インガメは水甕の中で手を伸ばす②
「……は?」
今、聞いてはいけないような単語が聞こえた気がするのだが。
「あらあら、泰三さんってば」
頬に手を当てながら微笑ましそうに笑う芹夏に泰三はやっと潮の存在に気がついたのか一瞬あ、という表情をした。目線だけ汐緒に向ければ彼は彼で困ったように苦笑する。
「今回話したいことあるっていいましたよね、実はこのことだったんです。本当は俺の口から説明したかったんですが……まさか当主様が、父さんが口を滑らせてしまうとは」
「……すんまっせん」
舌をペロリと出して頭を掻く泰三からゆっくり目を逸らしていると、ふいに潮の手に汐緒が触れた。
「薄々潮さんは気づいていたかもしれませんが、俺は犬塚本家の人間なんです」
「あー……」
分家の人間のわりに特別扱いをされている時点で何かあるのだろうと思っていたのは確かだが、まさかこんな爆弾をヒョイッと投げられるとは思ってもみなかった。
確かに初対面の時ならばそんな立場の人間を傍に置いて仕事をするなど面倒臭いと断っていただろうが、最早今更である。
「……まあ、今更お前が本家の人間だろうがどうもしねえよ」
「嫌いになりませんか?」
「その質問は俺に好かれてる前提なのか?」
「違うんですか?」
捨てられた子犬のような表情に思わずため息が出る。
「今更だっつってんだろ。なんも思わねえよ」
「……! よかった……」
嬉そうにしている汐緒の背後にあるはずのない尻尾の幻覚を見ながら、ふと輝良のことを思い出す。知らないとはいえがっつり兄弟の悪口を言ってしまったなと思いながら、まあ嫌いなことは事実なのでまあいいかと肩を竦める。
「お前、兄貴と似てないな」
「汐緒は私似だからね。輝ちゃんは泰三さん似なの」
「へぇー……え?」
口を滑らしてしまった手前気まずいのか、芹夏の隣でそわそわしている大男を視界に入れながら、思わず怪訝な声が漏れる。
輝良はどちらかというとクリッと目が大きくて可愛らしいアイドルのような顔立ちをしている。確かに目の前の男もよく見ればクリッとした目をしているが、いかんせん他のパーツが全て大きかった。
「本当よ? 泰三さんは、昔本当に可愛かったのよ~。一族の中で一番小柄で華奢で、豆柴みたいで年上のお姉さん方から大人気だったの」
「芹夏ちゃんやめてはいよ、はつかしか~」
見た目は厳つい男が照れた生娘のように手で顔を隠す姿は思っていたよりも視界の暴力である。
「いつの間にか気づいたらハスキーみたいになってしまったけれど」
犬種には詳しくないが、利口な犬種であろうシェパードやドーベルマンを出さないあたり褒めているのか貶しているのかわかりにくい。
「それよりも父さん、この人が俺がお世話なっている生嶋潮さんだよ」
「おお! 君が潮くんか! 俺は犬塚家当主、犬塚泰三たい。倅が世話になってるばい。俺もぎゃん会いたかったばい」
「生嶋潮だ」
「よろしく!!!」
がっつり手を握られ、ぶんぶん振られる。あまりにも屈託のない様に呆気にとられていると、泰三は「まんまんさんに手を合わせんと、カズヱにまた叱られるばい」と慌てて立ち上がった。
「潮くんは泊まっていくんだろう? この家の飯は美味いばい、期待しなっせ!」
ガハハハハハと呵呵大笑しながら出て行った泰三の暑苦しさに戸惑いながら、しかし人好きのする態度はやはり親子だなと感心した。名家の当主であそこまで剣呑さも傲慢さもない人間は珍しい。クセの強さと霊力の強さは匹敵しないが、性格が捻れている人間の方がこの世界生き抜いていくのも確かなのだ。
良い意味で、当主らしくない男である。
「ていうか、犬塚の当主と並ぶとお前の母親年の差凄いな」
「母は五十近いですよ。それに、父の方が一つ下です」
こっそりとそう返した汐緒に、最早何度目かの呆けた声を漏らして呟いた。
「お前の母さん処女の生き血でも飲んでる?」
「母は魔女でも妖怪でもないですよ」
※※※※※※※※※※※※※※
