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しおとせお  作者: 柚希
25/27

をばれうと鳴き声⑩

 耳鳴りがする。頭の中を搔き混ぜられているかのような、吐き気を伴う気持ちの悪さに体を起こせない。地面に伏せたままの潮の視界に、ひどく焦ったような表情を浮かべた汐緒の顔が映る。


「……さん……っ……。……おさんっ! 潮さんっ! 立って、避けてっ!」

 

 ハッとして咄嗟に体を右に転がした視界の端に、苦しむ様子で暴れている姑獲鳥の姿が映った。


「潮さん、大丈夫ですか!」

「……あぁ、いや、やっぱちょっと気持ち悪い……吐きそう」

「え!?」


 汐緒に支えてもらいながら立ち上がると、口元を押さえる。海の底のような臭いと相まって、酷く気分が悪かった。珍しく驚いた様子で目を白黒させる汐緖に力なく笑ってから、小さく息を吐く。


「……悪ぃんだけど、もっかいあいつの動きを止めてくんね? 次で決着つけるから」

「そんな状態で力を使って大丈夫ですか?」

「……ま、やるしかねぇしな」


 憐れだと言った繁雄の言葉が脳裏を過る。

 確かに憐れだ。彼女たちを人間たちが強制的に憐れな──可哀想な存在にしてしまった。

 己が幸福を得るためにふたりの女たちからささやかな幸福を奪い、祝いを呪いに変じさせてしまった。姑獲鳥に呪い殺されても自業自得、因果応報というものだ。

 それでも、今を生きている村人たちにはなんの罪もないのだ。彼女たちの犠牲の上にある幸福の中で生きているとしても、その存在を知っている人間たち以外は、命をもって償う必要はない。

 弱りかけている姑獲鳥は、先刻よりも容易く地に墜ちた。


「……蠱毒腹」


 姑獲鳥の目には激しい憎悪と、そして哀しみが見えた。彼女たちの苦しみも痛みも、本当の意味では理解してやれない。けれど、せめて人間がしでかしてしまった罪の鎖は、同じ人間である潮が解き放ってやろう。


「解放してやるよ」


 蟲が潜る。一つの身体に押し付けられた二つの魂を。その先に眠る、小さな魂を。

 絡めとり、引き摺り出し、そうして──全てが分かたれた。

 生死を孕んだ海の臭いが弱まり、そこにいたのはふたりの女だった。


「これは……」

「姑獲鳥は、ふたりいたんだ。二つの異なる妖怪が、無理矢理一つにされていた」

「……そんな、惨いことを」


 眉をひそめる汐緒の隣で、白銀が唾棄するように唸った。あまりの悍ましさに、妖怪である白銀ならばより一層忌避することだろう。想像を絶するような悍ましさと醜さを携え、生み出すのが人間である。


「これは返す」


 女たちふたりに毛皮を差し出すと、切れ長の目をした女は憎々しげに潮を睨んだ。地面に投げ出されている足は、どちらも人間の形をしている。


『ドウイウツモリダ』

「飛ぶ羽は返す。だから何処へなりとも飛んで行け」

『フザケルナッ!!』


 激しい怒声が木々を揺らすが、潮は淡々と続けた。


「お前がそいつを連れて好きに何処へ行こうがオレは構わない。でも、もし村の人間を殺したいって言うなら、ここでお前たちを祓う」


 もうひとりの女は多分産女だろう。過去の記憶で視た女だ。姑獲鳥とは違い、酷く消耗している。それほど強い個体ではなかったのだろう。むしろ分かれた瞬間に消えなかったことが不思議なほどだった。


