重いこうべをしな垂れる⑨
村の霧は先刻よりも深いものとなっていた。まるで煙の中にでもいるようで、数歩先すら危うい。いつ異形が出ても可笑しくない中、ふいに平が訊ねた。
「しーちゃん、何で犬神の奴らじゃなくて俺にしたの」
「は? んなもん能力使うために決まってんだろ。それにお前も随分お利口な祓い方してたからな、鬱憤溜まってんだろ」
平の本来の祓い方はもっと広範囲で大雑把だ。力任せが得意といったやり方を好むこの男が、器用に見えにくいやり方で蟲を操っていたことに逆に驚いたほどだ。性格に難があるだけで、本来この男は器用だ。蟲のコントロールや制御の仕方だけは、昔から密かに一目置いている。平は潮の言葉にニヤリと口角を上げると、独特な笑い声を零した。
「そうだよ、俺は案外空気を読むタイプだからねぇ、おーちゃんのためにもお利口にしてたんだぁ」
「んじゃあ今から遠慮はしなくていいぜ、全部喰え」
壊さず喰らうことが本来の力の使い方だ。手の甲を合わせ、足を踏む。
「蠱毒腹」
濃い霧に潜むようにいる存在を、蟲で絡めとる。同じように哄笑しながら異能を展開させた平が、いきいきと異形たちを呑み込んでいった。時間はそれほどかからなかった。本来この力は、大勢に対してこそ真価を発揮する。
「ふぃー、やっぱ力はこう使わねーと面白くねーよな!」
かなりの数を喰らって元気一杯になっている男は、口元を押さえながら俯いている潮を見ると不便なものでも見るように肩を竦めた。
「相変わらず能力と相性悪いね」
「うっせ、お前が可笑しいんだよ」
空腹と飢餓感は副作用みたいなものだと割り切っているが、慣れることはない。身体に無理やり収められた異能は、本来持ち得ない代物なのだ。負荷がかかって当たり前だった。
「生きてるサンプルは俺としーちゃんしかいねぇんだから、俺が可笑しいとは限らなくね? むしろしーちゃんが失敗作かも」
「ほざけカス。化け物の成功作になんかなりたくねーわ」
いつの間にか霧が晴れて見通しが良くなった景色を視界に入れながら悪態をつく。
「あーくっそ腹減った」
「ん? つか何あれ」
「あん?」
数メートル先に建物が見える。その入り口には小さな祠のようなものがあった。二人はその祠がある一軒家まで歩くと、祠の中を覗いた。
「何だこれ」
なんともいえない臭いを発してる円盤状のそれは、赤黒く生肉のようにも見えた。
「なんか腐ってる感じもないし、今切り取った感じあんね」
「手当たり次第に触んなっ……おいっ」
無造作に指先で摘まんだその先に、細長い紐状のものを見つけて思わず顔を顰めた。
「それへその緒か?」
「へぇ、これへその緒なの? 初めて見たわ」
遊ぶようにしている男に嫌悪感を覚えながら、その赤黒い正体が胎盤であることに気づく。
「何でこんなもんが祠の中に……」
『触らないで』
かけられた声に、二人は勢いよく振り返った。すぐ傍まで近づかれていたというのに、気配にきづけなかった。
「何、お前」
『触らないで』
警戒するような平の言葉にも、声の主は先ほどと同じような台詞を繰り返した。
「子供……?」
歳の頃は十かそこらくらいだろうか。オカッパ頭の幼い少女の霊的存在だった。ぼんやりとした魂の形ではなく、生前の姿をしているということは力の強いものか、また土地の影響か。
「喰っていい?」
「待て。……お前、名前は言えるか」
悪霊や怨霊に堕ちた存在ほど真名を知られることを嫌がる。本来なら異界にいる霊的存在は祓うのだが、少女からは不思議と敵意を感じなかった。
『とみえ』
こちらを見上げてくる目には理知的な光が宿っており、とりあえずは他の異形とは違い言葉が通じそうである。とはいえ話が通じるとは限らないのだが。
「これは何だ?」
『お母さんの一部』
「お前がここに入れたのか?」
潮の言葉にとみえは小さく頷いた。
『それに触らないで』
「これに触ったらなんでダメなの?」
『あのこがこの場所をわからなくなっちゃうから。帰れなくなっちゃう』
平の顔が不可解そうに歪む。彼が面倒臭く思っているのを感じながら、潮は平に胎盤を手放すように伝えた。
「あのこって?」
『わたしの、弟。つれて行かれた、お母さんに守ってあげてって言われたのに』
少女の丸い瞳が潤んでいることに気づいて、少しだけ声を和らげる。
子供の相手なら汐緒が一番最適だろうが、今は物腰柔らかな彼はいない。
「弟の名前は?」
『……ない、まだ。お兄さん、わたしの弟を取り返して』
「取り返せって言われてもな……どこにいるんだ?」
「え、しーちゃんそいつの頼み事聞く気? 仕事増やしてどーすんの」
ゲッと平が嫌そうな声を上げるが、無視をしてとみえに続きを促した。
『弟は、神社に……』
そこまで言いかけるととみえは何かに気づいたように顔を強張らせて姿を消した。
「あ、おいっ……」
手を伸ばしかけ、しかしまた囲まれていることに気づく。
「ちっ、クソが」
「呑気に霊的存在なんか構ってるからじゃん」
喰うのにも飽きたのか突如出現した異形を淡々と壊していく平の橫で、仕方なく蟲を出して応戦する。
「結局弟どこにいんのかよくわかんねえし」
蟲を出している間潮が口を利けないことをわかっていて文句を言う男に苛つきながら全て喰らうと、嘔吐感を堪えながら尻を蹴飛ばした。
