重いこうべをしな垂れる⑦
どうやらそこは集会所のような場所であるらしく、広い室内には脚の低い大きなテーブルが一つだけ置かれているだけだった。
村の家屋は全て茅葺き屋根で造られているが、この建物だけはどちらかというと近代的な造りをしていた。
「あー疲れた。喉渇いたし、誰か飲み物ない?」
「ねえよ」
薄暗い室内をドカドカと気にすることなく踏み荒らした平は、テーブルの上にドカリと座ると潮の言葉にがっかりしたように肩を落とした。
「それにしてもあの数の異形は何だ? 想定してたよりも多いぞ」
「全部祓うにしても流石に数が多すぎるし、いったい後何体いるんだろう? 村中祓い続けてたら流石に俺たちがもたないよね」
汐緒はそのままにしているが、輝良の方は霊力の温存のために犬神の顕現を一時解いている。
「……つうか、気づいてるか?」
「何をだ?」
同じタイミングで顔をこちらに向ける犬神憑きの男たちは、こうして並ぶとどこかよく似ていた。顔立ちはそうでもないのだが、なんというか、雰囲気──反応というか、確かな血の繋がりを感じる。
「霊的存在の気配を一切感じない」
潮の言葉の続きを平がとって呟いた。彼はピアスがついた自分の耳を弄りながら、つまらなさそうにこちらを見つめる。
「ありえなくね? まあ行方不明になった奴らは百パー生きてはいないとしてもさ、ならその肉体から離れた魂はどこに行ったわけ?」
「平の言う通りだ。行方不明になった人間がこの村でもし死んだ場合、未練もなく成仏する訳がない。なのに、さっきから遭遇すんのはあの白い異形だけだ」
「……喰われたってことか?」
「──まあ、その可能性は高いかもな」
霊的存在を喰って力に変える異形や妖怪は珍しくもない。怨霊と化した霊的存在ですら他の霊的存在を取り込んで力を増やすタイプもいるくらいなのだ。
「ともかく、オレたちのやることは最初と何も変わらねぇ。むしろ行方不明者の魂がもうないなら、無駄にやることも減って難易度は下がるくらいだ」
「おい、囚われた魂をそのままにするって言うのかよ」
「話聞いてたか? 喰われてるって話だろうが。そうなったらもう魂の欠片すらねぇよ」
「おまっ……迷える魂を救ってやろうって気はないのか!?」
「喰われた後に残るのは欠片すらない残骸だ。いや、残骸すら残ってねえかもな。……で? お坊ちゃんは消化されて残りカスにしかなってない魂をどうやって救うんだ? あの異形の腹でも裂いて助けにきたよ、とでも言うのかよ」
「っ……生嶋っお前!」
胸倉を掴む輝良の手首を強く握り返して鼻で嗤えば、顔を真っ赤にした男は怒りに燃える目で睨み付けてくる。
「輝兄、やめて」
汐緒の大きな手が、華奢な輝良の肩を掴んで止めに入った。
「お前、こいつの味方すんのかよ!」
「兄さん、やめろ」
けして口調は荒くない──むしろ静かで穏やかなものだったが、一切の抵抗や拒絶を赦さないといった声だった。他人を跪かせ、言う通りにさせる雰囲気とでも言うべきか。温度のない彼のそんな目は初めて見た。
掴まれた肩は潮が思っているよりも力強く握られているのか、輝良が一瞬怯んだ顔をする。
「……わかった」
渋々手を離した輝良に、汐緒はホッと安堵したような顔をしてから、いつもの人好きのする笑みを浮かべて掴んでいた肩を撫でた。
「ゴメン、ちょっと強く握っちゃった」
「いや、オレも少しムキになりすぎた」
感情を静めるように大きく深呼吸した輝良は気持ちを切り替えるためか、少しだけ部屋を出ようと奥に続いているであろう襖に手をかけた。そのまま静かに襖を開けた瞬間、目の前には大きなしろい身体が視界いっぱいを埋め尽くした。
「あ?」
潮からは首から上が見えないほど大きいそれは、関節を無視した動きで頭だけを下げると静かに口を開けて輝良の顔目掛けて噛みついてこようとした。
咄嗟のことに、本人も潮たちも反応が遅れる。
「輝兄!!」
白銀がすぐさま迎え撃とうと体勢を低くするのが視界に入ったが、とてもではないが間に合わない。
「え~ヤバァ」
マズイと顔を顰めたその瞬間、いつの間に移動したのか、ぬるりとした動きで輝良の襟首を掴んで後ろへと引き倒すと、平は自分の腕を大きな異形の口の中へと躊躇いもなく突っ込んだ。
