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異世界の棚卸し~地味なドラッグストア作業員が、世界の「ロス」を止めるまで~  作者: もしものべりすと


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第三章 倉庫で見たもの

グレンに案内された倉庫は、ギルド本館の裏手にあった。


扉を開けた瞬間、埃と、湿った木の匂いと、何か饐えた匂いが、混じって押し寄せてきた。


光が差し込んだ。


中は、ひどい有様だった。


天井までの棚に、武具と素材が、無造作に積まれていた。麻袋が口を開けたまま転がり、刃の鞘が抜けて床に転がり、書類が湿気で波打っていた。


「これな、五年放置だ」


グレンが、頭を掻いた。


「先代のギルマスが死んでよ、引き継ぎしねえまま、書類だけ箱に突っ込んで終わった。俺もな、どっから手をつけりゃいいか、分からねえ」


俺は、ゆっくり棚を見て回った。


口の開いた麻袋を覗き込む。中は、緑色の鱗。竜の幼体の脱皮殻だ、と思った。隣の棚は、薬草の束。乾燥が中途半端で、半分は黴びている。


「グレンさん」


「グレンでいい」


「グレンさん、ここの台帳は」


「あるはずだが、どこにあるかな」


俺は頷いた。


「半日、お時間をください」


「半日?」


「はい」


俺は、エプロンの紐を、もう一度結び直した。


そして、棚の一番手前から、始めた。


まず、床に座り込んで、業務日誌に簡単な見取り図を書いた。倉庫の輪郭、棚の位置、扉、窓、床の傾斜。次に、棚を六つの区画に分けて、A、B、Cと符号を振った。


それから、麻袋を一つずつ、棚から下ろした。中を確認した。中身に応じて、四つの場所に仮置きした。「武具」「素材」「消耗品」「不明」。


仮置きの基本は、前にあるものから手をつける。奥から手をつけると、必ず、途中で倒れるか、見落としが出る。十年やって、何度も失敗して、覚えた手順だった。


カビた薬草は、グレンに確認した。


「これ、捨てても」


「あぁ、もう使えねえなら、捨てろ」


「廃棄分も、記録します」


俺は、廃棄ロスとして、品目と推定数量を書いた。本社に提出するわけではないが、書く癖だった。


廃棄を記録しないと、次の発注で、また同じ量を頼んでしまう。すると、また、同じだけ廃棄が出る。記録しない店は、毎月、同じ量を、捨て続ける。それは、捨てているのではなく、燃やしているのと同じだった。


