混じりものはシノダノモリには還れない ⑥
手の中にある端末と睨めっこをしていた潮は、やがて汐緒とのトーク画面を開くとポチポチと入力して送信する。数分もしない内に彼から了承の連絡を確認した潮は、トーク画面を閉じて小さく息を吐いた。
事のあらましは、放置して久しいホームページから祓い屋の仕事が舞い込んできたことから始まった。
基本的に奥螺から横流しのように仕事の案件を貰っている潮だが、本来は協会に属していない立場でそうしょっちゅう仕事を貰うことは宜しくない。協会の連中からは良い顔をされないし、何かあった時に色々面倒臭いことになるからだ。
とは言ってもほぼほぼ奥螺から仕事を紹介してもらっているのだが。
流石に良くないよなと一時期ホームページを作ってはみたのだが、基本的に胡散臭いと疑われるのが普通である。ホームページから潮に直接依頼がくることは稀だった。それこそ、追い詰められ藁にも縋るような人間か、もしくは金がない人間か。
奥螺にはホームページに掲載している料金価格をもっとあげるべきだと小言を言われるが、基本的に協会を通した依頼は金額が高くなり、そうなると必然的に財力がある人間しか依頼できない。本当に助けが必要な力のない人間は諦めるしかないのだ。それが気に食わないから、潮は自分へ直接依頼がある時は料金を安くしている。最早潮本人も存在を忘れつつあったホームページから依頼の連絡がきたのは一昨日のことである。
昨日の内に依頼者に会って話を聞いてきたのだが、内容的に一人では荷が重かったので汐緒に頼ることにしたのだ。
依頼主の名前は今純平。二十代半ばのオドオドとした態度の男で、仕事で訪問集金の案内のため住宅街を歩いていたところ、ふいに入った路地裏にある屋敷に足を踏み入れてから変な現象に苛まれるようになったという。
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「いつもならリストにないとこには行かないんだけど、その日は何でか気づいたら路地裏に入ってて」
その屋敷はまあまあ立派なものではあったが、左右を木々が遮っており、どこか物悲しい風情があったそうだ。
「気づいたら俺は勝手に玄関に入ってて、あ、いや、いつもはそんなことしねぇよ? ……でもあの時は何でか許可されてる気がして入っちまったんだ」
ゾッとするほど人の気配がない家で、その時点で帰るべきだったのに、男の足は誘われるように奥へと進んでいた。
「暗くて湿っぽい家でさ、歩く度に廊下がギシギシなるんだよ。そんでずっと奥にさ、部屋があるんだ。襖って言うの? その閉じられた襖の前に沢山の札が貼ってあって、襖の前に黒い和服着た婆さんが立っててさ」
無表情の老婆は今を呼ぶように小さく手招きをした。それに誘われるまま今は襖の前へと歩いて行った。老婆が襖を開けた瞬間、なんともいえない臭いがしたという。薄暗い部屋に目を凝らすと、奥には巨大な仏壇のようなものがあり、壁の上の辺りには無数の写真が飾ってあった。
蝋燭に照らされたそれらをよく見るために今は持っていたスマートフォンのフラッシュライト機能を使って写真を照らした。
──そこには白無垢を着た女性と紋付き羽織袴を着た男性が写っていて、その横には何故かその女性だけが一人で写っている写真が並ぶようにかけられていた。
「……俺はそこで気づいたんだ、あれは、あれは遺影だったんだよ。結婚式の写真の横にあったのは、新婦の遺影だったんだ!」
小さく悲鳴を上げた今の横で、老婆が高らかに哄笑するように宣言した。
『冥婚はなされた!!』
その瞬間、結婚式の写真に写っていた新郎たちの顔が一瞬にして苦しむように歪んだ。どこかから沢山の拍手の音が聞こえた瞬間、今は全速力でその場から逃げ出したらしい。
その際老婆の『逃げても無駄じゃ、冥婚は成立した!』と嗤う声がした。
