重いこうべをしな垂れる②
客間に通された潮は、襖を閉めるなりその場に座り込んでドッと笑った。我慢していただけに笑いの波が収まるどころか、潮の頬や腹の筋肉を追い詰めていく。
「ひいっ……っ……あはははははははっ、ひぐっ……」
しゃっくりのような変な笑いが津波のように押し寄せては息もできない。小刻みに震えながらひいひい笑う潮の姿を見て、椅子に座ってお茶を飲んでいた奥螺は目を丸くした。
「え、入ってくるなり何をそないに笑うてるんですか?」
「……っだって、こいつ、ひっ……」
「何ですか?」
元凶である当の本人はしらっとした態度で首を傾げている。それがまた可笑しくて声も出ないほどに笑いが込み上げてくる。
「潮ちゃん、死にかけの蝉みたいになってますやん。え、ホンマ何があったん?」
怪訝な顔で茶菓子を食べる奥螺に、やっと息が整ってきた潮は這うようにして近くの椅子に腰かけた。
滲んだ涙を拭っていると、糀谷の人間がお茶を持ってくる。それを見て汐緒のお茶を確認して、自分の分には手をつけない。
流石に名家の出である汐緒の飲み物に何かする気はないようだが、潮の方には何が入っているかわからないので持ってきていたペットボトルの飲料水を取り出した。
「変なのは入れへんようにきつく言っといたから、飲んでも平気ですよ」
「お前のことは信用してるけど、他の糀谷の人間は無理。ま、別に毒が入っててもオレには意味ないけどな」
汐緒も同じように潮の隣に座り、出されたお茶に口をつける。
「え、この家って毒とか仕込むんですか? 客に?」
軽蔑するような汐緒の目に、奥螺が慌てたように頭を掻きながら否定する。
「毒なんて入れへんよ、たぶん……」
「糀谷さん当主でしょ、一族の人間の手綱くらいきちんと握っておいてくださいよ」
「めっちゃ言うてくるやん……。え、汐緒くん何か怒ってはります?」
「糀谷さんには別に怒ってないですよ。ただ、糀谷の直系である人間が、他家の人間がいる前でまあまあ慇懃無礼な態度を見せるのはどうなのかなって」
「また線加が潮ちゃんに何かしはりました?」
口元だけ笑っている汐緒を見て、思わず目を丸くする。
「別にあいつ、お前には普通だったじゃん」
「でも、潮さんにはずっと失礼な態度でした。流石に目にあまります」
表情だけ見れば怒っているようには見えないが、醸し出す空気がどこか固い。
「別にいつものことだし、気にしてない。それにお前が怒ることじゃねぇだろ」
「怒ることです。あの人は潮さんよりもずっと弱いのに、貴方にあんな態度をとるのは俺が許せない。潮さんはもっとあの人に怒るべきです。いつもなら口汚く罵るのに、どうしてしないんですか」
「汐緒……。って、誰が口汚いだコラ」
両手で頬を引っ張ると、思ったよりも柔らかい皮膚が餅のように伸びた。
「いた、痛いです、うひおひゃん……」
つねられた頬を取り返すと、彼は哀れっぽい表情を浮かべて自分の頬を癒すように撫でた。
「いや、まあ、確かに汐緒くんの言う通りやね。うちのもんが失礼しました。どうも、僕は当主に向いてへんね。家のもんにはいつも言い含めてんのやけど、堪忍な、潮ちゃん」
「いや、だから気にしてねえって。マジやめろ、そういいの」
改まって頭を下げられれば、複雑な気持ちになる。
奥螺がいつも人一倍頑張って当主の仕事をこなしていることは潮も知っている。本来当主ともなると現場へと出る回数は自ずと少なくなるのだが、彼は精力的に現場へと足を運ぶようにしている。それもこれも、奥螺が生きている内にアンノウンを倒すためだ。その理由も、潮だということは理解している。潮が望んだことではないが、潮とアンノウンの間には少なからず因縁というか、因果で繋がれている。呪い屋と繋がれた因果や縁は薄くなることはあっても切れることはない。特に潮は特殊だ。たとえ呪い屋が今は潮に興味が失くなり忘れているとしても、あくまで現状はというだけであり、いつアレの気が変わるともしれない。だからこそ、奥螺は早くその繋がりを切ってしまいたいのだ。
