をばれうと鳴き声⑪
山の麓に下りると、何人かの男たちが待機していた。力が失われたことに気づいた村長や、姑獲鳥のことを知っている男たちが蔵の毛皮がなくなっているのを発見して何事かと山へと向かう途中だったようだ。
繁雄がもう姑獲鳥はいないと説明すると男たちは激怒したが、彼はずっと何かを犠牲にして受ける恩恵は続かないと静かに諭した。繁雄は自分は若い者たちにこれからを諭し、自分たちの力で生きることを教えなければならないから潮たちは先に戻れと伝えた。
村の人間ではない潮は端から関わる気など毛頭ないので、さっさと繁雄と男たちを残し、汐緒と二人民宿へと戻った。戻る途中、繁雄のことが気になったのか、「繁雄さん、大丈夫ですかね」と後ろを振り返る彼に、さあなと肩を竦めた。
「ま、自分なりのケジメなんだろ。さすがにこのご時世簡単に殺したりとかはないだろ。人間のやり方なんて、ソッコー警察にバレるわ」
絶対、とは言い切れないが、狭い村で暮らす人間にとって摩訶不思議な力が失われた今、自分の手を汚すリスクは大きすぎる。もし犯罪が白日の下に晒された時、犯罪を犯した本人よりも、その業は身内に向く。二度と身内は村で暮らすことはできないだろう。今はなにも知らない他人がSNSを通して指先一つで刃を振り下ろす時代だ、身内に殺人者が出れば生きにくくなるのは当事者だけでなはなく、その家族もだ。
とりあえず民宿に戻る道すがら奥螺に事のあらましを電話で説明すると、知り合いの警察に話はつけておいてくれるようで、軽く事情説明したら解放するように手配しておくとのことだった。とりあえず駐在の警察に連絡だけするか、と民宿の引き戸を開けた瞬間、本来いないはずの人間の姿を目にして思わず目を剥いた。
「磯村さん?! 何であんたがここに居るんだ?」
そこに居たのは依頼主である磯村守だった。彼は酷く青ざめた顔で、慌てたように駆け寄ってくる。
「あぁ、約束を反故にするようなことをして申し訳ありません。でも、どうしても嫌な予感がして、もう、もう二度と理恵に会えないような、そんな嫌な感じがしてっ居ても立っても居られなくて」
第六感とでもいえようか、あながち間違いではないので渋面を作る。
目の前で友人面をしている男が諸悪の根源だとそのまま伝えるのは、あまりに酷だと潮でさえ思う。どう伝えるべきかと思案していると、先に汐緒が前に出た。
「磯村さん、落ち着いて聞いてほしいんですが」
「な、何でしょう? 理恵が見つかったとか!?」
「はい、理恵さんは見つけました」
「本当ですか!?」
「はい……ご遺体が、山で見つかりました」
聞いていた妙子が小さく息を飲み、磯村は感情の処理が追い付かなかったようで、笑みと呆然の間のような顔のまま固まった。
「は……え? 何……? 遺体?」
時計の秒針の音がやけに煩く聞こえた。汐緒は静かに、しかし事実だけを淡々と伝えた。
この村に伝わる【オボウ様】の真実、村の人間たちが子供と引き換えに力を得ていたことを。
「え、妖怪……? なに? え?」
上手く言葉にならず、はくはくと息を漏らしながら、磯村は漸く絞り出すようにそう言った。
最初からそういった類の存在を信じていない彼にしてみれば、より理解が及ばない話だろう。困惑の中に怒りが混じるのを見て、これ以上説明してもこちらが責められるだけだなと、先程から無言で立っている沖嶋に視線を向ける。妙子の方は幼児期の力のことを思い出したのか、自分の息子が知っていて理恵を外出させたことに気づき、ハッと口元を押さえて顔を青ざめさせた。
「妖怪が関わってることは事実だが、首謀者は人間だ」
「そ、そうですよね? 訳わからん妖怪だなんている訳がないっ……。それで、犯人は!?」