「おい、お前っ腕が……」
すぐさま顔を上げて状況を理解した輝良の表情が一瞬にして強張った。慌てて駆け寄ろうとする輝良を「ウゼェからそこにいて」と一蹴した平は、うんうんと唸ると、何かに気づいたように笑った。
「うわぁ、こいつヤベェ~俺のこと吸収しようてしてる」
「おい馬鹿っ早く抜けよ!」
最早肘まで呑み込まれているというのに呑気に笑う男をゾッとした顔で見ながら、焦った輝良が叫ぶ。
「ん~……まあ、大丈夫大丈夫。あ、へぇ、なるほどねえ」
何かに気づいたのか腕を突っ込んだまま探るようにしている平に声をかける。
「おい、そのままだと喰われるぞ」
「喰われる?」
死んだような鈍さがある男の目が、ぐるりと楽しそうにこちらを見た。
「ハハハハ……あー……冗談でしょ?」
つまらなさそうに嗤った途端、巨大な異形は物凄い勢いで爆散した。何となく予感していたので汐緒と白銀を後ろに下がらせておいてよかった。札で結界を張って綺麗に避けていた潮は、直接肉片を浴びて呆然としている輝良の後ろ姿を高みの見物する。
人間のように血液は赤くないが、脂肪のようなよくわからないブヨブヨと白濁した粘液がその身に降りかかった輝良は、最初こそ驚いていたが次の瞬間にはハッとした様子で平の腕に飛び付いた。
「お前、怪我は!?」
ペタペタと腕の様子を確認するように触られている平は、彼にしては珍しくきょとんとした無垢な表情を浮かべた。怒鳴られるとでも思っていたのか(潮は思っていた)心配そうに自分を見る輝良を不思議そうに見下ろしている。
「ないけど」
「ない? ホントか!?」
「うん……怒んないの?」
「は? 何で怒るんだよ?」
怪訝な顔をする輝良に、平は目をパチパチと瞬かせた。
「肉片まみれにしたから、汚すなって殴られるかなって」
そこで輝良はお互いが粘液で汚れていることを思い出したのか、平の言葉の意味が心底理解できないといった顔をしながら、彼の顔についている汚れをズボンのポケットに入っていたハンカチで拭いてやった。
「確かにお互い汚いな。でもな、オレは助けてもらっておいて文句を言うような恥知らずで不義理な男じゃないぜ」
平は輝良を珍獣でも見つけたような目で食い入るように凝視すると、えへぇと妙な笑い声を上げた。ニコニコしながら輝良に体を寄せると、長い腕を背中側に回して囲うようにする。
「ねぇ、あんた名前なんて言うの?」
「は? 今かそれ?」
「うん、教えて」
突然の距離感に輝良は一瞬戸惑う様子を見せたが、元々パーソナルスペースがバグっているのか、敵意も悪意もない様子の平に今までの態度をふっと軟化させた。
「輝良だ。犬塚輝良」
「あきら……じゃああーちゃんだね」
「あーちゃっ……!? それはちょっと」
「俺は平、平だよ」
子供のようにピッタリくっついている平を眺めながら、汐緒に呟く。
「あいつ気に入られたな」
相変わらず何を考えているのかよくわからない男である。行動原理が読めないのだ。まるで小さな子供のように、その時の気分で行動するから嫌気が差す。懐かれたくない相手である。
「輝兄は少しだけ押し付けがましくて鈍感で暑苦しいだけで、懐いてくる相手や身内認定した人には寛容な人ですよ。元々人が好きですし」
「微妙にディスってね?」
「そんなことないですよ。だから潮さんが嫌でなければ、少しだけ笑顔で接してあげればあの人は簡単に心を開きますよ」
「嫌だね。つうか、最早どっちが犬だよ」
「アハハっ……確かにそうですね。でも基本的にうちの一族はそういった特性があるかもしれないです。俺も潮さんの良い犬になれてますか?」
「お前、自分の犬神の前でよくそれオレに聞けるな」
流石に無礼だと噛まれそうな気がする。
「そういうこと聞く時点でバツです」
「バツですか……残念です、わんわん」
油断していい場面ではないというのに、汐緒のふざけた口調に気が抜ける。
「ねえ、しーちゃんハンカチない?」
「ねえよ、んなもん」
「俺持ってるよ。はい、輝兄」
汐緒に手渡されたハンカチで顔を拭っている輝良がじっとこちらを見ていることに気づいて眉を顰めると、彼は平を体に巻き付けながら驚いたように言った。
「お前、笑えるんだな」