『今サラッ……今サラ何処ヘ行ケトイウノダ! 貴様ラ人間ノセイデオ春ハ!! コノ怨ミ全テノ人間ヲ殺シテモ鎮マラヌッ!』


 血反吐を吐くような声だった。怨嗟の中の哀しみに、苦い気持ちが胸中に広がる。


「オレは、気持ち的にはテメェらが報復すんのは否定しねぇ」


 憎い相手がいる。死ぬよりも酷い目に遭わせたい人間がいる。その気持ちを、少なくとも潮は理解できる。そもそも、妖怪に人間の道理など説いたところで何の意味もないのだ。人の外の生き物に、人間側のルールや法など通用する訳がない上、今回彼女たちは被害者側だ。人間だって復讐するというのに、彼女たちには我慢してくれと強制する理不尽は強いていて気分の良いものではない。それでも、潮は彼女たちが人間に害を及ぼすというのならば、止めなければならない。

 潮は、人間だからだ。ただ、それだけ。


「因果応報だとも思う」

『ダッタラ……!!』

「でも、お前たちに惨いことをした諸悪の人間たちは誰一人もう生きてはいない。罰を受けるべき人間は、この世に一人もいないんだよ」

『享受シテイルナラ同ジコトダ!』


 飛び掛かってくる春天の体を、潮はなんなく地面へと取り押さえた。弱々しく抗う彼女の慟哭は、人間たちの業が招いたものだ。


「……もう一度言う。その女を連れて何処へなりとも行け。もし人間に害を為すなら、今ここで祓う」

『何故ダ……何故、コンナ目ニアワナケレバナラナイッ……我タチガ、オ春ガ、何ヲシタト言ウノダ。コノ娘ハイツダッテ人間ニヨリソッテ、タダ、優シイダケノ娘ダッタノニッ……!』


 ポタポタと黒い液体が地面に落ちるのを見て、お春が表情を曇らせる。妖怪の涙など、初めて見た。

 冷静に、淡々と振る舞え。払い屋として、ただ仕事を全うしろ。

 表情に出ないように歯の奥を噛み締めながらもう一度口を開こうとしたその時、背後からガサガサと草の根をかき分ける音と共に小柄な老人が転がり飛び出してきた。


「待ってくれ!」

「なっ……あんた、何でここに!?」


 そこに居たのは、蔵においてきた筈の繁雄だった。白銀も先刻までの臭いのせいで自慢の鼻が利かなくなっていたようで、繁雄が近くに来るまで気配に気づけなかったようだった。彼はよろよろと這うように潮の足元に縋ると、額を地面に擦り付ける。


「見逃してやってくれっ! やっと、やっと自由になれたんじゃっ……どうか、どうか祓わないでやってくれ!」

「ちょっ……引っ張るなっ!」


 怪力で押されたら堪らないとその手を振り払えば、あっさりと老人の体は地面へと倒れた。それを見て、一つがふたりに戻ったことにより、授けられた力を失ったことに気づく。思ったよりも激しく倒れた繁雄を見て動揺していると、その隙を逃さなかった春天が最後の力を振り絞る様子で潮の体を振り払い、繁雄の体へと覆い被さった。瞬きの間に繁雄を人質にとられ、舌を打つ。


