重いこうべをしな垂れる①
イチョウ並木が目を楽しませる季節になった頃、潮と汐緒は奥螺に呼び出され彼の実家がある京都へと来ていた。
「俺、京都って一回しか行ったことないんですよね。観光とかできますかね」
流石有名な観光都市なだけあって、観光客で狭い道路はごった返していた。最早うんざりしながら道を歩いている潮とは対照的に、汐緒は子供のように目を輝かせて辺りを見回している。
「いや、今日は別に観光でこっち来てる訳じゃねぇぞ」
「え、俺、舞妓さんとか見たかった……」
一瞬でしょんぼりと肩を落とす汐緒の顔に捨てられた犬を連想した潮は、小さくため息をつきながら仕方なく頷く。
「時間あったらな」
「本当ですか?」
途端顔を輝かせるものだから、思わず笑ってしまう。
「お前、だんだん子供っぽくなってくな」
「まぁ、まだお酒が飲めない年なんで、大人ではないですね。法的には成人ですけど」
まるで一休の頓知のような屁理屈をこねる大きな体の男の肩を軽く殴ると、彼は八重歯を見せて笑った。
「俺末っ子なんで、弟力がスゴいんです」
「何だよ弟力って。いや、ま、お前は確かに言われてみれば末っ子だわ。末っ子気質がプンプンしてる」
本来他人の面倒を見ることなど一切しないが、付き合いが長くなるにつれ、変に絆されるというか、しっかりしているように見えてどこか危うげなこの年下の男を、どうしてか放ってはおけなかった。これを弟力というのなら、そうなのだろう。
「お前、糀谷本家に行くのは初めてか?」
「はい、初めてです」
「そっか。ま、オレもそんな多くはないけど、あの家についたらイイコでいろよ」
「イイコ、ですか?」
きょとんとした顔で小首を傾げる汐緒に、潮は鼻に皺を寄せる。
「あの家の人間はまあまあダルい。丁寧な口調で嫌味のオンパレードかましてくるから、隙は見せんなよ」
協会と繋がりのないフリーの潮は力の強い家系の同業者と関わることはあまりないが、書類上は潮の保護者である男に連れられ、子供の頃は何回か祓い屋の家系でも由緒正しい家に出入りしていた。そこで思ったが、昔から旧く続く祓い屋の名家に生まれた生き物というものは、総じて皆プライドが高い。
矜持や面子を大事にするのは別に構わないが、それを子供にすら隠しもしないのはいかがなものだろう。
特に糀谷の人間とはあまり相性が良くなかった。
潮の身体のことを知っている人間が多いのも理由の一つだが、現当主である奥螺が潮のことを目にかけていること自体が気に食わない者も多いのだろう。潮に対する風当たりが強く、面倒臭いのでいつもなら呼ばれても健診の時以外はおいそれと行くことはなかった。
「あぁ、糀谷さんがとっつきやすいから忘れがちですけど、名家の人間って基本的に癖が強いですよね」
分家とはいえ同じ名家の出である分思い当たる節でもあるのか、汐緒が納得したように頷く。
「家によっては、分家は同じ家の人間に非ず、みたいな過激なとこもありますし」
「犬塚もそうなのか?」
「俺のとこですか? 俺のとこはそういうのはないですね。皆分家とか本家とかそこまで気にしませんし。でもま、遠い親戚とかになるとまあまあ誰の派閥が、とか、誰々の悪口、みたいなのは勝手にやってるみたいですけど」
犬神も使役できないような人間のことなんて、興味ないのでよく知りませんね。
サラリと言った言葉に、そんなものかと納得する。
他の人間が聞けば能力が低い者を馬鹿にしているのかととるだろうが、多分この男は悪意も何もなく素でそう思っているのだろう。馬鹿にするというよりも、本当に強い人間にしか興味がないのだ。
「お前って犬の鏡だよな」
「え、俺自体が犬ですか? えぇ、初めて言われた」
「いや、お前は犬だろ。よく嬉しい時尻尾ぶんぶんしてる」
