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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第337話 粛清と再生の始まり

 王国との会談を終え、夜陰に紛れてセリーヌは聖教国へと帰還した。

 月明かりも届かぬ回廊を抜け、彼女は人目を避けるようにして〈聖女〉の待つ会議室へと足を運ぶ。

 既に通信の魔道具を通じ、概要は伝えていた。だが、正式な報告は別だ。

 扉が閉じられると同時に、室内の空気が引き締まる。


「──以上が、王国の対応です」


 簡潔ながらも一切を省かぬ報告が終わると、沈黙が落ちた。

 〈聖女〉を中心に集まっていた者たちの表情は、一様に曇っている。


「……やはり、か」


 誰かが小さく呟く。

 拳を握り締め、悔しさを隠そうともしない者もいたが、隣の者に軽く肘で突かれ、深く息を吐いて感情を押し殺した。

 やがて〈聖女〉が、静かに口を開く。


「仕方ありません。王国にも、王国の事情があります」


 その声音は穏やかだったが、言葉の奥には揺るぎない決意が滲んでいた。


「今後は──我が国単独で、帝国との講和を目指します」


 その一言に、場の空気が一段、張り詰める。


「ですが……」


 口を開いたのはクラリスだった。慎重さと不安を隠さぬ声音だ。


「王国の仲裁がないとなると、交渉は相当厳しいものになるのではありませんか?」


 それは、この場にいる誰もが抱いていた懸念だった。


「講和の目的は、あくまでラドニアの解放です」


 〈聖女〉は即座に答える。


「それが受け入れられぬのであれば、講和そのものに意味はありません」

「しかし、帝国の要求はどうなるのでしょう」


 別の者が口を挟む。


「謝罪で済めばまだしも、賠償となれば……戦争責任を盾に、多額の金を要求してくる可能性も」

「そもそも──」


 重ねるように、低い声が続いた。


「帝国が、ラドニアを手放すつもりが本当にあるのでしょうか?」


 疑念と不安が、次々と形を取って現れる。

 その中で、セリーヌが一歩前に出た。


「確かに、容易な交渉ではありません」


 そう前置きしてから、彼女ははっきりと言い切る。


「ですが、我が国に厭戦感情がここまで高まったのは、帝国の策略によるものです」


 数名が、はっとしたように視線を向ける。


「帝国は、既に戦争を長引かせる余力も意思も失いつつあります。講和を望んでいるのは、向こうも同じ」

「……つまり?」

「帝国が講和を必要としている以上、すべてとは言いませんが──こちらの要求も、ある程度は通ると見ています」


 その言葉に、室内の空気がわずかに変わった。

 完全な安堵には程遠い。だが、絶望一色だった空気に、微かな可能性が差し込む。

 〈聖女〉は静かに頷く。


「覚悟は、既にできています」


 柔らかな微笑みの奥で、その瞳は揺るがない。


「ラドニアを解放し、戦争を終わらせるためならば、どれほど険しい道であろうと、私は進みます」


 誰も、異を唱える者はいなかった。

 その決意の重さを、全員が理解していたからだ。

 だが、次に発せられた言葉が、場の緊張を一段と高めた。


「……教皇と、枢機卿会議はどうなるのです?」


 その問いは、刃のように鋭かった。

 深い沈黙が落ちる。誰もが言葉を失い、室内を満たすのは重苦しい緊張感だけだった。


「当然、帝国はその責任を追及してくるでしょうね……」


 沈黙を破ったのは、苦々しさを滲ませた声だった。


「場合によっては、身柄の引き渡しを要求してくるのでは?」

「……十分に考え得る話です」

「我々に、彼らの身柄拘束を求めてくる可能性もありますね」


 次々に上がる声は、いずれも同じ結論へと収束していく。

 帝国は、戦争を主導した教皇と枢機卿会議の責任を追及し、その象徴として“人”を求めてくる──。


「我々としても……」


 慎重に言葉を選びながら、別の者が口を開く。


「彼らの責任を追及する立場にあるのは、同じです。公職からの追放という形で事を収めるつもりではいましたが……」


 問題は、そこでは終わらない。

 帝国から身柄拘束を要求された場合、応じるのか、否か。


「応じるべきでしょう」


 はっきりとした口調でクラリスが言い切った。


「国内に置いておくこと自体が、今後の禍根になります」


 その言葉に、頷く者が少なくない。

 理屈としては、誰もが理解していた。


 しかし──。


 〈聖女〉は、黙したままだった。

 指先を重ね、視線を落とし、何かを耐えるような沈黙。


「膿を出し切らねば、再び化膿します」


 さらに踏み込む声が続く。


「非情と謗られようとも、やらねばなりません。今であれば、密かに聖騎士団を通じて拘束することも可能です」


 その言葉は正論だった。

 だからこそ、場の空気はいっそう重くなる。

 やがて〈聖女〉は、ゆっくりと顔を上げた。


「……それについては」


 一瞬、言葉が詰まる。


「少し、時間をください」


 即断できない──その迷いは、誰の目にも明らかだった。

 だが彼女は、そこで立ち止まらない。


