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しおとせお  作者: 柚希
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をばれうと鳴き声⑨

 女はいつもひとりだった。

 気づいた時には親もなく、数少ない同胞はいたものの、自分の子ではない者を育てる酔狂な輩はいなかった。

 生まれた時からひとりだった女は、孤独を知らなかった。ずっとひとりで自由気儘に生きて、好きなように振る舞った。欲しい物は奪い、殺し、腹を満たし、欲を満たす。不自由ではなかったのだ。

 しかしあまりに女が勝手に振る舞うので、沢山いる人間たちからの報復に恐れをなした同胞たちから故郷を追い出されてしまった。それでも別に、女は気にしてはいなかった。ずっとひとりで自由なのだから、故郷に執着する理由もなかったからだ。

 そうして女は故郷を出て、違う国へと渡った。

 その国の言葉を覚え、自由に生きていた女は、しかしある日酷い怪我を負った。自慢の羽を痛め、ろくに飛べもしない。自分を痛め付けた人間たちに見つからないように森に身を隠していたのだが、その時変な女と出会った。その変な女は、人間のくせに女を怖がることもせずにその羽を癒した。何度女が威嚇しても、時には怪我までさせても、その変な女は気の抜けた笑みを浮かべて寄り添った。

 次第に自分よりも力の弱い人間相手にいつまでも威嚇しているのが馬鹿らしくなった。羽が治ってもその森から離れなかったのは、多分きっと気まぐれだった。

 いつの間にか変な女が傍に居ることが当たりまえになっていたある日、その変な女は言った。

 お腹の中に赤ん坊がいるのだと。

 少しばかり膨れた腹に、いつの間にか新たな命を宿していたのだ。女は言った。

 だったら我の傍にいない方がいい。習性で拐ってしまうからと。

 だが変な女は間抜けな顔で笑うだけだった。

 ずっとふたり傍にいるのだから、どこに拐うというの。大丈夫、あなたは優しいから。きっと産まれてくるこの子を大事にしてくれる。

 相変わらず、能天気で馬鹿な女だと思った。女は人間ではない。人の外の理に生きる自分に道理などないというのに、どうしてか女はそんなものかと思った。きっと変な女に感化されて、自分も能天気な阿呆になったのかもしれないとも思った。

 腹はあっという間に大きくなった。いつ産気づくかわからないからと、産まれるまでは山に来るなと告げてから少しの月日が流れた。

 ひと月ほど経ってからだ、変な女が死んだことを知ったのは。

 遺体を見つけたのは女だった。腐敗しているそれがあの女なのだと気づいたのは、懐に女が気まぐれであげた故郷の木で作った小さな彫り物が入っていたからだ。

 人間はすぐに死ぬ。そもそも生きる時の流れも違うのだ、悲しくはなかった。ただ、何かを失ったように精彩を欠いただけだ。

 女はこの変な女のことを何も知らなかった。──何一つ、名前すら、知らなかっただけだ。

 全てがつまらなくなって、違う村にでも行こうかと考え始めた時、ある噂を聞いた。人間たちが話す内容を木の上から聞いていた女は、その内容に身を起こした。

 ある日から、血に染まった腰巻きを抱いた女が嬰児を抱かせようと夜な夜な村を徘徊しているというのだ。人死にが出たなどの害はなくとも、その女の顔が村で死んだ《お春》という娘にそっくりだったことから、村の人間は不気味に思い恐れて、夜に出歩かなくなったという。何故か、あの変な女かもしれないと思った。

 女は頭に被っている毛皮を脱いで羽を収納すると、人の姿に化けて山を下りた。そして、あの変な女が何故死んだのか、理由を知った。

 あの変な女の腹に宿っているのは、村長の息子の子供だった。しかし二人に情があった訳ではなく、無理矢理手籠めにされたあの女は、自分で望んだ訳でもないのに命を腹に宿す羽目になった。

 両親のいないあの女を、村長の息子は都合が良いと好きに扱っていたという。本来なら男を恨んでもいいはずだが、しかしあの女は誰のことも恨まなかった、憎まなかった。自分を好き勝手にする男の子供など、吐き気がするだけの存在でしかないはずなのに、あの女は膨れた腹を愛おしそうに撫でていた。

 知れば知るほど、あの女がわからなかった。

 臨月になり、もうすぐ産まれるという時、気に入らなかったのは子供がいなかった男の本妻である。嫉妬深いその本妻は、あの女にだけ憎しみを募らせた。募らせ、募らせ、憎しみと殺意を育て、そしてとうとうその刃をあの女に向けた。腹を裂き、嬰児を取り出し、女を川に捨てた。