「痛えっ!」
「男がごちゃごちゃうっせーぞ、このヒョロガリが」
「はあ!? 今時男がぁとか関係ねーし、しーちゃん戦時生まれの人? てかヒョロガリはしーちゃんじゃん!」
「うっせ、行くぞ」
顎で促すと平は怪訝な表情で片方の眉を上げた。
「行くってどこに? まさか神社でも探すつもりかよ」
「違ぇ。そこに家があんだろ、中を見る」
他の民家よりも立派な建物を示すと、潮はズンズン先へ進む。面倒臭そうにしながらも潮の後に続く平に視線をチラリと向ける。
「他の魂があの異形にされてる中、あの子だけは唯一無事だった。何か理由があるのか、あの子が村人なのか行方不明者なのかわからねぇが手がかりになる可能性はある」
「あぁ、だからさっき問答無用で祓わなかったのか。まあ、格好的に今時じゃないから村人なんじゃないの? だったら罠の可能性もあるけど」
「いや、多分とみえは異形の仲間じゃねぇ。あいつが消えたのは異形に囲まれたからだ。その時あいつは怯えた顔をしてた」
平成に入ってから生まれた都市伝説だとすれば、行方不明者は基本的に平成にいなくなった人間だと過程する。しかし平の言う通り、服装や髪型が少し時代を感じさせるというか、レトロなのである。とすれば、都市伝説は平成に生まれたが、村自体はもっと昔に消失している可能性がある。
「時代はわからないが、たぶん平成ですらない、昭和の、それも後期より前かもな。平成で集団失踪なんてあったら流石にオレだって知ってるはずだ。でもんな事件があったなんて話は聞いたことねぇ」
それに集団が消えたとなればそれは只事ではない、つまり異常なことは、人ならざる者の仕業が関わっているケースが常だ。当時の祓い屋たちが解決できなかったのかどうかは定かではないが、本来なら一度戻って近い事件がなかったか調べたいのが本音だった。ただ戻っている暇はない、ならば少しずつでも異界の村を調べ尽くすしかない。
「とみえが村の人間なら、当時村に何が起こったのか知ってる筈だ。そっから解決の糸口が見つかるかもしれねぇ」
「そういうことならしょーがねーけどさぁ」
玄関からすぐ近くに居間があり、荒れてはいるが思ったよりも部屋の状態は悪くはなかった。
「うわ、何これテレビ? 画面ちっさぁ、なんか丸っこくて可愛いんだけど」
「これ白黒テレビじゃね? 教科書で見たな、昭和の三種の神器」
「え、何それ知らね。三種の神器とかウケんね」
義務教育を鼻で笑うこの男は、そういえばマトモに机にすら向かわないと昔奥螺が弱音を吐いていた姿を思い出して当時の彼に同情した。
「オレは奥探すからお前二階行け」
「へーい」
昭和型板ガラスが嵌め込まれた引き戸を開けると台所があり、その奥の部屋にも特に手がかりとなるものは見つけられなかった。
「なんもねぇか」
「しーちゃん! 手帳みたいな物見つけたー!」
そろそろ集合場所に戻らないと行けない時間も迫っている中どうしたものかと周囲を眺めていると、上の階から平の呼ぶ声が聞こえてきた。すぐに上に向かうと、その部屋はどうやら書斎のようで、その傍らにいた平の手には手帳のようなものが握られていた。
「中に写真あるよ。んで何か日記みたいなん色々書いてある」
平から手帳を受け取って中を見ると、最初のページには家族写真が挟まっていた。
「とみえだ」
「んね。やっぱ村人だったね」
手帳の持ち主は父親だろうか。祖父母であろう人間ととみえ、それから父親と腹が膨れた女が映っている。母親は妊娠しているようだ。ならば腹にいる子がとみえの弟になる子だろうか。
○月○日
村で体調不良の人間が増えてきた。流行り病だろうか? 医者も原因がわからないと言う。
○月○日
わたしも体調が悪かったが、漸く治った。やはり原因がわからない。
○月○日
赤ん坊が死産している。一体何が起きているんだ。わたしのところの赤ん坊は無事に生まれてくるだろうか。
○月○日
二階さんのところの赤ん坊が生まれた。だが、あれを無事に生まれたと言っていいものか。一体あれは何なんだ。
○月○日
村の空気が悪い。男たちがこの村は呪われていると言い出した。近くにあの工場を建てたから、山の神が怒っているのだと。そんな馬鹿げたことがあるものか。
○月○日
もうこの村は終わりかもしれない。男たちと女たちの間で諍いが凄い。どうすればいい。村長とは名ばかりだ。わたしには何もできない。
「こいつ、ここの村長だったのか」
○月○日
あぁ、生まれた! わたしのところにも遂に生まれてしまった! 医者が大きい病院の医者たちを連れてくると言っていたがもう遅い。手遅れだ。わたしはこれでケジメをつける。もうこれしかないのだ。そうすれば呪いは止まる。あのひとが、あのひとがおしえてくれた
最後の方はマトモな精神状態ではなかったのだろう。綺麗に書かれていた内容が、後半になるにつれミミズがのたくったような酷い文字で書き殴られていた。
「とりあえずこれ持って一回集合場所に戻るぞ」
村で何かが起こったのは確実だった。それに最後のあの人という一文は、多分呪い屋が関係している。
手帳を持った潮は、平と共に急いで集合場所へと戻ったのだった。




