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しおとせお  作者: 柚希
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重いこうべをしな垂れる⑫ 完

 血管の中を何かが這い回るような苦痛が身体中に走るのを感じながら、温かい水の中で苦悶の声を上げる。次第に痛みは鈍磨し、泣く力さえ失いつつあった頃、優しい音だけが痛みを緩和してくれるようだった。

 その音は、いつも静かに聞こえていた。優しくて温かくて。


「大丈夫大丈夫よ。早く産まれておいで、お母さんもお姉ちゃんも待ってるよ」


 その音が聞こえている間は、苦しくなかった。けれど、その音は突然聞こえなくなる。

 温かい水と共に寒い虚空へと投げ出され、全身を犯す苦しみと共に、たった一つの光を奪われたことを知った。繋がりを絶たれた。もう元には戻れない。


「あなた、あなた赤ちゃんを返してっ」

「煩い! これは皆のためなんだ!」

「お母さん! お父さん止めて!」


 激しく何かが倒れる音と、誰かの啜り泣く音が聞こえる。


「とみえ、とみえや……」

「お母さんっ……血が……」

「とみえ、あのこを、弟をお願い……」


 優しい音が、聞こえない。


「○○さん、これで、これでいいんですよね? 村の皆は、これで救われるんですよね?!」


 肌から伝わる誰かの温もりは悪意と狂気に満ちていた。こちらを見下ろす誰かから感じるのは、嫌悪。


「そうだね。誰も痛みも苦しみも、これで感じることはなくなる。それを救いと言うならば、君たちはきっと救われる」

「あぁっ……! あぁっ、これで、これでいいんだ。私は正しい! 私はっ……!!」


 何かが入ってくる。痛い、苦しい、でも、何より寂しい。

 ──そうして、虚無に堕とされた。産み落とされ、膿み堕とされた。



「かはっ……!」


 目を開いた瞬間、脳裏にこびりついた虚無(じごく)に潮は床へと倒れ伏した。嬰児を落とさないように咄嗟に胸元に抱え込んだが、込み上げる吐き気は胃の中のものをぶちまけてしまう。

 あの景色を、この小さな存在はずっと見てきたのだ。産まれてすぐに世界を知らず、新しい景色を見る機会すら奪われ、村を回す装置の一部に、生贄にされた。


「っ……はぁ、はぁ……くそっ……」


 震える手を握り締める。この感情には覚えがある。痛み、苦しみ、孤独、そして恐怖。

 ずっと昔、似た地獄の中にいた。身体を好き勝手這い回る苦痛を、潮は忘れてはいない。


『お兄ちゃん……』


 すぐ近くでとみえがこちらを心配そうに見つめている。彼女はきっと、優しい姉になれただろう。口元を乱雑に拭うと、潮な唇の端だけを上げてとみえに笑いかけた。


「大丈夫、お前の弟は弱くない。きっとオレがこっちに引っ張り上げるまで待っててくれる。な、そうだろお前、姉ちゃんたちの元に帰るぞ」


 動かない嬰児を抱え上げ、もう一度蠱毒腹を使う。

 そもそもこの感情も苦痛も潮のものと似ているが、自分のものではない。小さい彼の記憶が、潮に流れ込んでいるだけにすぎないのだ。

 誰かの苦しみは、その人だけのものだ。潮のそれが潮だけのものであるように。

 数多の呪いや悲哀が潮に流れ込んで、抵抗する。


(これはオレの感情じゃねぇ)


 痛みも苦しみも潮はあの日全て飲んで喰らってきた。そうして生きて、今ここにいる。


(舐めんな、痛みには嫌つうほど慣れてんだよ)


 呪いの一つや二つ喰ったとして、今更何だというのか。毒や呪い程度では、潮にはなんの害もなさない。

 同調していた波は消え、その内蟲たちが生き生きと呪いを貪り喰い始めた。じゅるん、と最後の一口を啜った頃には、呪いは全て嬰児の身体から消えていた。


 ぎゃ……おぎゃ、おぎゃあ、おぎゃあおぎゃあ


 ふいに腕の中の嬰児が泣き声を上げた。かつて上げる筈だった産声を、立派な声量で響き渡らせる。


『あぁ、帰ってきた、わたしの大事な弟……』


 いつの間にか小さな目は開き、姉であるとみえを映していた。とみえは潮からそっと弟を受けとると、大粒の涙を流して小さい手に頬をすり寄せる。


『見える? お母さんも待ってるよ、へその緒を辿って、一緒に帰ろう。お母さんの元に』


 光の粒子に包まれたとみえは、優しく弟に言った。やがて弟は何かを手繰るように浮き上がり、そうして消えた。


『お兄ちゃん、お願いを聞いてくれてありがと。やっと取り返せた』

「あぁ、よかったな。……なあ、あの母親の胎盤を何であそこに入れていたんだ?」


 死者を繋ぎとめる、もしくは喚び寄せるやり方は、イタコが死者をその身に降ろす時などにも用いられる手法だ。本来なら死者の没年月日など詳しいことが不明な時にその者と縁の深い私物などを用いるのだが、嬰児は産まれてすぐだったため縁のある物が胎盤しかなかったのだろう。だがしかし、どうして彼女がそんなやり方を知っていたのか。


