第十八章 地味な日誌が、決定的証拠になる日
教会は、動いた。
俺たちが大陸の棚卸しを始めて、一週間。
教会は、自身の保管している全記録の、一斉改竄を、図った。
数百年分の、聖典の写し、奉納記録、献金台帳。すべてに、一斉に、薄い修正魔法がかけられた。
宮廷魔導士長が、それを検出した。
「サクラ殿。教会が、過去のすべての記録を、書き換え始めました」
俺は、地図を見つめた。
「想定の範囲です」
「対策は」
「あります」
俺は業務日誌の、自分の最初の頁を開いた。
日本での、最後の月の、ロス記録。
それから図書館で写した、五百年前の手記。
「これは、教会の手の届かない、独立した記録です」
「サクラ殿、しかし」
「教会の記録が改竄されても、これが残ります。私の業務日誌の、ロスの時刻は、千年単位で、教会の魔導具の起動時刻と、一致します」
「魔導具」
「世界の魔力を、定期的に吸い上げる仕組みです。それを、定期的に動かさなければ、千年単位の集積は、不可能です」
俺は、業務日誌の頁をめくった。
日本のライフマートで、午前二時に発生した、ロス。
そのとき、俺は金属球に、触れた。
金属球。
「魔導具の、出口。だから、俺は転生した」
俺は、自分でも初めて、そう言葉にした。
リリアが、すぐ後ろで、息を呑んだ。
「サクラ・タクヤ。あなた、自分の転生の理由まで、いま、解いた、の」
「はい」
「日本のドラッグストアの、棚に紛れていた、教会の魔導具の、断片」
「ええ」
「それに触れた、地味な作業員が、こちら側に、引きずり込まれた」
「そういうことです」
俺は業務日誌を閉じた。
「ですが」
「ですが?」
「だからこそ、俺の業務日誌の頁は、教会の、絶対的な証拠になります。なぜなら――」
俺は、自分の業務日誌の表紙を撫でた。
「これは、教会の手が、絶対に届かない、異界の記録だからです」
王は俺の話をすべて聞き終えて、深く頷いた。
「サクラ殿。私から、宮廷の議会と、各地の冒険者ギルド、商業組合、魔導士組合に、緊急召集を、かける」
「お願いします」
「証拠の開示は、君がやるか」
「俺がやります」
王は立ち上がった。
「歴史が、動く瞬間に、立ち会えるのは、私と君と、ここにいる者だけだ」
俺は頭を下げた。
頭を下げながら、業務日誌の表紙を、もう一度、撫でた。
ありふれた、手帳の表紙。
十年前、新人研修で支給された、安物の手帳。
それが、今、この世界の最強の証拠になっていた。
緊急議会は、王宮の、最大の広間で開かれた。
各地の代表が、夜を徹して馬車で駆けつけた。冒険者ギルド連合会長、商業組合大評議員、魔導士団総長、地方領主の代表者、それから、王の弟、王の叔父、王の従兄弟。
俺は、広間の中央に立った。
エプロン姿のままだった。着替える時間も、惜しかった。
王が、俺を紹介した。
「異邦人サクラ・タクヤ。本日、彼が、世界の真実を、開示する」
ざわめきが、広間に、走った。
俺は深く頭を下げた。それから、ゆっくり業務日誌を開いた。
「皆様のお手元の、各地からの報告書を、ご覧ください」
俺は、共通様式の報告書を用意し、その束を配らせていた。
「この数字は、皆様の、お住まいの土地の、過去十年の、消失分です。麦、魔石、聖水、薬草、そのほか、生活に必要な物資の、消失分」
代表たちが、自分の地方の数字を見た。
息を呑む音が広間中で起きた。
「これらの消失は、自然減耗ではありません。意図的な、移送です」
「移送先は」
商業組合大評議員が、震える声で、聞いた。
俺は、地図を広間の中央に広げた。
「中央点。王都・大聖堂」
広間が、静まり返った。
完全な静寂だった。
その静寂を破ったのは、王の叔父である、老公爵だった。
