第二章 森の目覚めと最初の町
獣道は、思ったより早く開けた場所に出た。
見下ろした先に、町があった。
石造り。瓦屋根。木組みの二階建てが、不揃いに建ち並んでいる。中央に広場と井戸らしき石組み。城壁は、低い。集落というより、地方の町、という規模だ。
煙が、幾筋か立っていた。竃の煙だ。生活がある。
「人がいる」
俺は、深く息を吐いた。安心したのか、緊張したのか、自分でも分からなかった。
坂を下る。エプロン姿で坂を下る正社員。間抜けな絵面だ、と頭の隅で思った。
町の入り口で、槍を持った男に呼び止められた。
「止まれ。よそ者か」
声に、敵意はなかった。義務として聞いている、という調子。
「はい。よそから来ました」
俺は頭を下げた。低姿勢が癖になっていた。
男は俺の身なりを上から下まで見て、首を傾げた。
「妙な格好だな。商人か? 料理人か?」
「ええと、ドラッグストアの……薬と日用品を売る店の、作業員です」
「分からん言葉だが、薬屋の見習いか何かか。武器は」
「ありません。ボールペンと、メモ帳と、日誌だけです」
男は呆れたように笑って、通してくれた。
「冒険者ギルドへ行け。よそ者は、まず登録だ」
驚いたことに、言葉は普通に通じていた。日本語を喋っているつもりで口を動かしているのに、男には別の何かが聞こえているらしい。これは、後で考えることだ。
教えられた通りに歩いた。表通りの石畳は、すり減って凹凸がある。馬が通るたびに、糞の匂いがする。
町は、思ったより不潔だった。
下水の溝が、表通りの脇を流れていた。流れているといっても、半分は澱んでいる。窓から、水でも汚物でもない何かを、平気で投げ捨てる女がいた。あれが俺の頭にかからなくて良かった、と心底思った。
「中世だな」
俺は、誰にともなく呟いた。
中世経済史の本で読んだ通りだ。垂れ流し、悪臭、馬糞、湿った石畳。だが、本で読むのと、嗅ぐのとは違う。
歩きながら、俺は、町の構造を、目で測った。
道幅、二間半。両側の店舗、間口は、平均で一間半。屋根の傾斜、四十五度前後。雨水の流れる溝、片側のみ。下水と上水は、分離されていない。
商店は、看板を出している店が、半分弱。残りは、扉の上に、品物の象徴を、彫り込んだ木板を、掲げている。文字が読めない客のための、視覚記号だった。
職人ギルドの紋章を掲げた店も、いくつかあった。鍛冶屋、革職人、織物屋。それぞれ、ギルドの徒弟と思われる若者が、店先で、見習いの作業をしている。
経済史で読んだ、そのままの光景だった。
俺は、自分が、何度も読んだ本の挿絵の中に、立っているような気がした。
冒険者ギルドの建物は、すぐ分かった。剣と杖の紋章が、扉の上に掲げられていた。
中に入ると、酒の匂いと、汗の匂いと、革の匂いが、層を成していた。
奥のカウンターに、若い受付嬢がいた。亜麻色の髪を、後ろで一つに束ねている。緑のリボン。
「ご用件は」
俺は近づいて、頭を下げた。
「すみません。よその者です。登録、というのを、お願いしたく」
受付嬢の表情が、柔らかくなった。
「初めての方ですね。お名前を」
「佐倉拓也。サクラ・タクヤ、です」
「ようこそ、サクラさん。それでは、こちらの水晶に手を当ててください。スキルと適性を鑑定します」
俺は、緑色に濁った水晶玉に、右手を乗せた。
何も、感じない。
水晶玉は、ぬるい温度だった。生きているような、生きていないような、不思議な感触。
ガラスとは、違う。陶器とも、違う。何の素材か、見当もつかない。
中世経済史で読んだ、占いの水晶とは、また違うものだろう。
水晶玉に、薄い緑の光が、ゆっくり、走った。
光は、やがて、白に変わった。
そして、白は、ますます、強くなった。
受付嬢が、書類を取り出して、ペンを構えた。
「えっと……サクラ・タクヤ、年齢二十八。種族、人間。職業……」
そこで、彼女のペンが止まった。
「職業……えっと、これ、職業欄の表記、見たことが……」
「すみません、ライフマート堀川店の正社員です」
「えーと、固有称号として『棚卸す者』。それから……スキル」
彼女のペンが止まった。完全に、止まった。
「スキル一覧。整理整頓――極。在庫把握――極。棚卸し――古代」
水晶玉の端が、白く光っていた。
光の量が、明らかに、おかしかった。受付嬢は、何度か、目を、こすった。
ギルドの酒場側の、酔った冒険者の一人が、ふらっと、こちらを覗いた。
「おい、姉ちゃん、その水晶、こんなに光るの、初めて見たぞ」
「シッ、黙ってて」
「いやだって、これ、お前、王宮で測ってもらうレベルじゃ」
「黙ってて、って言ってます」
受付嬢は、その冒険者を、目で、追い払った。
それから、俺の方を、向き直った。
「あの」
「はい」
「少々、お待ちいただけますか」
受付嬢は、書類を抱えて、奥へ走った。
俺はカウンターに残された。
ギルドの酒場側にいた冒険者たちが、何事かと振り返っていた。誰も、俺の何を知っているわけでもない。なのに、空気が、ざわついた。
奥の扉が、勢いよく開いた。
ゴツい男が、顔を半分こちらに突き出した。髭面。額に古い傷。目は、鋭い。
「お前か。今、登録したっつう、ヘンな格好の」
「あの、はい」
「ちょっと、こっち来い」
俺は、エプロンの裾を直して、奥へ入っていった。
通された執務室は、思ったより狭かった。
奥のデスクに、書類の山。山というより、雪崩。床にも積まれている。書棚は、本の背と紙束が混在して、何が何やら分からない。
男は、デスクの一角に書類を押しのけて、椅子を勧めた。
「俺はグレン。ギルドマスターだ」
「佐倉、です」
「サクラ。さっきのスキル、間違いないか」
「鑑定の方が、間違いないと思います」
「『棚卸し』は古代魔法だ。失われたとされる、教会の禁書扱いの名前だ。なんでお前、そんなもん持ってる」
「あの、すみません。俺は、ただの作業員でして」
「サクヨウ、何だそれ」
「商品を、棚に並べる、人です」
グレンは、しばし俺を見つめた。それから、ふっと息を吐いた。
「いいか、サクラ。話はあとだ。先に頼みがある」
「はい」
「うちの倉庫、見てくれ」
俺は頷いた。
立ち上がりながら、業務日誌を取り出した。それから、エプロンの紐を結び直した。