「俺にそんなこと言うの、潮さんだけですよ」
ふいに汐緒の指が、潮の頬にかかる髪の毛を耳にかけた。
「狼や狂犬だって言う人はいましたけどね」
光に透ける琥珀色の瞳はキラキラと光ってどこか神秘的だ。瞳だけを見れば感情が読みにくく感じられる。
「いや、お前はゴールデンレトリバーだ」
威力をこめたデコピンをくれてやると、汐緒は目をギュッと瞑って子供みたいに唇を尖らせた。
それを見てからかうように笑いながら道を歩いていると、いつの間にか閑静な住宅街に辿り着く。ずっと続いている切石積みの大きな塀は、全て糀谷のものだ。
「マジいつ見てもデケェ」
土地の始まりから家の玄関先までが非常に長く、遠い。豪邸と聞けば真っ先に思い出すのが糀谷の屋敷だった。
「こっから全部糀谷の土地なの、イカれてんだろ。相変わらずガッポリ稼いでんな」
糀谷の人間に聞かれれば眉をひそませて嫌な顔をされそうなことを言いながら暫く歩いていくと、やっと目的地の正面玄関へと辿り着いた。
「日本家屋って風情がありますよね」
門から正面玄関まで向かう途中、立派な枯山水を眺めながら汐緒が言った。
初めてこの屋敷を見た者はあまりの豪邸に驚くものだが、そういえば先ほどから一度も屋敷の大きさについて言及していないことに気づいて、この男もやはり名家のお坊ちゃんなのだと再確認する。
「お前んとこは違うの?」
「そうですね、犬塚の方は洋館をベースに造られてますね。先々代が本家の方は全て洋館にしたので、分家だけは日本家屋のままですけど」
「へぇ、由緒正しい家って、日本の伝統的な家! みたいなこだわりがあると思ってた」
「あぁ、なんか、犬神の大きさを考えて日本家屋よりも洋式の方がいいなってなったそうです。畳とかだと足腰にもよくないとかなんとか。今はフローリング全て滑りにくい素材のものを使ってますし」
「いや、足腰って……」
まるで過保護な飼い主にような発言に思わず言葉を失う。
「普通の犬じゃないからあんまり関係ないんですけどね。先々代は特に熱狂的な犬神フリークだったみたいで、というか、普通の犬も込みでイヌ科全般が好きだったみたいですよ。屋敷に居る時はなるべく犬神を顕現状態にしなさいって言いつけも、俺は十中八九先々代の私欲からきてると思ってます」
「マジかよ」
最早ただの犬好きという枠では到底収まらない。変態の領域だ。それを強要される子孫や身内はたまったものではないだろう。
最早ドン引きしている潮に、汐緒はなんということはないとでもいう風に肩を竦める。
「俺は邪魔なんでたまにしかしてないですけどね」
そしてこの男は相変わらず犬神に対して雑である。主が怪我をしても、何が一番効率的に主のためになるか理性的に判断できる、大人しくも利口で健気な白銀の姿を思い出して可哀想な気持ちになった。
話しながら玄関の前まで来た二人は、重厚な扉を開けた。
入り口には糀谷の人間が待機しており、当主様の元までご案内致しますと丁寧な仕草で頭を下げた。だが、潮を見る目には相変わらず侮蔑のようなものが滲んでおり、内心辟易する。
そのまま広い廊下に通され歩いていると、前方から最も会いたくなかった人間が和服姿でこちらへ歩いてくるのを発見して、思わず口元がひん曲がる。
奥螺の弟である糀谷線加は、すぐに潮に気がつくとピクリと片眉を上げながら優雅に口元に扇子を当てながら近づいてきた。
「おやまぁ、岩玄さんとこの坊っちゃんやないの。随分お久しゅうて」
背中まである鴉の濡れ羽色の髪がサラリと揺れる。
岩玄とは潮に仕事を教えてくれた保護者代わりの男のことである。
潮を疎んでいる糀谷の人間の筆頭がこの男、線加だった。昔からチクチク嫌味を言われたり、出されたお茶に変な物が入っていたりと嫌がらせに暇がない陰湿で粘着質な男で、身体的な暴力こそされたことはないが、子供の頃から全力でこの男にはいびられたものだ。