「サクラ殿。この数字、嘘でないと、誰が、保証する」
俺は頷いた。
「私の業務日誌は、教会の手の届かない、異界の記録です。教会には、書き換えができません。さらに、五百年前、千年前の、同種の記録も、王立図書館の禁書庫に、原本として、残っています」
俺は補足した。
「数字は、私が嘘をつきたくても、つけません。この場の皆様の、地方からの数字と、付き合わせれば、全ての桁が、合います」
老公爵は、自分の地方の報告書を開いた。
それから、自分の手で暗算を始めた。
数分後、彼はゆっくり立ち上がった。
そして、俺に向かって頭を下げた。
「サクラ殿。我が領、五十年分の、消失の謎が、解けました」
ざわめきが、また、広間に、走った。
各代表が、次々と、立ち上がり、頭を下げた。
権威ある人々の、長い、長い、お辞儀の波だった。
最後に、王の弟である若い公爵が、立ち上がった。
「サクラ殿。一つだけ、伺ってもよろしいか」
「はい」
「あなたは、なぜ、この仕事を、引き受けたのですか」
俺は、しばらく考えた。
「頼まれた、からです」
「それだけ、ですか」
「それだけです」
公爵は、首を傾げた。
「我が国の、半分の歴史を、ひっくり返すほどの、仕事を、頼まれたから、と」
「俺の業界では」
俺は、ゆっくり言った。
「頼まれた仕事は、丁寧にやる、というのが、基本です」
公爵は、息を呑んだ。
呑んでから、笑った。
笑いながら、俺に向かって、もう一度頭を下げた。
「あなたの、業界の、教えを、私は、生涯、忘れません」
俺は頭を下げ返した。
下げながら、業務日誌に書いた。
「頼まれた仕事は、丁寧にやる。基本」
書きながら、ライフマートの、新人研修で、最初に教わったことを思い出した。
新人研修で、講師は、こう言った。
「皆さん、入社、おめでとうございます。今日から、皆さんに、お願いしたいのは、たった、ひとつです。頼まれた仕事は、丁寧にやってください。それだけです」
俺は、その言葉を十年守ってきた。
それが、世界を、変える日が、来るとは、十年前の俺には、思えなかった。
王が、俺の隣で、ぽつりと言った。
「サクラ。これが、君の力だ」
俺は頷けなかった。
頷くと、何かが、零れる気がした。
俺はただ業務日誌を抱きしめていた。
その夜、王宮の応接間で、最終的な、教会本部への、立ち入り調査の段取りが、組まれた。
王立魔導士団二十名、近衛百名、それから俺と、グレンと、リリアと、宮廷魔導士長。
「サクラ殿、武装は」
近衛長に、聞かれた。
「いりません」
「丸腰では」
「業務日誌が、武器です」
近衛長はしばらく、俺を見ていた。
それからゆっくり頷いた。
「分かりました。あなたの周りは、私の部下が、守ります」
「お願いします」
夜が更けて、俺は応接間の隅で、業務日誌を、見直した。
最後の頁を開いた。
ミレイアの巾着の中に入っていた、彼女の手帳の、一行を写したページ。
「神は、聞いてくださらない、と知っている。それでも、祈った」
俺はその下の余白に、新しい一行を書いた。
「数えるという行為は、祈りに、似ている」
書いて、ペンを置いた。
書いた直後、業務日誌が、強く光った。
光は、俺の手のひらから、肘まで、駆け上がった。
何かが、起動した、と感じた。
明日、大聖堂で、最後の棚卸しを、する。
その準備が、整った、ということだった。
俺は業務日誌を、閉じて、エプロンのポケットに押し込んだ。
押し込みながら、ふと思った。
ミレイアはちゃんと、生きているか。
教会の、地下牢で、彼女は寒くないか。腹は、空いていないか。
考えても、答えは、なかった。
俺はただ明日を待った。