『貴様ラ近ヅクナ! 近ヅイタラコイツヲ殺ス!』


 ギリギリと音が聞こえてきそうなほど強く繁雄の首を掴みながら、春天は血の気のない頬を黒い雫で濡らしながら呪詛を吐き出す。


『憎イ、憎クテ憎クテシヨウガナイッ! 村ノ人間全テ殺シテヤリタイッ……腹ヲ裂イテ臓物ヲ引キ摺リ出シテヤラネバ気ガスマナイッ!!』

「やめろっ!」


 潮も汐緒も動けなかった。どちらも力を行使する前に、繁雄の首をへし折られる方が早い。


「いい……儂を、殺せっ……」

「おいっ、じじいテメェ何言ってやがる!」


 弱々しい手が、春天の手首に触れる。息苦しそうにしながらも、その目は彼女だけを見つめていた。


「咎も、責も、儂が引き受ける……だから、儂の命だけで、勘弁しておくれ……」

『……貴様ノ命一ツデ、帳消シニデキルトデモ? バカナコトヲッ……!』


 春天の指先に一層力が込められるのを見て札を取り出すが、間に合わないと顔を歪めたその瞬間、弱々しい体が春天へと縋りついた。


『やめてっ』


 最早自力で立つことすらままならないであろう体を引き摺って、まさしく這ってでも春天を止めたのは、呼吸することすら苦しそうなお春だった。


『オ春ッ……何故止メル!?』

『もう、やめよう……春天』

『何故ダッ……コンナ、コンナメニ遭ワサレテ、イツダッテッ、人間ハオ前ヲ傷ツケルッ……!!』


 森の中を慟哭のような叫びが竜巻のように舞い上がって空気を震わせる。お春は弱々しくも優しい声で言った。


『春天は、優しいね。でも、でもね、春天には勘違いしてほしくないの……。確かに人間の中には、凄く、怖いことができる人もいる。間違ったことを、見ないふりでやってしまう人もいる。もしくはどうしようもなくて、あの村の人たちみたいに、それしか方法がなくてやってしまう人もいる……』

『ドウシヨウモナイ……? ソンナ、ソンナ理由デ赦セト? オ春ハ、赦セルノカ?』


 春天の唇が感傷に震えるのを、お春は困ったような顔で微笑んで見つめた。


『赦せなくて、いいよ。だって、それは春天の気持ちだもの。でもね、優しい人だって、たっくさんいるんだよ』


 あやすようか柔らかさで、お春は自分の額を春天の額へとすり寄せた。


『春天にだって、優しくしてくれた人は、いなかった……?』


 春天にとってそんな人間がいるとするのなら、それはお春だ。記憶と違わぬ、名前通りの柔らかで優しい娘。

 そんな彼女が死んだ後に妖怪に転化したのは、死ぬ間際に強い感情を抱いていたからだ。妖怪には二つの生まれがある。一つは妖怪の親から生まれること、そしてもう一つは人間から妖怪への転化だ。後者の場合、よほど強い未練か想いがなければ変じることはできない。

 あの優しい娘は、死の間際に一体どれほどの強い感情を抱き、何を想っていたのか。

 春天が言葉に詰まっている様子を見ながら、潮は複雑な気持ちを抱いていた。

 何故これほどまでに優しい娘が、あんな惨い目にばかり遭うのか。憤慨の気持ちが喉を焼く感覚に、春天の記憶や感情に影響されているなとため息を吐く。


『どうしようもなかった……どうしようもなかったんだよ。……私たちだって、子供たちを殺してる。この前は、母親になる筈だった人も殺した』

『アレハッ……! アレハ違ウ! 母親ノコトハ確カニソウダガ、シカシッ子供タチハ殺スツモリデハナカッタ! 我タチノ乳ハ、人ノ身ニハ毒ダッタダケデ!』


 子供を手元に置いたとしても、妖怪で、しかもマトモな精神状態ではなかった彼女たちが生かして育てることなどできる筈もない。腹の空いた子供に他の食べ物を与えるにも、妖怪の特性ばかり強くなっていた彼女たちは、きっと泣く子供を哀れに思って乳をあげた筈だ。

 だがその乳は栄養にはならず、ただ命を刈り取る毒にしかならなかった。

 理恵の嬰児も、きっと彼女たちは殺すつもりなどなかったのだろう。だが、母親の腹から無理矢理引き摺り出された嬰児が、元気な生命の息吹を上げるはずもない。


『しかたなかった……わかってるよ、私たちも、どうしようもなかったんだよね』


 ハッとしたように春天が息を呑む。端正な顔が子供のようにぐしゃぐしゃに歪むのを見て、お春はまるで母親のように微笑った(わらった)。それから激しく咳き込んで、黒い血を吐き出す。


『オ春!』

 

 ケホケホと乾いた咳が酷く苦しそうで、もしかしたら彼女はもう数日ももたないのかもしれない。潮が思っているよりも、彼女の妖怪としての命の期限はもうないのかもしれなかった。