埃が立った。喉が渇いた。途中、グレンが水を持ってきてくれた。


「お前、ずっと声に出して数えてんな」


「数えないと、間違えますので」


グレンは、何か言いかけて、やめた。


午後の遅い光が、窓から斜めに差し込んだ頃、俺は仮置きをすべて棚に戻し終えていた。


棚には、左から、武具、消耗品、素材、書類。区画ごとに札を貼った。札は、書類の裏紙を切って作った。


業務日誌には、すべての品目と数量が、整列していた。


俺はグレンを呼んだ。


「終わりました」


「は?」


「半日、と言ったので。在庫一覧表、こちらです」


俺は、業務日誌から切り取らずに、そのまま開いて差し出した。


手書きの、整然とした表。品目、数量、状態、推定価値、保管位置。


グレンは、一行目から、目で追った。


二行、三行と進むにつれて、その口が、少しずつ開いていった。


最後の行まで読んだとき、彼は紙から目を離して、棚を見た。札の貼られた、整然とした棚を。


それから、棚の前に膝をついた。


「グレンさん?」


「サクラ」


「はい」


「お前、何者だ」


「ですから、作業員です」


「うちの倉庫の財産が、二倍になってる」


「どういう意味でしょう」


「俺たちはな、ここにある竜鱗の予備を、二週間前に新規発注した。今日、納品される。今日、納品される予定だった。発注すんな、っつう量が、すでに、ここに、ある」


俺は、棚の左下、素材区画の一段目を指した。


「こちら、確かにありました。袋が破れて床に転がっていたので、傷み具合を確認して並べ直しました。十二枚です」


グレンは、片手で顔を覆った。


「十二枚……金貨で、八枚分だぞ」


「価値は、分かりません。すみません」


「いや、そうじゃ、ねえんだ」


彼は、立ち上がった。それから、もう一度、片膝をついた。


正式な礼の形だった。


「サクラ。あんたを、客分として迎えたい。ここに、住んでくれ。働いてくれ」


「客分……」


「上等な部屋を用意する。給金も出す。ただし、頼む。頼みたい仕事が、多分、たくさんある」


俺は、エプロンの裾を握った。


十年勤めて、頭を下げられたことは、一度もなかった。


頭を下げられたことが、ない、ということは、自分が誰かの役に立っている、と確信したことが、一度もない、ということでもあった。


役に立っている、と感じたことは、数え切れないほど、あった。


棚を整えた。発注を見直した。新人にレジ打ちを教えた。年末の忙しいときに、何時間でも、立った。地震の後、棚から落ちた商品を、一晩で、戻した。


けれど、誰も、頭を、下げなかった。


桜井は、毎度、「お前は、棚を整える以外、能がない」と言った。


俺は、それを、信じていた。


信じて、十年。


異世界の、見知らぬ男が、片膝を、ついて、頭を下げた。


その光景の、現実感の方が、俺には、薄かった。


「グレンさん」


「ああ」


「立って、ください」


「サクラ」


「立って、もらえないと、俺、どう、すれば、いいか」


グレンは、立ち上がった。


立ち上がりながら、俺の肩を軽く叩いた。


「分かった。立つ。けどな、サクラ」


「はい」


グレンは、立ち上がった。


立ち上がりながら、俺の肩を軽く叩いた。


「分かった。立つ。けどな、サクラ」


「はい」


「お前のしたことは、頭を下げる価値が、ある。それを、忘れんな」


「サクラ。お前が大したことをしたかどうかは、お前が決めることじゃねえ」


そのひと言が、不思議と胸に刺さった。


俺は、頷くしか、できなかった。


その夜、ギルドの二階の客室で、俺は業務日誌を開いた。


最後のページの「径――」の続きに、線を引いて、新しい欄を作った。


「異界・第一日。冒険者ギルド倉庫を整理。在庫一覧、別紙参照。受付嬢、震える。ギルマス、片膝をつく」


書きながら、自分のしたことを、もう一度、確認した。


棚を、片付けた。


それだけだった。


それだけで、彼らは、俺に頭を下げた。


胸ポケットの中の、社員証の縁を、指でなぞった。


「俺は、ただの作業員、なんですけどね」


呟いて、俺は灯りを落とした。


灯りを落としたあとも、しばらく、目が冴えていた。


天井を、見た。木の梁が、薄く見えた。日本の事務所のクロス天井とは、まるで違う。太い梁の隙間に、藁と漆喰が、見えた。


俺は、自分の十年を、思い返した。


ライフマートに入った日。新人研修で、業務日誌の書き方を、教えられた日。最初の月の、最初の棚卸しで、失敗して、店長に怒鳴られた日。二度目の店で、桜井に出会って、最初に「俺がいなければお前は何もできない」と言われた日。


何度も、辞めようと思った。


辞めなかったのは、棚を、誰かが数えなければ、店が、回らないからだった。


俺は、その「誰か」を、続けた。


続けて、十年。


異世界で、初めて、頭を下げられた。


俺は、灯りを落とした天井を、見ながら、ぽつりと呟いた。


「グレンさん。ありがとうございます」


声は、誰にも、届かなかった。


それでも、俺は、それを、口に出した。


口に出さないと、忘れる気がした。


頭を下げられたという記憶を、忘れたら、たぶん、明日からの俺は、また、ただの作業員に、戻ってしまう気がした。


戻りたくない、とは、思わなかった。


戻ってもいい、と思った。


戻っても、俺は、棚を、数える。


それは、変わらない。

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