「調べたんだけどさ、冥婚って死者と結婚することなんだろ? あの時のあの臭いは、死臭だったんだ」
身内の葬儀の時に嗅んだあの独特な臭いだと、今は真っ青な顔で呟いた。
「俺、俺、どうなるんだ? 俺は死ぬのか?」
窶れた彼からは確かに残穢の気配があった。そしてそれとは別に、妖怪が獲物につけるマーキングの気配が今からはしていた。こうも複数つけられている人間もそうはいない。
「あんた、屋敷で他にはなんかやらかしたりしたか?」
「してない、してないよ! マジで拍手が聞こえた瞬間真っ直ぐ走って逃げたんだ! なんか触ったりとかもない」
路地裏から住宅街に逃げ出した今が慌てて振り向いた時には、その路地裏そのものがなくなっていたという。
そして問題はその後だ。
彼が屋敷から逃げ出したその晩、寝ていた今のアパートの窓に変な影が映るようになった。その影は夜な夜な今のアパートの窓の前をうろついては、何事か探すようにブツブツと呟いてその内消える。
「俺怖くてもう、眠ることもできなくて。だから友達んとこに夜逃げ込んだんだ。たぶんあの影は俺を探してるから、アパートにいなければ大丈夫だって思って……」
しかし影は友人の家にまでやってきた。声を殺しながら友人を起こそうとするが、驚くほど友人は目覚めない。そこで息を殺して窓の外を見つめた今は、そこでギョロリとした巨大な目玉と目が合った。
「日にちが経てば経つほど、影の姿が鮮明になっていくんだ。たぶんもうすぐ俺は見つかる。あいつの姿が全部見えるようになったら、あいつは俺に気づくんだ」
ブルブルと震える男には、ハッキリと死相のようなものが浮かんでいた。死臭に近い臭いがしていることに、たぶん本人は気づいていない。
とりあえず気休めでしかないが、気配を妖怪から認知されにくくなる札を彼に渡して、窓に一つ、部屋の四隅に毎日新しい盛り塩をするようにだけ伝えてすぐに汐緒へと連絡したのだった。
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話を聞いていた汐緒は飲みほした缶コーヒーをゴミ箱へと捨てながら首を傾げた。
「迷い家ですかね?」
迷い家。山奥で迷った時にだけ偶然辿り着くことができる無人の屋敷。中には豪華な家具や家財道具があり、庭には立派な家畜が飼われている。迷い家にあるモノを持ち帰るとその後富が手に入るという異界に存在する屋敷のことである。
人間を呼び寄せる──誘うという意味では似ている点があるが、迷い家はそもそも無人であることが前提にある。今が遭遇したモノはどちらかと言えば呪いの家、又は呪われた屋敷に近いだろう。
行けば障る場所ではなく、無理矢理呼ばれて障られる場所、屋敷そのものが呪いになっている場所である。
「迷い家ではねぇな、たぶん呪われた家──冥婚だなんて古い因習があった時代に実在してた家がベースだろうな。大抵そういう家は絶たれるし、呪いの家になりやすい」
「まあ、人間の呪詛と恐怖と怨念が渦巻いていたら、生者が住める場所じゃなくなるのは当たり前ですからね」
問題は今が誘われた場所である。
「まぁたあの地区かよ」
「土御門の管轄場所ですね」
勿論土御門家の管轄とはいえ、今回潮宛の正式な依頼なので文句をつけられる筋合いはないのだが、かと言って何かあった時に名家と揉めることは避けたい。
なので、そのための汐緒であった。
もしいちゃもんをつけられたら汐緒の家を盾にするつもりである。権力には権力を、名家には名家をぶつけろ作戦である。
「つかそもそも土御門家って結界術に秀でた家だろ。あの近辺も結界が張られてるから、基本的には弱い霊的存在や妖怪は入れない筈なんだよな」
「そうですね。特に当主である円くんはその道のスペシャリストですし、管轄場所で異界に通じる場所がある時点で気づきそうなものですが」