『はぁ、はぁ、大丈夫、大丈夫だよ。……それと、あなた……』

「わ、儂か?」


 春天の体の下から這い出ていた繁雄は、か細い息をするお春に声をかけられて慌てたように向き直った。


『あなた、大きくなったね』

「お……おぼ、えて?」

『うん。だって、永い年月の中で、あなただけが、私たちのために泣いてくれたんだもの』


 驚いた表情から、後悔と哀しみの色が繁雄の瞳を揺らした。揺らめいた透明な雫は、感情のままに頬へ流れる。


『あなたのせいじゃ、ないよ。だから、もういいんだよ。あなたが、私たちを可哀想に想う必要も、受ける罰も、責任もない、もう、いいの』


 年甲斐もなく涙を流す老人は、まるで小さな幼子のようだった。力を授けられるために選ばれた先で見た地獄を、彼はずっと親しい人間にも言えず、一人胸の奥底にしまっていたのだろう。殺されてもいいという言葉はきっと、嘘ではないのだ。潮からみれば逃避に近いが、罰を受けることこそが、憐れな老人の救いになっていたのかもしれない。

 それが今、赦された。

 そのことが新たな救いになったのか、それとも絶望になったのかは潮にはわからない。ただ、声を上げて泣く幼子の現影が、静かに涙を流す繁雄と重なって見えた。


『春天……ね、もう、この村を出よう』

『オ春……』

『私ね、一度だけでもいいから、あなたの故郷が見てみたいな……』


 それはあまりにもささやかな願いだった。けれども、叶うかわからない願いだった。


『……ソウカ……ソウ、ダナ。行コウ、オ前ニ見セタイ場所ガ、故郷ニハ沢山アル』


 大事な友のため、怒りも憎しみも呑み込んで、春天は頷いた。

 毛皮を潮の手から受けとると、それを羽織って完全な妖怪の姿に戻る。大きく猛々しい猛禽類の翼と足は、空を自由に支配する強者のものだった。

 春天がお春を抱き上げようとしたが、彼女は一瞬だけ待ってほしいと頼むと、潮に傍へ来るように言って、その手に小さな魂を渡した。


「これは……」

『返すのが遅くなってごめんなさい。ずっと、この子は母親を求めて寂しがっていたのに』


 三つに分かれた時、お春の近くにいる気配はしていたが、視えなくなっていたので消滅しかかっているのかもしれないとは思っていた。弱々しい小さな光が嬰児の姿を形作ると、元気な泣き声がその場に響き渡った。本来産まれる筈だった、生命の産声だ。


未来(みく)……』


 すぐ隣で、嗚咽のようなか細い声が聞こえた。ハッとして顔を向けると、一人の女性の姿をした魂がハラハラと涙を流してこちらを見ていた。


「……ほら、抱っこしてやれよ。あんたの子だ」


 理恵は恐る恐る己の子を腕に抱くと、感極まった様子でギュッと抱きしめた。そんな彼女の指を、小さな嬰児の手が力強く握る。


『コノコヲトリモドシテクレテ、アリガトウ。ソシテ、アノヒトニゴメンネト、ツタエテクダサイ……』

「礼は受けとるが、謝罪は伝えない。あんたは何一つ悪くないんだから。……オレは、警察でも正義の味方でもない。でも、必ず犯した罪には罰が下る。因果応報からは、逃げられない、逃がさない」


 本来ならば愛する家族と共に、笑い合えていた毎日があった筈だ。名前をつけられた小さな命は両親に大事に育まれ、未来を歩んでいく筈だった。それを、友人のふりをしたあの男が全て奪った。

 怪異案件の事件は、基本的にそれに関わった人間を法で裁くことはできない。呪具や呪詛を用いて他人を害したとして、普通の人間からしたらとうてい信じられる話ではないからだ。視えない人間相手に証拠だと呪具を提出したとして、一体誰がそれを物的証拠だと認めるだろうか。オカルトだと鼻で笑われるだけだ。