いつだって、奥螺は潮によくしてくれている。
「お前は悪くねぇだろ」
「でも、うちの家のことやからね」
当主の言いつけを守らないのは線加たちに非がある。ただ、一族の人間が好き勝手することによって、当主である奥螺が軽んじられた存在であると他家の人間は思うだろう。そうなれば、糀谷の家は当主が上手く機能していないとみなされる。
そんなことは理解しているから、いつも潮は表立って抵抗しないようにしているのだ。騒ぎにしたくない。それなのに他家の人間の前でも通常運転で接してくる線加は、潮が思っているよりも本当に阿呆なのかもしれない。奥螺を当主として誰よりも認め尊敬しているくせに、そこまで考えが及ばないのはあまりにも愚かだ。
「オレはお前が長男で、当主で良かったと思うぜ。だってあいつ馬鹿すぎて、もしあいつが当主だったらこの家詰むって」
奥螺の手元から菓子を奪いながら口角を上げれば、彼は困ったように苦笑した。
「とにかく、この話はこれで終いだ。あいつのあんな顔が見れたし、オレとしては笑わせてもらってラッキーって感じだよ。だから汐緒ももうくだらないことで怒んな」
「くだらなくなんて……」
「わかってる。でも、いいんだよ」
珍しく渋面のまま押し黙る汐緒の頭を乱暴に撫でてやりながら、潮は奥螺へと目を向ける。
「にしてもお前、マジで和服似合わないな」
紺色の落ち着いた和服をピシッと着こなしていると不思議と威厳のある当主に見えるが、普段の格好を知っている身かすると別人でも見ているような気がして違和感がある。
「うちの家のスタンダードなんやけどねぇ」
外だとアロハシャツか派手な柄物ばかり着ているので、たまに糀谷の家で和服を着ている彼を見ると新鮮だった。
「つか、それよりもオレたちをわざわざここに呼び出したってことは、なんかデカイ仕事でもあるからなんだろ?」
「察しが良くて助かりますわ。確かにちょっと忙しくて外に行けなかったのも理由ではあるんやけどね、今回の仕事は君たち以外にも複数人と組んで仕事をしてもらいたいんです」
「潮さん以外とですか?」
これに反応したのは意外にも汐緒だった。彼は気乗りしない様子で奥螺を見ると、不満そうにため息を吐く。
「俺、弱い人の下で働くの嫌なんですが」
「わかっとります。別に君は潮ちゃんの言うことだけ聞いとればええよ。ただ、今回の件は祓い屋が複数人いても解決できるかどうかってくらいの話やねん。他の人に従わなくてもええけど、仕事をする上では協力体制をとってほしいねん。君、頭良いんやから僕の言いたいことわかるやろ」
珍しくチクリと言われているのを横で眺めていると、汐緒は意外にもそれ以上は反論せずに大人しく了承した。思っているよりも彼が機嫌を損ねている様子にどうしたものかと思っていると、汐緒は小さく息を吐いてから切り替えるようにいつもの柔らかな表情を浮かべた。
「それで、メンバーは誰なんですか? 協会に所属している他家の方ですか? それともフリーの方ですか?」
「二人は協会の人間やね。その内の一人は汐緒くんもよく知っとるお人です」
「俺の知っている人?」
「犬塚家の犬塚輝良さんや」
「んげえっ」
思わず心からの拒絶の声が出た。奥螺は苦笑しながら続けた。
「彼なら下手な同業者より納得するやろ」
「まあ、あの人ならまだ……」
「それに、もし潮ちゃんの力を使わなければならんくなった場合、知り合いなら上手くフォローしやすいやろ」
「いや、フォローされるの俺かよ? 別にオレは見られても構わねえよ。仕事をこなせない方が問題だしな」