勢いよく潮の両肩を掴んで縋るようにこちらを見つめてくる磯村から視線を外し、顎で後ろを指す。
「犯人じゃねぇ、あくまで首謀者だ。なぁ、あんた、いつまで黙ってるつもりだ? ……沖嶋満」
「え、満……?」
潮の言葉に、磯村が引き吊った表情で背後の沖嶋を振り返る。
「あんた、わざと理恵さんを外に出しただろ。力を貰ったあんたは、腹に子供がいる彼女が夜出歩けばどうなるかなんて、知っていた筈だ」
「満、あんたっ、まさか本当なの!?」
母親の悲痛な声に、沖嶋は静かに俯いていた顔を上げた。しかしその顔は、ゾッとするほど歪な笑みが刻まれていた。
「あぁ、そうだよ、知ってたさ」
「満っ、あんたって子は!!!」
「煩ぇっ! あの女が俺を選らばなかったせいだ!」
非難するように腕を掴んだ妙子を乱暴に突き飛ばすと、沖嶋は血走った目で怒鳴った。汐緒がすぐに倒れこんだ彼女に駆け寄って背中を支えるが、妙子は豹変した自分の息子を信じられないものでも見るように蒼白な顔で見つめるばかりだった。
「何だよ、その目は。俺は悪くない、悪いのはその男を選んだあの女だ!」
「満……まさか、何で……」
「何で? ……何でだって? お前が理恵を俺から盗らなければこんなことにはなってないんだよ! ……そうだよ、そいつらが言った通り、俺が【オボウ様】に拐わせた。全部事実だ」
「お前、理恵のことが好きだったのか……?」
震える声で呆然と呟く磯村に、沖嶋は鼻で笑う。
「そもそもあの女は俺が最初に目をつけたんだ。それを、お前が横からかっさらった。こんな、要領がいいだけの奴にっ……! 周りの奴らも企業も、皆馬鹿ばっかりだ! 俺じゃなく、いつもお前を選ぶっ、俺は【オボウ様】に選ばれた存在なのにっ……!!」
あまりにも身勝手で破綻した言動に、磯村も妙子も絶句していた。
幼稚で周囲を顧みない独り善がりなそれは、とうていマトモな人間の言動ではなかった。
「好きだったら何で、何で拐わせるだなんて、そんなことをっ……」
「……救済だよ。愛してるから。本来なら俺と結婚する筈だったのにお前なんかのガキまで身籠った。だから、解放してやったんだ」
「お前っ、お前ぇぇぇぇっ……!!!」
耐えきれず馬乗りになって磯村が沖嶋を殴打するが、彼は口から血を滲ませながらもどこか恍惚とした様子で嘲笑する。
「これで理恵はずっと俺のものだ! あいつはどこへも行けない!」
「黙れ黙れ黙れ!」
激しく殴る音が民宿に響くが、誰も止めに入らない。妙子は自分の息子の凶行に今にも意識を飛ばしそうになっていた。
「やめろ、それ以上やると死ぬ」
「こんな、こんな奴殺してやる!」
「──理恵さんはそれを望んでいない。あんたが警察に捕まるだけだ」
潮の言葉に、磯村は真っ赤な顔で殴る手を止めた。
「ははは……そうだひょ、妖怪のしわじゃなんて、だりぇが信じるもんか。おりぇは捕まらない、お前だけぇだゃ、ざまーみりょ!」
歯でも折れたのか、ひどく喋りにくそうにしながらも悪態をつく沖嶋に思わずため息をつく。
「そいつの言った通り、妖怪の仕業を立証することはできない。あんたも、未だに妖怪なんて信じきれてないだろ。視えない存在を証明するのは、悪魔の証明みたいなもんだ」
「そんなっ……」
「ハハハ、だから言ったりょ! それに理恵もおりぇが傷ちゅくことを望んでいないんだりょ? やっぱおりぇたちは相思相愛だ!」
本当に不快な男だ。汚物を視界入れるのは心底嫌だったが、仕方なく二人に近づきながら磯村の腕を掴んで立ち上がらせた。ついでに沖嶋の足を蹴っ飛ばしてから睥睨する。
