの中身を、机に置いた。
社員証、ボールペン、業務日誌、それから、リリアにもらった香辛料の袋。
エルザが、社員証を、扇の先で、つついた。
「何これ。鉛のプレート? 文字も、卑しい字体ね」
俺は頭を下げたまま、答えなかった。
ライフマートの社員証は、確かに、見た目は、安っぽい。プラスチックの貼り合わせで、写真も色褪せている。十年使えば、こうなる。
エルザの扇が、業務日誌の方へ、滑った。
そのとき。
王立鑑定士が、業務日誌に、手を当てた。
その手が、止まった。
「これは」
鑑定士の白髭が、かすかに震えた。
「これは、何ですか、サクラ殿」
「業務日誌です」
「いえ、そういうことではなく」
鑑定士は、業務日誌を、両手で、押し戴いた。
「これは……古代竜文字の、構文です」
エルザの扇が、止まった。
「何を言うのです、オウル殿」
「聖女様。私は、鑑定士として申し上げます。この帳面の罫の組み方、欄の符号、書き出しの順序。すべて、五百年以上前に消えたとされる、古代の記録術に、合致しています」
「そんな、はずは」
「現に、合致しております」
鑑定士オウルは、業務日誌を、俺に返してきた。返しながら、両手で、丁寧に。
「サクラ殿。一つだけ、伺っても」
「はい」
「これを、誰に教わりましたか」
「いえ、自己流です。ライフマートの、研修で渡された記録ノートを、十年、自分なりに改良しました」
「ライフマート」
「日本の、薬と日用品を売る店です」
オウルは、首を傾げた。それから、深く、頭を下げた。
「異邦人サクラ殿。失礼を、お詫びいたします。あなたは、いま、私が見たことのない、最も体系化された記録の使い手です」
エルザの顔から、笑みが、引いた。
群衆が、ざわついた。
俺は、業務日誌を、エプロンのポケットに、そっと戻した。
エルザは、無言で、踵を返した。
その背中を見送りながら、グレンが俺の隣で呟いた。
「サクラ。今、お前、世界に名前を売ったぞ」
「売る、つもりは」
「それでも、売れた。ああいう女は、忘れねえ」
俺は、エプロンを、握った。
帳面が、また、ほのかに、光った気がした。
その夜、ギルドに、王立鑑定士オウルから、私的な手紙が、届いた。
封蝋は、王立鑑定院の正式な紋ではなく、家紋らしき、簡素な印だった。
中には、短い手紙と、それから、丁寧に折り畳まれた一枚の、白い紙が、入っていた。
手紙の文面は、こうだった。
「サクラ殿。今日のご無礼、私個人として、深く、お詫び申し上げます。あなたの帳面の構造を、私の目の前で、見せていただいたこと、生涯の、誇りと、いたします。同封いたしましたのは、私が、四十年、解読を続けてきた、古代竜文字の、初歩の一覧です。あなたが、いつか、ご自身の手で、五百年前の手記を、お読みになる日が、来ることを、願っております。オウル」
折り畳まれた白い紙には、几帳面な字で、古代竜文字の、対応表が、書かれていた。
俺は、それを、業務日誌の、一番後ろに、丁寧に、挟んだ。
頭を下げた。
オウル殿は、その場にいなかったが、俺は頭を下げた。
「ありがとうございます」
声に、出した。
声に出さないと、礼を言ったことに、ならない気がした。