大人数と仕事をする機会がほとんどないのは能力を人目につかせたくないからだ。しかしだからといって札だけでは対処できなかった場合は仕方がないと思っている。探られたくないことは確かにあるが、命がけの仕事をしているのだからそうも言ってられない。能力を使わず死んでしまったらそれこそ本末転倒である。
「まぁ、僕もいざとなったらしょうがないとは思っとりますよ。だから、もし力を使うことになっても変に勘ぐられたりされへんように汐緒くんが輝良さんを制御してくれればなと」
「それは勿論です。潮さんが嫌な気持ちになるようなことは、俺がさせません」
「いや、過保護か」
思わず突っ込みをいれながら呆れてしまう。まるで繊細な子供を真綿で包むような言動である。
最早文句を言う気持ちすら萎えながら、もう一つ茶菓子を手にとる。
「んで、その犬塚の奴はどこいんの?」
「彼はそのまま現地に行ってもらいます」
「現地?」
「九州の鹿児島やね。潮ちゃんたちも今日はこっちにホテルとったから、一泊してから明日鹿児島に行ってほしいねん」
図らずしも京都を観光する時間ができてしまった。汐緒を見ると、彼もこちらをチラリと見て嬉しそうにしている。
「わかりました。それで、後の人選は?」
「もう一人は言霊を使う一族の開口祈ちゃんや。彼女も明日現地に直接行ってもらいます」
開口家。規模こそ犬塚や糀谷には劣るが、旧い家の一つである。この家は本来祓い屋ではなく拝み屋の家系なのだが、彼らが使用する言霊の力は他家よりも段違いで強く、祓い屋と同じように霊的存在を滅することができる。といっても全ての開口の人間がその力を使える訳ではなく、せいぜい使用できる人間は二割程度である。一族の七割ほどは拝み屋の仕事をし、そして残りの一割が辛い修行を修め、口寄せで霊的存在とコンタクトをとる──所謂イタコと呼ばれている者になる。
拝み屋や祓い屋とはいっても役割が細かく分類されていて、その身に霊的存在を降ろすことができるのはイタコだけである。彼女たちは特殊な方法を用いてその身に霊的存在を降ろすが、本来自らの肉体を他者に貸すことは非常に危険なことなのだ。
やれと言われても潮にはできないし、恐ろしくてやるつもりもない。
別の魂を肉の器に迎え入れ、それをコントロールしながら話をするなど狂気の沙汰だし、本当に巧みな技術が必要なのである。
だからこそ彼女たちイタコはその身に霊的存在を降ろす時、仮の名前を使う。真名を知られることは弱点となり、身体の主導権を奪われる可能性があるからだ。
「あぁ、祈ね……あいつ大丈夫なのか? つか、仕事させてんの?」
「まあ、神事の手伝いやなんやと適当に濁してたまーに仕事させとるみたいよ。あくまで危険がない場所限定やけど」
嘘ではないが、限りなく嘘に近い理由で丸め込まれている年下の少女の姿を思い出す。素直で純粋で、潮の周りにはいないようなタイプの人間だ。
「祈さんとは?」
「あー祈は開口家の長女なんだが、その、あいつは霊的存在とか不可思議な存在を信じてないんだよな」
モゴモゴと歯切れの悪い言い方に、汐緒が怪訝な顔をする。
「信じてない? 拝み屋の家系ですよね?」
「うーん、あいつはさ霊力はあんのに視えないんだよ」
「視えない?」
流石に驚いたのか彼は目をパチパチと瞬かせた。
勿論、そういう家に生まれたからといって全員が視える訳ではない。分家の末端の人間や傍流の人間ともなれば視えない者が大半である。──しかし本家の人間で視えないともなると、まあ珍しいと言えるだろう。
「……もしかして複雑な事情が?」
本家の人間で力が使えないばかりか視えないともなると、この業界の旧い家ならば虐げられ、人間扱いされないとも聞く。汐緒もそれがわかっているからか表情を曇らせて言葉を選んだ。
「あ、いや、そういう訳じゃありませんよ。あの家は家族を大事にする家系やから。祈ちゃんなんて素直で良い子やから、親戚皆に可愛がれて育ちましたからね」