「は? 面白けりゃ笑うだろ」
人をいったい何だと思っているのか。鉄仮面の人形ではないのだから、面白ければ笑うに決まっている。
「あー……それもそっか」
輝良は一瞬だけ複雑そうに頬を掻いた後、ハッとした顔で平に向き直った。
「ていうか、お前、平!」
「うん? なあに?」
名前を呼ばれたことが嬉しいのか素直に返事をする平に面食らいながらも、輝良は表情を引き締めて言った。
「何であの時オレを庇った。あ、いや、勿論庇ってくれたことはサンキュ。でもな、あんな腕を突っ込むなんて無鉄砲なやり方をするなんて、どう考えても危険だろ!」
「そっちのが早かったから」
きょとんと不思議そうに首を傾げる平を見て、輝良の表情が引き攣った。
「よくわからないモンに突っ込んで行くなんて、自殺行為だ。下手したら死んでたかもしれないんだぞ」
そこで漸く平は合点がいったとでもいうような表情をすると、からかうように笑った。
「え~どうせ人間なんていつかは死ぬのに、あーちゃんも死ぬのが怖いんだ?」
「そ、そりゃ、誰だってそうだろ……」
屈託ない表情で、平は笑う。
「人生なんて死ぬまでの暇潰しでしょ。それが何で怖いの」
輝良か息を呑んで絶句するのを、平はただ不思議そうに見ている。
理解ができなくて言葉を続けられないのか、それとも不用意に否定して本当にそんな風に思っている男の気持ちを傷つけたくないのかそれは定かではないが、やがて輝良の目が助けを求めるかのようにこちらを向いたので小さく首を左右に振った。
この男の死生観は歪んでいる。それは先天的なものか、後天的なものか潮は知らないけれど。
理解できないのなら無理に寄り添って理解しようとする必要はないし、理解するふりだけされても平だって迷惑だろう。
「そいつはただ単に頭が可笑しいだけだ。気にするだけ無駄」
「え~酷っ。俺泣いちゃう、しくしく」
潮からの助け船で輝良はホッと安堵した表情を浮かべてから、それでも、と平に続けた。
「あんま危ないことすんなよ。誰かか怪我すんのは見たくねえし」
「ふうん? わかった、あーちゃんがそういうなら気をつける」
何も理解していないくせにその場では笑顔で答える男の軽薄さに呆れていると、平はそっと潮の方へ近づいて耳元で囁いた。
「あの白い奴さ、蟲突っ込んで調べて思ったんだけど、俺らに近いよ」
いつも通りの態度のまま、汐緒たちに聞こえないような声でそう囁いた平を静かに見上げる。
「やり方が違うだけで、ぐちゃぐちゃに壊されて混ぜられてる」
「……人間が混じってるってことか」
「そゆこと」
平の肯定に眉間を寄せる。厄介な気配が足元から忍び寄っている気がしてならない。
「ま、俺らの能力も他の奴らからしたら異形サイドと変わんないからねぇ」
喰って、取り込んで、己の糧とする。そうして力を蓄える。潮たちの能力は人工的に創られ与えられた、呪われた力だ。今更何も思わない。
「……行方不明者の所在がわかったんだ、儲けもんだろ」
「教えるの?」
「混ざってることだけな」
潮から体を離した平は、どこか恍惚とした表情を浮かべる。
「俺は被害者も異形にも興味はねぇけどさ、似たような過程でコレを創り出した第三者の存在には興味があるな」
もし潮たちと関わりのあるあの忌まわしい存在が発端だとしたら、ここは奴の遊び場ということになる。
消えることはない縁を、今まではほとんど感じたことはなかった。消え去った記憶も、悼ましいあの日々も、遠い過去のことでしかなかった。トラウマを抱えていると思ったことすらない。どこか他人事のようなあの出来事が、今更になって何故か潮の足を絡め捕ろうとしている気がしてならなかった。
「あのひとに会えっかな」
「さあな。会ってもすぐ殺すだけだ」
平がアンノウンに対してどう思っているかは知らない。同じ過程で同じ方法で同じような能力を手にしてはいるが、そもそも同じ場所で過ごした訳ではない。アンノウンに対して殺意しかない潮とは違い、平はそれほど奴に対して悪い感情は抱いていないように見えた。
「そっかぁ。俺は……どうしようかな」
汐緒たちに行方不明者について教えようと平から離れた潮は、その後彼が柔らかな表情でそう呟いたことに気づかなかった。




