第十九章 大聖堂の最奥
緊急議会の翌日、王命をもって、大聖堂の聖域への、立ち入り調査が、決定した。
立ち入りには、王の近衛、王立魔導士団、それから俺と、グレンと、リリアと、宮廷魔導士長が、加わった。
枢機卿バルディウスは、最初、抵抗した。
「これは、神の意思に対する、冒涜である」
「神の意思は、大いなるロスを、肯定しているのですか」
俺は静かに聞き返した。
枢機卿の口元が、引きつった。
王立魔導士団の解錠魔法で、大聖堂の最奥の、封じられた間が、開かれた。
中は、広く、深く、暗かった。
中央に、巨大な金属球が、浮いていた。
直径、人の背丈の三倍。
表面には、俺がライフマートのバックヤードで触れた、あの金属球と、同じ古代文字が、刻まれていた。
球の周りには、無数の細い管が、放射状に伸びていた。管は、壁を、床を、天井を、貫いて、外へと広がっていた。
管の中を、薄い金色の流れが、動いていた。世界中から、ここへ、流れ込んでいる、その流れだった。
「これが」
俺は呟いた。
「世界の、ロスの、出口」
球の前に、銀色の髪の少女が、鎖で、繋がれていた。
ミレイアだった。
両手首と、両足首に、鋼の鎖。鎖は、球の管の一本に、繋がっていた。彼女は球に、自分の魔力を、削られていた。聖女候補としての、特殊な魔力を。
「ミレイアさん!」
俺は駆け寄った。
ミレイアは衰弱していた。頬はこけていた。だが、目は生きていた。
「サクラ様、来てくださって」
「遅くなって、すみません」
「いいえ」
王立魔導士団が、鎖を、解いた。
鎖の鋼の擦れる音が、大聖堂の天井に、響いた。
ミレイアの手首は、鎖の跡で、青黒く、なっていた。皮膚が、剥けて、薄く、血が、滲んでいた。
俺は業務日誌の、最後の頁を開いた。
そこに、彼女の銀の髪の、一房が、挟んであった。
俺はそれを彼女に返した。
「サクラ様、これ」
「教会の使者が、置いていきました」
「私の、髪……」
ミレイアは、自分の短く切られた髪を触った。
切られた、と初めて自分の手で、確かめた。
「ミレイアさん。すみません」
「いいえ」
「俺、契約書に、書きませんでした」
「はい」
「書けば、あなたが、戻ったかもしれません。書かない、というのは、あなたを、裏切ることでも、ありました」
「サクラ様」
ミレイアは首を振った。
「私、書かれない、ということに、賭けました」
「賭けた、というのは」
「あなたが、書かない人だ、と、信じていました」
俺は頷いた。
頷きながら、ミレイアの髪の一房を、彼女のいまは短い髪の隣に、あてた。
色は、同じ銀だった。
ミレイアは、それを、自分の手で、受け取って、胸元に、収めた。
「これは、私の、決意の、形見にします」
俺は頷いた。
俺は、ミレイアをグレンに預けた。グレンは、肩の傷を押さえながら、彼女を、しっかり抱き止めた。
そして、俺は振り向いた。
枢機卿バルディウスが、球の脇に、立っていた。
彼の手には、契約書のような巻物。それから起動の鍵の、小さな金属片。
「サクラ君」
「枢機卿」
「ここまで、解いたのなら、もう、隠さない。教会は、千年前から、この球で、世界の魔力を、定期的に集めてきた」
「何のために」
「不老。それから、絶対的な権力。私の家系は、千年、この球の管理者だ。世界の魔力の、わずかな分量を、私たちは、自分の血統に、引き入れてきた」
「魔王、というのは」
「集まりすぎた魔力の、形だ。百年に一度、適度に放出する。世界に魔王が現れ、人々が恐怖する。教会が、それを討伐する。そうやって、教会の権威を、保ってきた」
「それで」
「君は、優秀すぎた。しかし、所詮、ただの作業員だ」
枢機卿は笑った。
「役職もない、肩書きもない男に、何ができる」
俺は頷いた。
頷きながら、エプロンのポケットから、業務日誌を、取り出した。
そしてゆっくり、彼の前で開いた。
「枢機卿様」
「何だ」
「あなたが言う『役職のない男』は、あなたが見ていない場所で、ずっと、数を数えていました」
俺は業務日誌を、彼の前に、掲げた。
「ライフマート堀川店、十年勤続。役職なし。評価は、地味。けれど――」
俺は業務日誌の、最後の頁を見せた。
千年分の、ロスの周期の、地図。
中心点に、印された、大聖堂。
「数えました。あなた方の、千年分を」
枢機卿の顔から、笑みが、消えた。
「その数字が、今日、あなたを、終わらせます」
