重いこうべをしな垂れる⑪
その神社は長い階段を上った先にあった。全ての階段を覆うように赤い鳥居が等間隔で建っており、霧に混ざるようにして奥から夥しいほどの穢れが漂っていた。
「これ、ヤバいな。気持ち悪くなってきた」
「白銀に乗る?」
顔色が悪い輝良は、汐緒の言葉に頭を振る。汐緒自身も影響がないわけではないようで、奥を見つめながら眉間を寄せていた。この場でわりと平気なのは潮と平である。能力の特性上、そういったものにさほど影響を受けないのだ。とはいえ、不快なことには変わりない。
漸く鳥居の階段を抜けると、そこには寂れた神社がポツンと建っており、奥の本殿から穢れが流れてきていた。
「行くぞ」
『ナニヲヤッテイル』
そうして奥に進もうとしたその時、ふいにしゃがれた声が前方から聞こえてきた。濃霧の中目を凝らすと、人影がゆらりと蠢くのが見えた。
「全員警戒しろ!」
そう潮が叫ぶのと同時にグニャリと長いモノがこちら目掛けて飛んできた。札で結界を張り急いで避ける。ブォンブォンとしなるような音と共に現れたそれは、顔だけは辛うじて人の形を残して後は白い異形たちと同じ姿をしていた。まるで異形に成り損なったかのような中途半端な姿に、嫌悪感が湧き上がる。
「潮さん!」
「大丈夫だっ、またくるぞ!」
異形は何度も『ナニヲヤッテイル』と壊れたレコードのように繰り返すと、その長い首を伸ばすように振り回した。ブォンブォンという音は、こいつが自分の首を振り回す音だったのだ。
すぐに白銀が異形に食らい付き、長い首を手で押さえる。そのまま頭から噛み砕こうとする白銀を、潮は叫んで制した。
「待て! そいつ何かを言ってる!」
くぐもった声はひび割れ、聞き取りづらい。見下ろした平が「キモ」と嫌そうに顔を顰めた。
人間に近い要素が混じるほど嫌悪感が増すのは正常な本能だ。自分と同じ形した生き物を別の生き物に変える禁忌を、本能は基本的に忌避する。
『ココカラサキハナンビトタリトモハイルコトハユルサレナイ。ソコニイルノハムラノマモリガミ』
「守り神だって? 祟り神の間違いだろ」
輝良の言葉に異形は目だけをぐるりと動かした。
『アレガイルカラミンナシアワセニナッタンダ。クルシマズカナシマズ、アノヒトガイッタトオリ』
「お前……村長か」
混じっているせいで気づかなかったが、あの人という発言で思い出す。
「お前が何かしたんだな」
『ワタシハスクッタノダ、アノジゴクカラ。ミンナヲスクイダシタ』
「救っただと!? 村人たち全員異形になってるのにか?!」
拳を握り締める輝良の目には、はっきりとした侮蔑が籠められていた。
『ワタシガムラヲスクッタ。ブガイシャニハワカラナイ、ワカルハズガナイ。ワタシガツクッタ、アタラシイマモリガミヲ、ワタシガアレヲカミニシタンダッ……! ワタシノチヲヒク、ワタシノイチブダッタモノ!』
ハッと犬神憑きの男たちが息を呑む。
潮は眉間を寄せて異形の顔を殴り付けた。
「お前っ、テメェのガキを生贄に使ったな?」
『イケニエ? ハハハハハハハハハハハハッ……! アレハカミノウツワニナッタンダ、ソシテイマデハカミソノモノダ!! ゼンブゼンブムラノタメッ……』
「白銀、噛み殺せ」
凍えるような硬質な声が、異形を引き裂いた。振り返ると、無表情のまま汚物でも見るように睥睨した汐緒が淡々と呟く。
「村のためじゃなく、自分のためだろ。どうして自分の望みを他人のせいにするんだよ、反吐が出る」
「汐緒?」
無造作に足を踏み下ろす彼によって、異形の身体は肉塊へと変わっていく。そうして無表情で足を振り上げる汐緒を、潮はハッとして漸く止めた。
「汐緒、汐緒、もういい。やめろ」
「……潮さん」
以前にも一度、似た様子を見せたことがある。何をトリガーにしているのかわからないが、彼には触れてはならない逆鱗があるのだろう。近くで躊躇う様子を見せている輝良を視界に入れながら、そっと汐緒の背中を撫でると、彼はぼんやりとした様子からハッとした顔をした。笑顔を作ろうとして失敗したような表情に、あえて何も言わない。
