第四章 禁書庫の古い文字
朝、グレンが、改めて部屋に来た。
「サクラ、お前に頼みたい仕事は、山ほどある」
「はい」
「だが、まず、お前自身のことを、整理させてくれ。お前のスキルだ。『棚卸し』が、引っかかってる」
俺は頷いた。
「気にはなっています」
「町の図書館に、心当たりがある古文がある。連れてっていいか」
図書館は、町の北の丘に、教会と並んで建っていた。
修道士たちが、写本を作っている。羊皮紙に、ガラスペンで、丁寧に文字を刻んでいる。中世そのものの光景だった。
グレンは、館長の老人と話をつけた。俺は、奥の閲覧室に通された。
机の上に、木箱が置かれた。
蓋を開けると、革の表紙の、古い冊子。装丁は剥がれかけている。
「これ、五百年前の冒険者の手記だ。誰の手記かは分かってない。最後に『棚卸し』という古代魔法に言及している。だから、開示は許可制になっている」
俺は、冊子をそっと開いた。
最初のページで、息が止まりそうになった。
文字は、知らない言語だった。
けれど、綴じ方と、ページの区切り方と、欄の使い方が――俺の業務日誌と、酷似していた。
日付の代わりに、何かの符号。次に、品目らしきもの。次に、数量らしきもの。最後に、誤差と、推定原因。
これは、台帳だ。
俺は、自分の業務日誌を、横に並べて開いた。
二冊は、並んで、よく似ていた。
館長が、隣で目を瞠った。
「サクラ殿、その綴じ、どこで」
「自己流です。十年、続けています」
「五百年前の人間と、同じ方法を、自己流で、ですか」
老人の声は、震えていた。
俺は、自分の業務日誌を、机の上に、開いた。
並べてみると、ますます、似ていた。
罫の引き方、欄の取り方、日付の符号、品目のあとの数量の、桁の整え方。すべて。
「館長殿」
「はい」
「これは、誰が、考えた、形式ですか」
「分かりません。教会では、神授の知である、と言い伝えられています」
「神、ですか」
「ええ。ただ、五百年前の手記には、神よりも前から、この形式で、誰かが、書いていた、とも、書かれています」
老人は、声を潜めた。
「この形式は、おそらく、世界そのものを、整理するための、最初の道具です」
俺は頷いた。
頷きながら、自分の業務日誌の、罫の上を、指で、なぞった。
ライフマートの、新人研修で、配られた、ありふれた手帳。
それと、同じ形式が、世界の根源にある。
何の偶然か、必然か、俺には、分からなかった。
ただ、自分が、十年、ひたすら数えてきたものが、世界規模の意味を、持ち始めている、ということだけは、感じた。
俺は、ゆっくり、ページをめくった。
文字は読めない。だが、配置は、読める。
途中のページに、ある日の記録があった。
長い欄に、何かが書かれていた。日付符号と、それから、大きな数字。隣の欄に、赤い染みのような印。
赤い印は、いくつものページに繰り返されていた。
俺は、ページをめくる手を止めた。
「館長殿」
「はい」
「この、赤い印は、何ですか」
「分かりません。誰にも、解読できていない部分です」
俺は、自分の業務日誌を、ぱらりとめくった。
日本のドラッグストアでつけた、最後の月。
そこにも、赤い印を、いくつもつけていた。
誤差が、月の平均を超えた日。原因不明のロスがあった日。
俺は、染みの位置を、頁をまたいで、目で追った。
赤い印は、ある一定の周期で、同じ場所に現れていた。
「これは……定期的に、何かが、消えている記録です」
館長が、息を呑んだ。
グレンが、一歩、近づいた。
「定期的に……何が」
「分かりません。ですが、一つの場所から、規則正しく、何かが減っています。これは、ロスの記録です」
ロスという言葉は、俺の口から出た。
館長の目が、見開かれた。
「ロス」
「在庫が、消える現象のことです」
「サクラ殿。我々はそれを、別の名で呼んでいます」
老人は、震える指で、本棚の奥を指した。
「『大いなるロス』、と」
俺は、振り返って、その本棚を見た。
そこには、教会から禁書指定された巻物が、束になって、並んでいた。
「サクラ殿。詳しいことは、お話しできません。教会の管轄です。けれど、この国の知識ある者なら、誰もが知っています。世界から、何かが、減り続けている」
俺は頷いた。
頷きながら、業務日誌の最後に、新しい欄を作った。
「異界・第二日。古代の手記、自分の業務日誌と同じ綴じ。赤印の周期記録あり。『大いなるロス』なる現象が、世界規模で進行中」
書き終えて、ペンを置いた。
「館長殿」
「はい」
「この手記、しばらく、貸していただけませんか」
老人は、首を横に振った。
「持ち出しは、できません。けれど、写しを、お取りいただくのは構いません」
俺は頷いた。
頷きながら、これは長い仕事になる、と感じた。
夕方まで閲覧室にこもって、俺は赤い印の頁だけ、写しを作った。原本は誰のものかも分からない、ただページの配置は俺の字でなぞれた。
ギルドへ戻る道で、グレンが横を歩いた。
「サクラ。お前、何を見つけたんだ」
「分かりません」
「分からねえなら、なぜ写した」
「気になる、ということは、何かが、おかしい、ということです。仕事で、何度も経験しました」
グレンは、肩をすくめた。
「お前のその勘、だんだん怖くなってきたぞ」
俺は、笑わなかった。
笑えなかった。
異世界に、変なところはたくさんある。なのに、俺の業務日誌の癖と、五百年前の手記の癖が、なぜ一致するのか。
その答えに、ロスの規則的な周期。
何かが、繋がっている。
繋がりは、まだ見えない。
けれど、繋がりがある、ということだけは、もう、見えていた。