 しかし、確かに法で裁くことはできないが、他人を恨んだり妬んだりした人間が永遠に幸福を享受することなどありはしない。必ず因果は巡り、報復は残虐が形を持ってその者に襲いかかる。呪いや怪異を用いるということは、ただ相手を嵌めるためにする行動とは訳が違う。呪いは溜まり、怨みは己すら破滅の底へと引き摺り下ろす。


「光が見えてるだろ、あれを辿って行け」


 重なる二つの親子は、どこか幸福そうに上へと昇っていった。地上の呪縛から解かれた魂たちが、少しでも安らかに眠れたらいい。

 魂を見送ったお春たちも、空へと飛び上がる。お春を腕に抱いた春天の表情は、名前の意味の通り、美しいまでに麗らかなものだった。それを見て、とりあえず脅威はなくなったと肩の力を抜いていると、いつの間にか潮の隣に来ていた汐緒が唐突に言った。


「本当に、それでいいの?」

「汐緒?」


 訝しげな顔をする潮のことなど視界にも入っていないのか、彼は()()()とした瞳で、無表情にも似た幼子のような顔で続けた。


「自分たちを酷い目に遭わせた奴を、相応の報復を持って同じ目に遭わせたくはないの? 誰かのために、どうして憎しみや怒りを捨てられるの? 復讐できる力があるのに」

「おい、汐緒! 何言ってやがるっ」


 慌てて肩を掴んで止めるが、彼は潮のことを路傍の石でも見るような目でちらりと見るだけだった。その目に、咄嗟に足が出た。


「うっ!?」

「あ、悪い、つい」


 潮に攻撃されると思っていなかった彼の無防備な腹に、わりときつめな膝蹴りが入る。いいポジションに入ったようで、汐緒は苦しそうに膝をついた。


「昔仕事のやり方を教えてくれた奴に、新人が阿呆なことしたら体罰で躾けろって習ったもんでな」


 主を攻撃した手前、犬神に噛みつかれかとも警戒していたのだが、何故か白銀は少し離れた場所でこちらを静かに見つめているだけだった。犬神に許容範囲があるのかは知らないが、とりあえずは潮を敵とは思っていないようだ。


「……潮さん」

「何だよ馬鹿たれ」 

  

 痛いですよと情けない声を上げる汐緒を見て、ホッと肩の力を抜く。


「つか、お前急に無表情やめろや、ムカつくから」

「理不尽な……」


 腹を撫でながら文句を言う汐緒の調子がいつも通りに戻ったのを確認してから、春天たちに頭を下げた。


「うちのもんが失礼なことを言った。代わりに謝罪する、すまん」


 それを見て、あっ、と汐緒が小さく声をこぼすが、知らないふりをした。揉めたくないのは勿論だが、新人と組んでいる時点で、管理する側なのは潮である。頭一つ下げることで相手の溜飲が下がるのならば、認めてはいないが一応先輩なので立場的に頭を下げるのも仕方がないと思っている。先輩とはそういうものだ。


『イイ、特別ニ許シテヤル』

「それは恩に着る」


 肩を竦める潮を見て、春天は呆れを滲ませながらも口角を上げた。それから汐緒に冴えた眼差しを向ける。


『我ハコノ村ノ人間タチニハモウ興味ガナイ。ダカラ一々殺シタリハシナイ。──ダガ、我タチヲ地獄ノ底ヘ引キ摺リ下ロシタ元凶ノアイツダケハ、イツカ必ズコノ手デ殺ス。コレハ誰ニ何ヲ言ワレヨウトヤリトゲル、邪魔ハサセナイ』


 記憶で視た得体の知れない人間のようなモノ。

 きっとあれは呪い屋だ。


「姿を、いや、そいつは今何処にいる?」

  