俺は業務日誌を、ぱたんと閉じた。
枢機卿は、俺の業務日誌を見つめた。
それから、ふっと笑った。
「君ね、サクラ君」
「はい」
「君のような、地味な、何の取り柄もない男に」
枢機卿の声は、最後の最後まで、桜井に似ていた。
「世界が、救えるとでも、思っているのか」
「思っていません」
俺は即答した。
「俺一人では、何も、できません」
「分かっているじゃないか」
「ですから、世界中の、書記、商人、魔導士、農民、子供。みんなで、数えました」
俺はエプロンの胸の、刺繍を撫でた。
「俺は、ただの、その総和の、最後の一人です」
枢機卿は、何かを言いかけた。
その口は、最後まで動かなかった。
俺は目を閉じた。
世界中の、書記が書いた、無数の数字を、頭の中に、思い浮かべた。
その数字の、すべての所有者の名を、思い浮かべた。
書記の少年。トラドル商会長。地方の冒険者の遺族。聖水を奉納し続けた、田舎の老婆。子どもの薬を毎月買い続けてきた、母親たち。
すべての、所有者。
俺は業務日誌を開いた。
「『棚卸し』を、始めます」
「グレンさん」
「おう」
「リリアさん」
「ええ」
「宮廷魔導士長」
「はい」
「『棚卸し』の、起動を」
俺は業務日誌に、自分の手を当てた。
業務日誌が、強く光った。
光は、紙の中から、俺の腕を伝った。
俺は目を瞑った。
頭の中に、世界中の、書記たちが書き続けてきた、無数の数字が、流れ込んだ。
魔石、五十六個。布、三十二反。麦、八十袋。子どもの薬、一二三本。神殿の聖水、四十八瓶。
数字は、所有者の名前と、紐づいて、流れた。
ライフマートでは、所有者は、店だった。
ここでは、所有者は、農民、商人、職人、子供。
そのすべての、所有者の名前が、数字の隣に、ついていた。
俺は業務日誌を、通じて、それを、読み上げた。
声に出した。
声に出すと、世界中の、それぞれの所有者の元へ、その数字が、戻っていった。
光は、大聖堂の球を、包み込み、それから放射状に伸びる管に、流れ込んだ。
世界中で、棚卸しが、始まった。
千年間、教会が集めてきた、世界の魔力と、物資。
その、すべてが、計上された。
計上は、即ち、所有権の確認だった。
教会のものではない、というラベルが、すべてに、貼られた。
魔力は、出所へ、流れ始めた。
各地の枯渇していた魔力源が、回復した。各地の不作だった土地に、肥沃さが戻った。各地で消えていた魔石備蓄が、補充された。
地方の村で、痩せていた小麦の穂が、夜のうちに、ふっくらと、膨らんだ。
涸れていた井戸が、朝、再び、水を吹き上げた。
何年も、子どもの薬代に苦しんでいた母親の、薬箱に、いつの間にか、薬が、補充されていた。
リリアの店の倉庫の、燃やされた在庫の灰の中から、香辛料の小袋が、いくつも、新しく、現れた。
トラドル商会の倉庫の、布の山が、数えてみたら、本来あるはずだった量に、戻っていた。
世界中で、消えていた数字たちが、本来の場所へ、戻っていった。
戻りながら、それぞれが、本来の所有者の、名を、呼ぶように収まった。
中央の球は、急速に、しぼんでいった。
魔王の発生源は、消えた。
枢機卿バルディウスの、若さも、消えた。
千年分の、不老の魔法が、抜けていった。
彼の体は、急速に、老いた。
最後には、彼は自分の体を、支えることが、できなくなった。
王立魔導士団の手で、彼は拘束された。
老いた枢機卿は最後に俺の方を見た。
その目に、もう桜井の冷たさは、なかった。
ただ千年分の、疲れだけが、残っていた。
「サクラ……君」
「はい」
「君は、私を、終わらせた」
「終わらせたのは、世界です。俺は数えただけです」
「数えるとは、こういうことか」
「こういうことです」
枢機卿は目を閉じた。
閉じた目から、薄く、何かが、零れた。
それが、涙だったのか、ただ千年分の眠気だったのか、俺には、分からなかった。
俺は業務日誌から、手を離した。
業務日誌は、もう光らなかった。
代わりに、エプロンの紐が、ほどけて、足元に、垂れた。
紐の先が、擦り切れていた。
十年前、研修で、もらったエプロン。
俺はしゃがんで、その紐を、もう一度結び直した。
丁寧に、結んだ。
これは、まだ捨てる時ではない、と思った。
ミレイアが、グレンの腕から、こちらに歩いてきた。
光が、大聖堂の天窓から、差し込んでいた。