「大丈夫か?」
「はい、すいません。……行きましょう」
ニッコリと今度は上手に笑う男を眺めながら、平が輝良の肩に寄りかかった。
「何あれ、あーちゃんの身内情緒不安定じゃね?」
「……色々あるんだよ」
「ふぅん? まあ、いいけど……それよりまた囲まれてる」
平の言葉にハッとして周囲を見渡すと、いつの間にか夥しい数の異形に囲まれていた。
「いや、集まりすぎだろ。村にいる奴ら全員来た?」
舌を出した平の隣で、輝良も犬神を顕現した。
「数が多すぎる!」
階段を上ってきた異形たちがぎゅうぎゅうと犇めき合い、他にもどうやら階段下から集まってきているようだった。異界に入ってから全員が霊力をフル活動している。流石に皆強い疲労の色を見せていた。
核となるモノはすぐ目の前にあるというのに、これでは先に霊力も体力も尽きてしまう。
「あ~無理、ジリ貧じゃん!!」
楽しむ余裕があった平も流石の数に辟易した様子で髪を掻き毟ると、チラリと輝良を見てから彼に叫んだ。
「あーちゃん今から見るやつは他言しないでね! 後、色々聞いてくんのもダルいからやめて!」
「は、はあ!? 何?!」
「いいから、返事!」
「わ、わかった!」
「よし!」
何をするのかと視線をやると、彼は一瞬で周囲を黒い靄で覆うと、下から異形が入ってこれないように巨大な壁を作った。
「これでもう数は増えねぇ! ま、俺らも閉じ込めたから逃げらんないけど、中にいる数くらいはなんとかなるでしょ!」
靄だと思ったのは大量の蟲で、平は一瞬であの数を出して壁の代わりにしたのだ。
(次元が違いすぎるだろ)
思わず笑ってしまう。
「何だこれ、虫?!」
「あーちゃん突っ込まない! 目の前の奴らに集中して!」
「お、おう!」
下から入ってこれないとはいえ、まだ中には大量の異形たちがいる。軽口を叩く暇などない。
「しーちゃん、キリないから先に行け!」
「あ? でも数が……」
「全員霊力切れなったら俺が頑張った意味ねぇだろっ」
逡巡する潮に気づいた汐緒が、ポンッと背中を押した。
「行ってください、ここは俺が凌ぎます」
「……わかった、頼んだぞ」
邪魔な異形を薙ぎ倒して、潮は駆け出した。急いで本殿の中に入った潮は、中心で穢れを放っている厨子を勢いよく開けた。途端穢れ臭気が直撃するが、怯まずに手を伸ばして引摺りだす。
「……これは」
頭部が少しだけ膨張した、人間の嬰児がそこにはいた。ひどく小さい、か弱い嬰児だ。呪いを埋め込まれているのか、その身体はどす黒い。とうに死んでいる筈なのに、その小さな身体は生温かかった。弱い呼吸をしているのを見て、思わずギクリとした。
産み落とされてすぐに神の紛い物に作り変えられたせいで、この嬰児は生死の輪廻から外れてしまったのだろう。生まれたのに死んでいる。生が始まる前に組み込まれたせいで、死の概念すらない。
生まれながら死んでいる。死にながら生きている。
──なんと、哀れだろうか。
生物の領域から外れた、可哀想な子供。
喉の奥を苦いものが蓋をする。小さな身体をこのまま喰らえば、きっと呪いのような穢れは消え、異界は消失する。ただそうなれば誰の魂も救われることはない。全てが無に還るだけ、存在が虚無に堕ちるだけだ。
時間はない。何を躊躇う必要がある。
嬰児自体に強い力はない。ただ、この村を顕現する木の根の役割をしているだけだ。
喰えば終わる。終わるのに。
いつの間にか頬を汗が伝っていた。
『お兄ちゃん』
静かに顔を向けると、背後にとみえが悲しそうな表情で立っていた。
『お兄ちゃん、助けて』
「俺は……」
『弟を、助けて』
もう一度、腕の中にいる嬰児に視線を落とす。前回魂を分離できたのは、ある意味奇跡のようなものだ。あれは混ざっていたが、これは混ざるよりも複雑で、最早組み込まれ、一部になっていると言ってもいい。時間がない中で、果たしてできるだろうか。
「……くそっ」
悩んでいる暇はない。覚悟を決めた潮は、小さく息を吐くと呟いた。
「蠱毒腹」