 村人たはちは、あくまで噂だと、人に化けた女の顔をうっとりと見つめながら言った。

 しかしそれが事実であるということが暗黙の了解になっていることは、女にもわかった。村人たちは知っていて知らないふりをしていたのだ。だから今、夜に徘徊する謎の女の存在に怯えている。罪悪感があるからだ。いかに自分たちが恨まれ、呪われることをした自覚があるから恐れる。

 この村に生きる人間全てが愚かだと思った。

 いっそ村人全員を殺してしまおうかとも考え始めていた時、それを見つけた。暗闇の中、恐怖で逃げ惑う人間を困ったように見つめるその阿呆面は、やはり変わらずで、あの変な女だった。

 こちらがぽかんと虚をつかれている間に、変な女──お春はふわりと花が綻ぶように笑った。

 久しいね、と何でもないことのように笑う女に、どうしてだか目から水が流れた。止まらず壊れた蛇口のようになった己の目に苛立っていると、お春は泣いているの? と困ったように眉を下げるのだ。そうして、女はそれが涙だというものであることを知った。

 知らなかった、自分が涙を流せるなんて。悲しくなんてなかった筈なのに。

 お春は嬰児の形をした石を抱いていた。何だそれはと問うと、これを困っている人間に渡すとその相手が少しだけ幸福になるものだと言う。お春本人もよくわかっていないようだったが、多分彼女が妖怪に転じた時に生じた妖怪としての役割──本能のような本分に近いものだろう。特性、とでも言うべきか。

 この変な女は、殺されて妖怪に転じても尚、誰かの幸福を願うのだ。

 腹の子はどうしたと聞けば、魂の欠片を最初は感じていたが、多分消えてしまったと答えた。

 きちんと産んであげられなくて、可哀想なことをした。そう呟いた時だけだ、お春の悲しそうな顔を見たのは。村の人間全てを殺すかと聞いても、お春は、どうして? 恨んでなんていないわと首を振った。

 その言葉に毒気を抜かれて、お春が村を出ずに山に住むと言うので一緒に行動することにした。

 生まれ育った村を見守りたいだなんて、本当にお人好しがすぎる。やはり馬鹿な女だとも思ったが、妖怪の命は永い。もう少し傍でこの愚かなほどに優しいお春を見ているのも面白いなと考えて、それから幾つかの季節を共に過ごした。

 その内お春は、女に名前がないことを知ると自分で名前をつけて呼ぶようになった。

 女の国の言葉で春天──春を意味する名前だ。発音はお春には難しかったので、《しゅんてん》と名が付けられた。そうして女たちは、同じ意味を持つ名前を互いに呼び合うようになり、春天が思うよりも永く共に過ごした。その間、一度たりとも殺戮も強奪もしていないことに気づいた時には自分でも驚いたが、嫌な気分ではなかった。

 しかし、その陽だまりのような日々は唐突に終わりを告げた。

 ある日異常な季節がやってきて海は荒れ、漁で生計を経てていた村人たちは飢えて死ぬ者が続出した。荒れた自然の前では、か弱い人間たちなどひとたまりもない。漁などとてもではないができる訳がなかった。そこで村人たちはお春の力を求めて山に縋りにきた。

 少し前に一人の男が石を受け取り、尋常ならざる力を得たことに味をしめたのだろう。

 とはいえ、お春が渡した力とはいっても、少しばかり力持ちになって疲れにくい身体になるだけである。拳一つで地面や海を割ったりなどということはできない。

 それでも村人たちはお春に縋った、願った。お人好しの娘は、最早知っている村人たちなど一人もいないというのに、石を渡した。

 ──それで、どうにかなるものではないというのに。

 案の定欲深い村人たちは思っていた力ではないことに落胆した。それだけならばまだいい。愚かにも村人たちはもっと都合の良い力を手に入れるべく、悪知恵を働かせた。それは醜悪な欲望や執着へと変わり、汚泥の海へと女たちを縛りつけたのだ。

 いつだったか、村人たちは妙な人間を連れて来た。いや、あれは人間と形容するには歪で悍ましく、どちらかといえば女たちに近い生き物のように見えた。生きたいがままに振る舞っていた昔の春天に近い。けれど、本能がその存在を忌避していた。それは他人を慮るお春でさえ、春天と同じ気持ちのようだった。見てはいけないモノを見ているような、禁忌の底を覗いているような怖気立つ感覚──人間が人外の者に抱くであろう()()に近い感覚だった。

 嫌な感覚は予感を的中させた。妙な人間もどきと手を組んだ村人たちに陥れられ、ふたりの女はどこにも行けなくなってしまった。

 羽を奪われ、想いを搾取され、村を回す装置にされた。離れないように繋いだ手を、利用された。侮辱され、辱しめられ、そんなに離れたくないのならば離れられないようにしてやると、物理的に二度と手を繋げなくさせられた。

 混ぜられ、ぐちゃぐちゃにされ、撹拌され

 




 ────一つにされた。

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