夕方にもなると人が段々増えてくる。手入れされた庭に誘われた潮は、ぼんやりとアップルパイを食べていた。年末の今日より年始の明日の方がもっと親戚が来ますよという汐緒の言葉に、やはり身内の宴会にくるべきではなかった気がするが後の祭りだった。
「潮さんもしかして煙草吸いたいですか?」
「よくわかってんじゃん」
「実はこの奥に喫煙所があるんですよ。父さんも一番上の兄さんも煙草吸うので、奥に喫煙所を作ったんです」
庭の奥にはアーチ型の出入口がもう一つ設けられており、基本的に愛煙家は奥にある喫煙所で吸うのだという。
「あ、でももしかしたら裏の入り口から近いので他の親戚がそっちから喫煙所に行ってる可能性ありますけど」
「ヤニ注入するためなら多少気まずくてもいい」
即答しながらいそいそと立ち上がると、潮は喫煙所まで足早に向かった。喫煙ルームの中にはまだ誰もいない。皮張りの豪奢なソファと大きなテーブルが設置されており、喫煙所というより休憩所のようである。普通に人間一人暮らせる広さだ、流石金持ちの家である。
糀谷の日本屋敷も立派だな、犬塚の洋館も引けをとらない。初め見た時は城か何かかと目を剥いた。
ソファにドカリと腰かけるとすぐさま煙草に火をつけてゆっくり肺に入れる。緊張するたまではないが、流石に名家の当主に会うのは肩が凝る。アップルパイで多少回復した気がしたが、何か食べると吸いたくなるのが喫煙者の性だった。
そうして束の間至福の時を過ごしていたが、ガヤガヤと声の煩い二人組が入ってきたことにより終止符を打つ。年の頃は二十代後半くらいだろうか。最早酒でも飲んでいるのか、赤ら顔の男二人は潮の存在に気づくと馴れ馴れしく近寄ってきた。
「どこの美人が来たのかと思ったわ」
多少訛ってはいるが方言はまったくない。分家の人間か、または遠縁の親族だろう。熊本弁で声をかけられてもまったくわからないが、たとえ標準語でなくともその目に悪意があるのは理解できる。
(だる)
無視していると男たちは小さく舌打ちをした。
「なーんしこってっから」
「馬鹿お前、他県の人間に通じないだろ」
何が可笑しいのかどっと笑う男たちを視界にも入れず新たな煙草に火をつけていると、正面に座る男の一人が嫌な笑みを浮かべた。
「あんた、末っ子の坊っちゃんと組んで仕事してるんだってな」
当主に説明でもされているのか、客人だとわかっていてあえて絡んでくる厚かましさに、対等に見られていないことを悟る。らしいといえばらしい、生まれた家柄でしか物事を測れない典型的なタイプだ。
「よくあれを制御できるなって思ってたけど、はは、確かにあんたほどの美人ならあの坊っちゃんでも言うこと聞きたくもなるわな」
「……あ゛?」
漸く潮が反応を返したことがそれほど気を良くしたのか、男の一人がそのまま潮へと手を伸ばした。
「どうやってあの狂犬を手懐けたのか、俺らにも教えてく……ギャア!!!」
「くたばれチンカス野郎」
伸ばされた手を捻りそのまま煙草の火を押し付けると、男は汚い悲鳴を上げた。
「て、てめえのぼすんなよ!」
「何言ってんのかわかんねぇんだよこの小デブが!」
テーブルに乗り上がり殴りかかってきた男の顎を蹴り飛ばす。怯んだ隙に髪を掴むと、そのまま煙草の火を眼球へと近づけた。
「動くなよゴミカス共。後ろの奴もだ。てめえが動いたらこいつの目ん玉はお前の手とお揃いになるぜ」
「ひ、ひいっ」
「お、お前っ、犬塚本家でこんなことしてどうなるかわかって」
「喋んなつってんだろ」
「あ、熱ぃっ!!」
ジュウッと頬が焼ける音共に、髪を掴まれていた男が絶叫する。
「話聞いてたか?」
「い、いや、動くなって言われたけど喋るなとは……」
「ギャア!」
両方の頬に根性焼きが刻まれた相方を見て、男は蒼白になりながら口をつぐんだ。
「んで、本家でこんなことして、だったか? 逆に聞くがお前らは当主から客が来てるって言われて、その客に絡んでこうなってる訳だが、ん? オレがどうなるって? どうするつもりだ?」
「ひ、ひいっ……!」