『○○さんが、教えてくれた。特別にって。絶対じゃないけど、望む力が強ければ帰らせることができるかもって』

「○○さん? 何だ? もう一回言ってくれ」

『ごめんなさいお兄ちゃん、わたしもう行かなきゃ。お母さんたちが待ってる』

「あ、おい……」

「しーちゃん、異形たち全員消えたよー!」


 引き留めようと伸ばした手は、背後から勢いよくのしかかってきた男のせいで空を切る。


「テメッ……平、重いわボケナス!」

「俺はスレンダーなんですけど?」

「いいからっどけ!」


 払いのけながら慌ててとみえの方を見ると、もう彼女はその場にはいなかった。


「っ……平ぁテメェ!」


 手がかりがすぐ目の前にあったかもしれないのに、水の泡だ。


「なぁに怒ってんの。てか、しーちゃん一体何した訳? 異形の中の魂が綺麗に分離して消えてったんだけど。核を喰ったんじゃねぇの?」

「潮さんっ、無事ですか!?」


 怪訝な顔をする平を押し退けるようにして、汐緒が駆け寄ってくる。彼はすぐさま潮の身体を確かめて怪我がないのを確認するとホッと安堵のため息を吐いた。

 その顔を見て、平への怒りが少しだけ薄まる。まあ、どうせ名前だけ聞いたとしても、認識できないのなら意味はない諦めよう。


「呪いだけ喰った」

「んえ? は、マジで言ってる?」


 驚いた顔をする平におざなりに頷いて、それから呪い屋の名前を口にする。


「呪い屋の名前は聞けたが、認識できねぇ」

「呪い屋の名前は○○なんだな?」


 確かめるように輝良が口にするが、やはり音として耳には入るし言葉にはできるが、それを個人の名前とは認識できなかった。それが仮の名前なのか本名なのかは定かではないが、こうまで綺麗に隠蔽能力に長けている人間は、並の呪い屋ではない。チラチラとちらつくアンノウンの影に、己の影法師ごと呑み込まれそうだった。


「どうやったのかはわからないが、とりあえず魂は天に還ったし、その、ありがとな、生嶋」

「は? 何でお前が礼を言うんだ?」

「……最初、お前を責めただろ、自分でもあの魂たちを救う手立てがなかったのに。しかも結局オレは何もしてやれなかったのに、お前は魂たちを救ってやった。だからサンキュな」


 一瞬で顔をしわくちゃにした潮を間近で見た汐緒と平が同時に吹き出した。


「救ってやっただって? 相変わらず傲慢なお坊ちゃんだな。ハッ、何を勘違いしてんのか知らねえが、あいつらは勝手に救われたんだっての。たまたま結果的に魂が解放されただけで、オレが助けた訳じゃない」

「なっ」


 悪辣に笑う潮に絶句する輝良の肩を平が慰めるように引き寄せる。


「しーちゃんは天邪鬼だからさ」


 鼻で笑っていると、ふいに地面が揺れた。


「あ、異界が壊れんね」


 核を失ったことで異界を形作るものがなくなり、存在を保てなくなったのだろう。激しい揺れと酩酊感にたたらを踏んでいると、ふいに柔らかな草むらへと投げ出された。


「潮さん、皆さん!」

「祈、待たせたな」


 どうやら現世に戻ってきたようだ。駆け寄ってくる祈に声をかけると、祈は「思っていたよりも早かったので安心しました」と笑顔を浮かべた。時計を確認すると、潮たちが異界へと足を踏み入れてからこちらでは三十分ほどしか経っていないようだった。

 異界と現世では時の流れが違う場合や、あちらでは時計自体動かないことなど稀にあるため、浦島太郎のようにならなくてむしろよかった。


「これで仕事は終わりだ、帰るぞ」


 山の穢れも綺麗に消えているのを確認して、潮たちは帰路に着いたのだった。





※※※※※※※※※※※※※※



 報告書を顰めっ面で眺めていた奥螺は深いため息をつくと眉間の皺を揉むように解した。アンノウン関連は相変わらず内容も被害も常軌を逸してる。潮曰く「頭の可笑しい奴の思考を理解しようするだけ無駄。あいつはただ遊んでるだけだろ」とのことだったが、果たしてそれだけだろうか。

 何かをしようとしているのではないか、例えば、奥螺にはアンノウンの一連の行動には何かこの世の理ではありえないモノでも創ろうとしているように思えてしょうがなかった。

 得体が知れない存在の行動に理由を求めてしまうのは、常識の範囲内に無理にでも押し留めておきたいがための願望かもしれない。



「なんもなければええんやけどね」


 他人の命を道具にし、他人の人生など玩具程度にしか思っていない。遥か昔から存在している呪い屋。そんな化け物を果たして人と呼んでいいものか。

 あの日の地獄以上のものを、奥螺は知らない。絶望すら呑み込んだ虚無の果てのような瞳をした子供の姿を、奥螺は死んでも忘れることはないだろう。

 

 




    重いこうべをしな垂れる    ~完~

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