線加にとって潮は存在自体が許せないようで、一度も名前を呼ばれたことすらない。まあ、潮もこの男の名前を呼んだことはないのだが。
「どうも」
汐緒がいる手前それほど鬱陶しく絡まれないだろうとおざなりに頭を下げると、能面のようにひっついていた線加の笑みが歪んだ。
「最近見てなかったから、体でも悪うしたのかと思うとったわ」
「生憎ピンピンしてるな」
「……そりゃ残念やね」
鼻で笑った潮に、線加の口元が引き攣る。何事か言いかけ、しかしそこで漸く汐緒の存在に気づいたのか、線加は上品な仕草で向き直ると「あら、お客様でしたか」と声をかけた。
(オレも客だっつうの)
「犬狩汐緒です」
「犬狩家の……? 汐緒さん……あぁ……」
一瞬訝しげな顔をした線加だが、すぐに何かに気づいた様子で頷くと、余所行きの表情を取り繕って微笑んだ。
「わたしは糀谷家当主の弟、糀谷線加と申します。よろしゅう頼みます」
「えぇ、よろしくお願いします」
丁寧な態度で爽やかに微笑えむ汐緒に気をよくしたのか、潮には見せたことのない笑みで線加が言った。
「汐緒さんの話は界隈でもよう聞きますよ。確か、齢十にしてとても強い犬神を顕現させたとか。将来有望な若者がおるんやから、犬塚家も安泰ですなぁ」
「いえ、そんなことは。本家の兄さんがたは優秀ですけれど、俺はまだまだ修行中の身ですので」
汐緒たちの話を聞きながら、彼がまさか十歳の頃には顕現を果たしていたことに潮は内心驚いていた。
自分のことを強いと言うわりに、汐緒はあまり犬神について自分から話さない。能力について一族以外の人間に手の内をあまり明かしたくない者は祓い屋にはよくいるので気にしていなかったが、幼い頃に強い犬神を顕現したのなら、力を誇示する人間ならばペラペラと言いそうなものだが、彼にしてみれば強さは当たり前の日常の一部でしかないということだろうか。
強いことは事実なので明言はするが、それに関する話をするほどの特別性が彼の中にはないのだろう。
「ほんま、君は謙虚なお人やねぇ。どっかの食べるだけの悪食とは違いますわ」
汐緒と楽しく話をしているかと思えば、チラリとこちらを見ながら嫌味を言うことも忘れないのは最早この男の一芸とも言える。
線の細い、顔立ちだけは雅なこの男の顔を好きなだけ殴れたらスッキリするだろうな、とぼんやり考えていると、ふいに汐緒が「でも……」と不思議そうに続けた。
「まさか、糀谷さんに弟さんがいらっしゃるとは知りませんでした。俺はあまり他家には詳しくないのですが、糀谷さんには潮さんと一緒に何度もお会いして色々くだけた話もしたりしますけど、一度もご兄弟について話題に上ったことがなかったものですから」
どうしてでしょうね?
いつも通りの人好きのする笑みを浮かべたまま、汐緒は不思議そうに小首を傾げた。
(うわ、マジか)
いっそ驚くほど慇懃無礼な態度に、線加も絶句して顔色を失くしていた。
咄嗟に無表情を装ったが、腹の痙攣が全身に伝播してしまいそうだった。今誰かが不用意に発言すれば、潮の表情筋はもたない。
ギュッと唇を噛み締めていると、汐緒がニッコリと笑った。
「それでは俺達は糀谷さんに呼ばれておりますので、失礼します」
その場の重い空気など最初からありませんとでもいうように、彼は普段通りの態度でペコリと頭を下げた。
それから端の方で潮たちを案内するために待っていたが、一連の出来事を見て同じように言葉を失っている糀谷の人間に「案内の続きをお願いします」と飄々と声をかけた。
背後で線加の殺意の籠った強い視線を背中に感じながら、潮は部屋の案内が終わるまで口を固く閉じて、俯きながら前を歩く汐緒の足元辺りを見つめたのだった。




