混じりものはシノダノモリには還れない 始まり
お前、死ななかったんだね。
あのひとに初めてかけられた一言は、そんな言葉だった。少年をここに連れてきたのはあのひとだったが、たぶんきちんと少年を個としてあのひとが認識したのはその時が最初だったのだろう。
あのひとは誰のこともきちんと認識してはいなかったから。
子供ながらにこのひとは他者への関心が全くない部類の存在なのだと悟っていた。
美しいあのひとは、自分以外の存在は塵芥でしかないのだろうと。
別に少年にとって命などどうでもいいことだった。生まれたことすら軽く扱われ、いや、そもそも生まれたことすらたまたまだったのだから、他人から生を望まれたことがないのに、どうやって自分の命を大切に思えるのだろう。
快楽の延長線上にまろびてた命に、そもそも価値などない。
だから少年にとって、命など、生き死になど些末なことだったのだ。少年が生き延びているのはたまたまだ。たまたま死ななかった。だから生きているだけに過ぎない。その日だってそう。生き延びたら腹一杯飯を食わせてくれると言われたから、死なないように行動した。
「お前はまるで欲がないね、不思議な子だよ。与えられた痛みにも恐怖にも感情にも屈辱にも、全て無関心だ。いや、平等と言った方が近いのだろうね。まるで平均的に平等で、平らみたいだ」
そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。少年を産んだ女も、女がいなくなったため代わりに少年の面倒を見ることになった初老のあの女も、表情が変わらない彼を見て気持ち悪い子、可愛げがないつまらない子、空虚な子など色々言ってはきたが、平らみたいだと誰かに言われたことはない。
「お前、もし次も生き残れたなら一つだけ何か願いを叶えてあげるよ」
「一つだけ……」
「家に帰して、などの類は無理だけどね」
口元だけで笑うあのひとに、少年は頷いた。それはそうだろう。なんせ少年を連れて来る際に保護者は殺されているのだから、帰っても意味はない。そもそも帰る場所とは本人が欠片も思っていないのだから。
少年は次も生き延びた。最初とは違い、二回目は少年ともう一人の少女だけしか生き残ることはできなかった。
先刻まで息をして動いていた少年少女たちの躯はまだ生暖かい。あのひとはひょいひょいとそれらを身軽に避けながら、生き残った数を確認するようにこちらを見た。
「あの」
「うん?」
袖を引こうとして、自らの血で手が汚れていることに気づいて声だけをかける。
「生き残れたら一つ願いを叶えるって話は有効?」
「願い? あぁ……! お前あの子供か」
石ころを見るような無機質な目に、ほんの少しの感情のさざ波が見えた。
「個性のない容姿をしているから、判別ができなかったよ」
たぶん顔自体忘れていたとは思うが、願いを叶えると話したことは忘れてはいないようだった。
「分かりやすく派手な見た目をするといいよ」
切れ長の目がなんの躊躇もなく悪意を垂れ流すが、たぶんそれはこのひとにしてみれば通常運転なのだろう。まるで好意のように悪意を向ける歪なこのひとは、可哀想なまでに美しく、そして孤独だった。
誰もきっと、このひとを理解できる人間などいないだろう。少年も、理解はできない。
「おれを、名前で呼んでほしい」
「名前で? 変なことを言うね」
けぶるような睫毛を瞬かせたそのひとは、少しだけ怪訝な顔をした。
「名などただの識別番号のようなものだろうに」
まるで奇妙な生き物でも見るような目をしたそのひとは、けれども「まあ、いいよ」と頷いた。
そして次の瞬間には興味が失せたのか、作り物の笑みのようなものを浮かべてふいっと視線を逸らした。
「ご飯の時間だよ、さあ行こうか」
名前など確かにこのひとにしてみれば何の意味もないものだろう。しかしそれは、少年にしてみれば初めての贈り物だった。あのひとにしてみればそんなつもりもないのだろうけれど、少年にとってそれは初めて個を認識する名前を貰ったことと同義だった。
──平。あなたがくれた名前です。
いつ死んでも、生きても、どうでもよかった。
でもあなたに名前を呼んでほしいから、もう少しだけ生き残ってみようと思います。