 外見や性別を問いかけ、意味がないなと質問を変える。呪い屋の姿はいつだって曖昧だ。闇に住む妖怪ですら、闇に姿を隠す呪い屋の正体を見破ることは難しい。


『知ラン。ツイ最近マデハコノ山ニイタガ、今ハ何処ニモイナイ』 

「……そうか」

『我タチハモウイク』

「あぁ、引き留めて悪かったな」


 大きく羽ばたいて飛翔すると、ふたりはあっという間に見えなくなった。


「とりあえず任務は終わったな。後は事後処理と説明をして、とっとと帰るぞ」


 依頼者の望む形の解決には至らなかったが、それでもまだ身体が家族の元へ帰ってくるだけマシだ。

 理不尽で、残酷で、後味が悪い。そんな案件ばかりである。


「潮さん」

「あん?」

「頭を下げさせてしまって、すみませんでした。……考えなしの失言でした」

「いいよ、もう済んだことだ」


 しょんぼりと肩を落とす年下の男に、意外と可愛いところがあるなと吹き出す。人懐っこくはあるが、どこか飄々としてそつなく何でもこなすので、あんな風に失態を見せることが少し以外ではあったが。

 様子が可笑しかったことは気がかりではあったが、あえて聞かずに肩を叩くと、彼はどこかぎこちなく笑った。


「にしても、また呪い屋が関わってたな。奥螺に報告しねぇと」

「だからさっき姿を見たか聞こうとしてやめたんですね」

「まぁな。呪い屋の姿なんて聞くだけ意味ねぇから」

「でも、彼女たちをあんな風にした呪い屋本人は、もう生きてはいないんじゃないですか? 繁雄さんが子供の頃には、彼女たはちはもう一つにされていたようですし」


 首を傾げる汐緒に、どこか憑き物でもとれたような顔で話を聞いていた繁雄が頷いた。


「彼女たちは、儂の曾祖父の代からもうああなっていたそうじゃ」

「なら、軽く百年以上は経ってますよね」

「ま、普通の奴ならそうだろうな」


 ()()()()()()()()()()()()()。もし、潮が知っているあの男──いや、正確には知っている姿が男だったというだけで本来の性別も容姿もわからないが、もしあいつならば、今も普通に生きて無邪気な悪意を振り撒いていても不思議ではない。

 あれは、人間を超越している存在だ。

 本来、呪い屋は姿までを別人へと変えることはできない。あくまで闇に隠れるのが上手いためその姿を認識できないことが多いというだけであって、生まれ持った容姿が白日に晒されれば、特定することは難しいができないわけではないのだ。ただ、あの輩は違う。容姿も性別も自由に変えられる。

 潮が知っている姿は中年の男だが、知り合いの人間が見た時は二十代半ばの若い青年の姿をしていたという。それ以前にも、奴──存在を知っている同業者からはアンノウン(未知の、不明な)と呼ばれている、とにかくアンノウンが関わったとされている明治時代の案件には、妙齢の女の姿だったとも記されている。

 呪い屋が大々的に討伐され、駆逐されたのは、このアンノウンを引っ張り出して排除するためだったともされているが、結局本命を排除するはできなかった。


「何か知っているんですか?」

「あ~まあ、確定ではないから今はなんとも言えねぇな」


 ただ、物凄くややこしい事態になりそうな予感がする。いや、ややこしいで済めばまだマシだ。

 山を下りてからも色々やらなければならないことが脳裏を過り、思わず煙草を取り出して咥えた。


「あ、潮さん!」

「わかってる今だけ見逃してくれもう疲れすぎて限界心のケアをしたい」


 力の使いすぎで飢餓感も凄い上、アンノウン関係のことやこれから行う説明や事後処理にストレス値がマックスまで跳ね上がっていた。山で煙草を吸うなどマナー以前の所業だということはわかっている。わかってはいるが、山火事などは絶対死んでも起こさせないし、火種が飛んだら全力で消す。だから見ないふりをしてほしかった。

 ノンブレスで告げた潮に限界を見たのか、汐緒は仕方がないなとでもいうように視線を逸らした。


「儂にも一本くれ」

「……ほらよ」


 見逃す報酬に厚かましい老人にも一本くれてやり、一時の休憩をもって精神の回復に努めるのだった。

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