そうなのである。一度だけ祈と彼女の祖父が岩玄の家を訪ねてきたことがあったのだが、とんでもなく猫可愛がりされていた。目に入れても痛くないとはああいうことを言うのだろう。
「そんであいつ物凄い怖がりなんだよな。だから霊的存在なんていないって信じてないんだよ。でもさ、あいつがそう言った途端、何が起きたと思う?」
あれは初めて会った日の出来事である。四つ下の幼い少女の相手をさせられ困惑しながら縁側でオセロをしていた時だった。
当時家の近くで交通事故があり、そのせいか亡くなった人間が千切れかけた手足を引き摺りながら家の近くを徘徊することがあった。特に害はないのでそのままにしていたのだが、何が原因か、その霊的存在は力を得ていて家の敷地内に入ってきたのだ。とは言えただこちらをニタニタ笑いながら見つめてくるだけで何かしてくる訳ではないのだが、いかんせん近い距離で手元を覗き込まれるのも不快だった。
それが態度に出ていたのか、祈は潮の視線を追うようにしながら「どうしたの?」と聞いてきた。その時はまさか彼女が視えないということを知らなかったので、そこにいる奴がウザイと正直に指を指せば、彼女は涙を浮かべながら「え、なに? 誰?」と震えた。
そこで霊的存在、幽霊だと答えると、彼女は泣きながら怖い怖いと言うと「幽霊なんていないもん! みえないもんっ」と叫んだ。
「そしたらさ、消滅したんだよ、そいつ」
それは本当に見事なものだった。一瞬光の粒子が集まったかと思うと、次の瞬間には綺麗に霧散していたのだ。
「……それって、他の生きてる人にも影響出るんじゃないですか?」
間違いなく出るだろう。だからこそ強い言葉を決して他人には使ってはいけない。口にしてはいけないと物心つく前から言い聞かせられながら育てられたらしい。
「こっからはオフレコにしてほしいんですがね、彼女の言霊に込められる力は特別なんですわ。流石に世界を滅ぼせるみたいな現実改変はできないとされているみたいやけど、もし彼女が自分の意思で誰かを害そうと言霊を意識して使えば、容易にできてしまうんです」
一族でも類を見ない程の霊力の持ち主だが、彼女は何故か視ることはできなかった。強すぎる力を持って生まれた故の弊害なのか、それとも世界が均衡を保とうとする故の因果なのかはわからないが、だからこそ開口の家では彼女に家業については教えないようにしてきた。
せいぜいイタコを多く輩出している家、くらいには教えられているだろうが、そもそも本人自体は霊的存在といったものが苦手なため信じていない──というより信じないようにしているようだ。
一族のたった一人の長子ではあるがそもそも家業を継がせるつもりはないようで、基本的に彼女の存在を知っている者は潮を入れて両手で数えるくらいである。あくまで一般人というカテゴリーなので。
「だから今聞いたことは汐緒くんの中に留めておいてほしいんよ」
暗に口外するなという奥螺の視線に、汐緒は静かに頷いた。
「つうか、祈が来るならオレたちほとんどいらなくねえか? それとも一か所に複数いるのか?」
「あーそれなんやけどね、彼女には異界を開いてもらう役割を担ってもらうんやわ」
「異界? てことは都市伝説が絡んでんのか」
「見立てではね。仕事内容を説明したいんやけど、後一人がまだ来てへんのです」
「後一人?」
「そ、彼しか都合がつかんくてね。潮ちゃんは嫌がるやろうけど……」
奥螺がそこまで言ったところで勢いよく襖が開けられ、ぬうっと縦に長い体が入ってきた。
「ごめーん、観光してたら遅くなっちゃったぁ」
緩い口調と締まりのない表情。長い手足と、耳だけではなく唇や眉毛にもピアスをつけた派手な男は、悪びれもせずそう言ってへらっと笑った。