「え、お前土御門の当主と顔見知り?」
「顔見知りというか、まあ、一度当主に決まった時に顔合わせみたいな感じで挨拶したことがあるだけですよ」
流石名家の息子である。何かあれば汐緒に任せようと肩を竦めながら依頼主が迷いこんだとされる住宅街まで足を運んだ潮は、あからさまに残穢が滲み出ている場所を発見して顔を歪めた。
「ここだな」
「そうですね。問題はどうやって入るかですが……あちらから招き入れてくれればいいんですけどね」
「そこだよなぁ」
どうしたものかと顎に手を当て思案する。
そもそも今が老婆に言われたという冥婚というものは、正確には死者と生者で行うことはタブーとされている。元々幼くして亡くなった者や未婚のまま亡くなった若者の魂を慰める意味合いで始まったもので、冥婚では死者と死者、もしくは死者と架空の存在を夫婦として婚姻させるものである。
日本では冥婚風習としてムサカリ絵馬に夫婦の絵を描くものがあるが、そこでも相手役に実在する生者を描くことは禁忌とされている。もし禁忌を破れば、描かれた生者はその後あの世へと連れて行かれるからだ。なので古くから冥婚とは死者同士、もしくは架空の存在相手との婚姻をさしているのである。
「ここら辺触ったらパカッて開きませんかね」
ふいに汐緒が残穢が色濃く滲み出ている場所を冗談めかして何の気なしに触れた。
「あ……」
「嘘だろ」
すると濃い霧が視界を遮ったかと思うと、次にはなかった筈の薄暗い路地裏が口を開けてこちらを待ち構えていた。
「……招いてくれたみたいですね」
「お前の顔が好みだったんじゃね?」
乾いた笑みを浮かべながら背中を叩けば、汐緒は困ったように口元を歪めた。
「ま、手間が省けて良かったな、行くぞ」
寒い季節の筈なのに、路地裏はいっそ妙に生温い風が吹いていた。
奥まで行くと立派な屋敷が見えてきて、潮たちは入り口の前で足を止めた。
「よし、入るか」
扉を開けてズカズカと入って行くが、確かに人間の気配は感じなかった。
「臭ぇ」
「はい、死臭がします」
なんというか、家の造りが変だった。玄関から長く続く一本の廊下の先は構造的にありえないほど長く、そして廊下以外には他に一つも部屋がない。
「外観と中がだいぶ違いますね」
汐緒の言葉に一つ頷くと、前方に今が話した通り札が貼られた襖があり、その前には老婆が一人立っていた。
「……汐緒」
「はい」
すぐさま犬神を出した汐緒は、しかしハッとした様子でいきなり背後を振り返った。
一体どうしたのかとつられて後ろを見た潮は、予期せぬ第三者に目を見開いた。
「な、は?」
見知らぬ高校生くらいの少年が、どこかぼんやりとした表情でこちらを見つめていたのだ。全く気配に気づかなかった。それは気配に敏感な汐緒も同じようですぐさま警戒した表情を浮かべる。
「おい、お前何でここに……」
少年に声をかけた潮は、その彼の顔に見覚えがあることに気づいた。
いつだったか、カフェの前でスレ違った不思議な気配のする少年である。
少年は潮の声にゆっくりとまばたきをすると、途端怪訝な顔で周囲を見渡してから「へ?」と気の抜けた声を洩らした。
「え、え、嘘っここどこ!?」
サッと顔色を青くした彼はしゃがんで叫び出す。
「ヤバいヤバいヤバい! 円くんに殺される! 不可抗力、不可抗力なんですぅ~」
「お、おい、落ち着けよ」
「潮さん下がって、無用心に近づかないで」
肩を掴まれ止められるが、少年はパニックになっているのか哀れにも鼻水と涙で顔が大洪水を起こしていた。
そんな場面ではないというのにワアワアと騒ぐ少年にどうしたものかと戸惑っていると、ふいに沢山の拍手のような音が耳朶を打った。まるですぐ近くでされているかのような近さに警戒すると、しゃがれた声が響いた。
「見つけたっ……!!!!」
それは喜色を滲ませた、老婆の声だった。