「何勘違いして悦に入ってんだ、キメェ。理恵さんたちは成仏しただけだ。言ったろ、【オボウ様】なんてもういない、縛る存在はないんだよ。……どこにも行けないのテメーだろカス」
話の内容的に、沖嶋は磯村に嫉妬していたのだろう。入りたかった企業にも行けず、好きな女性にすら選ばれず──というより告白すらしていないのかもしれないが【オボウ様】から力をたまたま貰った過去だけをよすがにプライドを保っていた。貰った力に、自分は選ばれた存在だと勘違いし、言い訳と文句ばかりで根を張った。
「理恵さんが最後に気にかけていたのは、磯村さん、あんだだけだ」
「あ、あ……理恵っ……」
声を震わせて嗚咽する磯村を近くに座らせ、見様見真似で背中を擦る。
「おりぇはっ……?」
「は?」
這いつくばってこちらを見上げる沖嶋を視界にすら入れず、潮は鼻で嘲笑う。
「お前なんか欠片も話題になんなかったわ。憎まれも好かれもせず、無関心。理恵さんにとって、お前なんかいてもいなくても同じなんだよ」
「そ、そんにゃ……」
鼻血を流しながら絶望に俯く男に、嫌悪を隠しもせず続けた。
「あんたが選ばれない理由、わかるぜ。腐りきった中身が皮から漏れだしてる。オレが女だったらテメェみてぇなクソ袋みたいな人間、絶対に嫌だね」
「お前に、お前ににゃにがわかるっ……」
「あ」
テケテケのように上半身でにじり寄ろうとする男を一瞬で制したのは汐緒だった。虫でも踏み潰すような軽さで沖嶋の背中を踏みつける彼に、思わず驚いて声を上げる。沖嶋を見下ろす汐緒の表情は、いっそ柔らかい。先程みたいに暴走はしないか、と様子を見ていると、彼は身を屈めると、そっと囁くように沖嶋の耳元に顔を寄せた。
「貴方は先程理恵さんを愛してると、言いましたね」
柔らかい耳触りの良い声に、一瞬沖嶋は呆けるような顔をした。小さく頷く沖嶋に、汐緒は大きな手を伸ばし──その髪を無造作に掴んで引き上げた。
流れるような暴力の気配に、潮も目を瞬いた。
「ぐあっ」
「煩いな、今俺が話してるでしょう」
痛みに呻く男に、彼は優雅な仕草で口元に人差し指を当てる。
先程殴られている時などは余裕そうにしていた沖嶋だったが、キョロキョロと忙しない目に宿るのは汐緒への恐怖である。
「あのね、沖嶋さん。貴方は頭が悪いからわからないのかもしれませが、愛してるは、何をしてもいいの免罪符ではないんですよ」
激しい怒りを見せる人間よりも、静かに笑っている人間の方がよほど恐ろしい。殴られるよりよほど暴力的な
静かな威圧感は、何をされるかわからない恐怖がある。
ひぃひぃと小さな声を上げる男に、汐緒はゆっくりと小首を傾げた。
「あぁ、そう言えば、妖怪相手の犯罪を証明するのは無理、なんでしたっけね」
ハッハッハッハッ……
そこで静かな息遣いをその場にいる全員が耳にした。見えない獣の気配に、隣にいる磯村の身体も強張った。顕現していないとはいえ、視える潮の目にはうすぼんやりと犬神が沖嶋の周囲をうろつく姿が見えた。
(まじかこいつ)
一瞬身構えるが、犬神の目に敵愾心も殺意もないのを見て、そっと肩の力を抜いた。先程のように暴走していないのなら、見守ることにしよう。
「俺、大きい犬を飼ってるんです。……貴方くらいの大きさなら、骨も残さず丸飲みできますよ」
「っ……!」
「あ」
ぎっと潰れた声を上げたかと思うと、沖嶋の目がぐるんと上を剥く。そのまま気絶した沖嶋の下半身は、ジワジワと情けない液体で濡れてしまった。
「あーあ」
「汚ないっ」
乱暴に沖嶋の髪を離すと、猫のような身軽さで汐緒が飛び退ける。
目覚めた時には沖嶋の安い矜持も尊厳も木っ端微塵になることだろう。思わず乾いた笑いを漏らしながら、潮は汐緒の肩を叩いたのだった。
「よくやった」




