混じりものはシノダノモリには還れない ③
ニコニコと笑顔のまま口元にアイスを乗せたスプーンをグイグイ押し付けてくる汐緒に、潮は無我の境地で口元を引き結んだ。
「どうしたんです潮さん、早く食べてくださいよ」
片肘をついて頬杖をついた姿勢のまま微笑む彼の笑顔から圧を感じて小さく口を開いた。
「無理やりの給餌エグ~」
「お前は何でいるの? 帰りなよ」
潮の隣に座る平のことなど微塵も視界に入れずに間髪入れず切り捨てた汐緒に、思わずおずおずと尋ねた。
「潮、怒ってる?」
「ハハハ、やだなぁ何でそう思うんですか? 心当たりでもあるんですか?」
乾いた笑い声が寒々しく、思わずゴクリと喉を鳴らした。彼は口元だけに笑みを携えて小首を傾げる。
「そうですね、例えば連絡してものらりくらりと誤魔化されたり、プライベートだけじゃなく仕事でも顔を合わせないように避けられたりとか、そんな心当たりでも?」
ひくっと口の端が引き攣った。間違いなく怒っている。まあ、外で彼に声をかけられた時点で気づいてはいたのだが、汐緒が潮相手に直接怒りを抱く姿を見るのは初めてだった。
あの後近くの駅まで無理やり連れて来られたのだが、何を思ったのかそのまま近くにあったカフェに押し込まれたのだ。平はただ暇だし面白そうだからと勝手についてきた。嫌な男である。
「え、あんたしーちゃんに避けられてたの? なのに場所つきとめて押し掛けたんだ、ウケんね」
スプーンを持つ汐緒の手にビキリと血管の筋が浮かぶのを目撃した潮は、目を彷徨わせてからそっとスプーンの矛先を逸らした。
「……悪かったよ、汐緒ゴメン」
「俺は謝ってほしい訳じゃないんです。……俺を巻き込まないために避けたんですよね、でも俺は巻き込んでほしかった。貴方に守られるだけじゃなく、お互いに支え合いたかった。ねえ、潮さん……俺はそんなに頼りないですか?」
真っ直ぐこちらを見つめる琥珀色の瞳には、傷ついたような色が浮かんでいた。
「今さらお前には関係ないって、貴方の中から追い出さないで」
ひたむきなその目はまるで忠犬のようで、最初はただの大型犬の仔犬くらいに思っていたのにと思わず笑ってしまった。
「そうだよな、うん、わかった」
いつの間にか、あの忌まわしい化け物から守りたいと思うくらいには彼のことが可愛くて仕方なくなっていたようだ。
「あー……聞くか? オレとあの呪い屋、アンノウンの忌まわしい縁について」
「え、いいんですか?」
「まあ、あんま気分の良い話じゃねえけど」
「は? ちょっと待って。巻き込まないって何、あのひとがしーちゃんに接触してきたってこと?」
飽きてつまらなさそうにストローを齧っていた平が尖った声を出した。
そういえばこの男もあの呪い屋と縁が繋がっていたなと視線をやった。潮の話とはいえ、半分は彼も似たような経験をしている筈だ。勝手に話すのは不快だったかと平を見ると、彼は唇をむうっと尖らせた。
「前回だけじゃなかったってこと? しーちゃん限定で? え、ズルくね??」
「お前はあいつに会いたいのか?」
「うん、まあね。あのひとぶっ飛んでて面白ぇし」
身体に刻まれ棲まわされた蟲の苦痛と恐怖を思い出し眉をひそめる。死んだ方がマシだと思う目に遭わされても飄々としているのは、やはりこの男の頭が可笑しいからなのだろうか。
「あ、しーちゃん今失礼なこと考えてる? しーちゃんがあのひとのことどう思ってるか知らないけど、俺は別にあのひとの恨んでないし、嫌いでもないんだよね。そもそもあのひとが俺を連れて行かなかったら、俺はとっくに死んでただろうし」
サラリとそう告げた平にギョッとすると、彼はなんてことない表情で背凭れに凭れた。
「俺の親、男の方は知らないけど、女の方はクズが人間の皮を被ったみたいた奴でさ、大体泣いてるか暴れてるか男咥えこんでるかで、マジでメンヘラの権化みたいな人だったんだよね。そもそも俺を産んだのも堕ろせる時期過ぎたから仕方なくだったし、おまけに俺は視える体質だったから、あの女やあの女の母親からしたらただでさえいらない子なのに気味が悪かっただろうね」
淡々と語るその表情には悲しみも苦しさもない。平にとってそれはただの事実で、母親さえも自分を産んだだけの存在でしかないのだろう。
彼の幼少期が哀れだと思えるほど、潮自体親の記憶もなければ親への思い入れもない、ある意味で空洞という点では同じようなものなので、そんなものかと納得した。なるほど、平がアンノウン相手に負の感情を抱いていないのも頷ける。そもそも奪われたという認識が平にはない。あくまで劣悪な環境から違う劣悪な環境に変わっただけで、本来ただの子供なら死んでいたであろう状況で、たまたまとはいえ生きぬく異能力を手にできた。
彼からしたら普遍的な地獄の中、より生存確率が上がる手段を貰えたくらいの感覚なのだろう。
「……なあに、何か言いたそうじゃん?」
平の言葉に汐緒を見ると、彼はいえ、と少し困惑した様子で首を振った。
「同情した? 同情しちゃった? 女の子ならよく可哀想ねってよしよしするけど、あんたもしてくれんの?」
ふっと笑った平は楽しそうに手を叩いた。
「こんな話珍しくもなんともねぇよ? 今この時だって虐待されてる子供はごまんといる。腹が減って寒くて気失うほど殴られて蹴られてゴミ以下の扱いされながら死ぬのを待つだけ。なんてことない、意味も価値もないよくある話」
長い腕が伸ばされ平の手が汐緒の髪を慰撫するように撫で──それから悪戯するように少しだけ引っ張る。
「あんたって嫌いな人間相手でも同情すんだね。もっと合理的な奴かと思ってたけど、やっぱあーちゃんと一緒だね。ひもじさと寒さに震えたことない、親の愛情をパンパンに詰められた、そんな甘やかされて愛された顔だ。親の手は自分を殴るものじゃなくて撫でて慈しんでくれるものだと信じて疑いもしない」
言葉だけ聞けば皮肉にも聞こえるが、しかし平の声には揶揄する響きも嫌悪の感情も滲んではいなかった。ただ可笑しそうに肩を竦めて汐緒の髪から手を離す。
「責めてんじゃねぇよ? あんたのことは特になんも思わないけど、あーちゃんのああいう素直さや真っ直ぐな態度は嫌いじゃないから」
ニンマリと笑って平は頬杖をつく。
「それより俺はまだ能力のこと話してなかったことに驚いてんだけど。しーちゃん秘密主義すぎるでしょ」
平のからかうような声にムッと唇を尖らせるが、汐緒が強引に詰め寄る原因にもなったことでもあるので文句は呑み込んだ。
「……ま、そうだな。はぁ……だから今からきちんと話すよ、聞いてくれるか汐緒」
「……! はいっ」
力強く頷いた彼に、潮は小さく口元を綻ばせる。
そして、ゆっくりと話し始めた。