ニッコリと口元だけで笑えば、後ろにいた男は腰を抜かした様子で悲鳴を呑み込んだ。叫べば何をされるかわからないとでも思っているのか、ガタガタ震える二人にそろそろ解放してやってもいいかと小太りの男の身体を突き飛ばした。
「もういい、行けよ」
「あ、終わった感じ?」
突然出入口から聞こえてきた声に勢いよく振り返る。いつ入ってきたのか、まったく気配に気づけなかった。
「あ、あ、要さん!!」
「あ、あいつが急に絡んできて」
我先にと出入口にいる男へと駆け寄っていく男たちに、しかし要と呼ばれた優男はのほほんと笑いながら、しかしハッキリ言った。
「うん、君らが先に絡んどったばい。見てたよ」
「え」
「あ、あの、俺ら……」
「僕の可愛い弟の悪口言うなんて悲しか」
その発言に彼の外見が芹夏そっくりだと言うことに漸く気づいた潮は、黙って事の成り行きを見つめた。
「あの、俺たちは」
「うん、わかってるばい。ちょっとええくろただけでしょ? ……でも口には気をつけんと、これが父さんや輝良だったら、君たち二度と本家の敷居跨げんくなるばい」
「す、すみません」
「うんうん、わかったならいいよ」
掌で行きなさいとヒラヒラする要に真っ青になった男たちは、頭を下げながら出て行こうとする。それを後ろから潮が声をかける。
「おい、さっきの言葉」
「「は、はい!!」」
「汐緒のこと狂犬だのなんだの言ってたが、いいか、あいつは良いとこゴールデンレトリバーだ」
「ゴ、ゴールデン……?」
「わかったらさっさと消えろ」
「「はい! すいまっせん!」」
ドタドタと逃げて行く男たちから視線を外すと、短くなった煙草を消してもう一本火をつける。
「ごめんね、げさっかもん見せたね」
「……あぁ」
げさっか? と疑問符を浮かべながら適当に頷けば、要はニコニコと笑いながら隣へと腰かけた。
「君が潮くんでしょ? 母さんがむぞらしかむぞらしか騒いどったばい。あ、僕は犬塚家長男の要です。弟がいつもお世話に、あ、今のなし。これ言ったらいかんやつばい」
口を滑らせる軽さは父親似だなと思いながら、顔だけ見ればひどく女性的な美しさのある男に首を振った。
「いや、さっき本人から聞いた」
「あ、そう? よかったばい、またいらんこつば言うって怒られるところだった」
おっとりした話し方と空気に、三兄弟全員個性が強いなと思わず笑う。特に彼は顔は女性的だが、身長は汐緒よりもある上ガタイもいい。小柄なのは輝良だけかと頭の中で吠えるポメラニアンを思い描いていると、要は葉巻を取り出すとゆっくりと吸ってそれからまたニッコリ笑った。
「君、母さんの言う通りむぞらしかね」
「なあ、そのむぞらしかってどういう意味だ?」
「あぁ、むぞらしかは可愛いって意味ばい」
「かわ……いくはねぇだろ」
思わず噎せると、要は首を振る。
「ううん、むぞらしかよ。それに優しい」
「さっきの光景ちゃんと見てたか?」
躊躇なく暴力に訴える人間を優しいなどと形容する男に胡乱げな視線を向けると、要はふふふと上品に笑った。
「だって君の最後の言葉、狂犬呼ばわりされた汐緒のために怒ってくれたからだろ」
「……違ぇよ、ただあいつはどっかっていうと人懐っこい大型犬だろ。オレは事実を言っただけだ」
生温かい要の視線から逃れるように視線を逸らし、それからポツリ呟く。
「つうか、いつもあんななのか? 本家の人間相手に他人がいる場で失言しないだろ、普通」
「あぁ、うん……まあ、あの人たちは力が弱いからね。どうしても強すぎる存在にはおとろしか、怖がってしまうものばい」
「……」
名家ならば強い者こそ正義で正しいといった側面が強いものだが、犬塚の家は違うのだろうか。
考えても他人の潮には関係ないことだ。
そう切り替えて煙草を消す。
「あ、僕も一緒に行くばい」
同じように煙草を消した要が静かに隣に並ぶのを見ていても、ほとんど気配がしない。常日頃から気配を消しているのか知らないが、やはり三兄弟全員個性もクセも強いなと思いながら並んで歩くのだった。