「それとは別に、講和に向けた動きは、すぐに始めましょう」


 視線を巡らせ、はっきりと告げる。


「一刻の猶予もありません」


 短い沈黙の後、誰からともなく頷きが広がる。


「……承知しました」

「すぐに準備に入ります」


 こうして会議は、重い課題を胸に抱えたまま、次の段階へと進み始めた。



 その夜。

 灯りを落とした回廊を抜け、クラリスとセリーヌは〈聖女〉の私室を訪れていた。

 外界の喧騒から切り離されたその部屋には、柔らかな灯火と、張り詰めた沈黙だけがあった。

 〈聖女〉は窓辺に立ち、夜闇を見つめている。背中越しでも、その逡巡ははっきりと伝わってきた。


「……まだ、迷っておられるのですか?」


 静寂を破ったのはクラリスだった。責めるでもなく、だが逃げ道を与えぬ問いかけ。


「お気持ちは、わかりますが……」


 言葉を継ぎながら、彼女はそっとセリーヌへ視線を送る。


「〈聖女〉様」


 一歩前に出て、セリーヌが深く頭を下げた。


「私も、クラリスの意見に賛成です。引き渡すかどうかは別としても……教皇と枢機卿たちの身柄は、必ず拘束する必要があります」


 声は低く、だが揺るぎがない。


「放置しておくわけにはいきません。今後の講和においても、国内の安定においても」


 二人は言葉を重ねず、ただ静かに〈聖女〉を見つめた。

 説得というより、覚悟を共有するための沈黙。


「……」


 重い沈黙が流れる。

 〈聖女〉はしばらく動かなかったが、やがてゆっくりと振り返った。

 その表情に、もはや迷いはなかった。


「……わかりました」


 小さく、しかし確かな声。


「すべての責任と汚名は、私が負います」


 二人が息を呑む。


「彼の者たちは……我々の手で、逮捕し、拘束しましょう」


 ついに下された決断だった。


「クラリス」

「はっ」

「教皇及び枢機卿会議への正式な逮捕状を作成してください。私の名で出します」


 視線が、今度はセリーヌへ向けられる。


「セリーヌは、密かに聖騎士団と兵を動かす準備を。彼らに気取られる前に動きます」


 間を置かず、続ける。


「準備が整い次第──私も、陣頭に立ちます」


 それは逃げも隠れもしない宣言だった。

 聖教国の〈聖女〉として、そして一人の人間としての覚悟。


「……承知しました」

「必ず、万全を期します」


 二人は深く頭を下げる。

 こうしてその夜、聖教国の中枢を揺るがす決断が、静かに下された。

 夜明けと共に始まるのは、講和への道か、それとも──

 歴史を塗り替える粛清か。


 二人は私室を出ると同時に、すぐさま動き始めた。

 事は秘されねばならない。噂となる前に、兆しを悟られる前に──すべてを終わらせる必要がある。

 命令は最小限、信頼できる者のみに伝えられた。



 夜明け前、内庭には「訓練」の名目で集められた聖騎士団が、整然と列を成していた。

 白い神官服に身を包んだ〈聖女〉が、その前に姿を現す。

 余計な装飾はない。だが、その佇まい自体が、何よりも雄弁だった。

 ざ、と一斉に音を立て、聖騎士たちが直立する。

 空気が変わった。

 誰もが、これがただの訓示ではないことを直感していた。

 〈聖女〉は一歩前に出ると、静かに、しかしよく通る声で語り始めた。


「これより我々は──」


 一拍置き、視線を騎士たち一人ひとりに向ける。


「聖教の名を騙り、その権威を私物化し、民の信仰を踏みにじってきた者たちを糾弾します」


 ざわめきはない。ただ、緊張が張り詰める。


「教皇、並びに枢機卿会議は、本来守るべき民を顧みず、腐敗と汚職に溺れました」


 言葉は、もはや婉曲ではなかった。


「聖典を盾に己の保身を図り、私利私欲のために国を動かし、結果として無数の命を戦場へと追いやった」


 戦争責任──その言葉を、彼女は敢えて口にする。


「この戦争は、神の意思ではありません。彼らが作り出した虚偽と恐怖による暴走です」


 聖騎士たちの拳が、わずかに強く握られる。


「聖教を汚し、民を犠牲にし、なお責任から逃れようとする者たちを──我々は見過ごしません」


 声は凛として、断罪の響きを帯びていた。


「これより、教皇および枢機卿会議の逮捕・拘束を行います」


 明確な宣告。


「一人として取り逃がすことなく、しかし私刑に走ることも許しません。対象に怪我をさせることなく、最低限の礼儀をもって、速やかに行動を」


 そして、最後に。

 〈聖女〉は胸に手を当て、はっきりと告げた。


「この決断に伴うすべての責任は、私──セラフィーナが負います」


 一瞬の沈黙。


「命じるだけではありません。私自身も、皆と共に行動します」


 その言葉は、逃げ道を断つ誓約だった。

 権威の背後に隠れぬという、〈聖女〉自身の覚悟。


「「はっ!!」」


 地を震わせるような返答が響く。

 士気は否応なく高まり、迷いは消え去った。

 〈聖女〉は短く頷き、右手を振り下ろす。


「──行動開始!」


 号令と同時に、聖教国の夜明けは、〈聖女〉を陣頭に、粛清と再生の始まりを告げた。


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