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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第335話 内密なる二つの影

 〈鋼の熊爪〉は、アスラン・ヘイブン以南に広がる未開地の、魔物生息状況を長年にわたって調査し続けている、Aランク冒険者パーティーである。

 討伐依頼を請け負わないわけではないが、彼らの真価は戦果の数ではなく、情報の質と速さにあった。

 どの地域に、どの種の魔物が、どの程度の密度で生息しているのか。

 繁殖期の兆候はあるか。

 異常行動──いわゆる“暴走(スタンピード)”の前触れは見られないか。

 彼らの調査報告によって作られた魔物分布図は、ギルド内でも基礎資料として扱われており、討伐隊の編成や緊急依頼の判断において欠かせないものとなっていた。

 そのため、ギルドからの評価は高く、「目立たずとも、いなくては困る」存在として知られている。

 個々の戦闘能力もAランクに恥じぬ水準ではある。

 だが、近年名を上げている〈星環の誓約〉と比べれば、純粋な戦力では一歩及ばないだろう。

 その差を、彼ら自身が誰よりも理解していた。

 だからこそ〈鋼の熊爪〉は、無謀な討伐に走らず、調査と判断を重ね、必要とあらば周囲をまとめ上げる役割を担ってきた。

 かつて人里に近い場所でオーガの集落を発見した際もそうだった。

 単独での殲滅を避け、即座にギルドへ報告。討伐隊のリーダーに任命され、編成を主導し、自ら隊長として前線に立ち、結果、緊急依頼を成功に導いている。

 その実績から、彼らには「隊をまとめる力」があると評され、冒険者たちからの信望も厚かった。


 その〈鋼の熊爪〉の面々が、今はギルド本部の会議室に集まり、調査報告を行っていた。

 室内は静まり返っている。

 声を潜めているのは、儀礼でも遠慮でもない。報告内容そのものが、軽々しく口にすべきものではなかったからだ。


「──それで、ワイバーンの数は?」


 職員の問いに、報告役の男は短く息を整えた。


「二体だ。だが……」


 そこで言葉を切る。

 わずかな沈黙が落ちた。


「ちょっと待ってくれ」


 職員は眉を寄せ、席を立つ。


「さすがに、これは幹部にも聞いてもらう。どうせ報告せにゃならん内容だ」


 扉の向こうへと足音が遠ざかっていく。

 〈鋼の熊爪〉の面々は無言のまま視線を交わした。

 ──二体、という数そのものではない。

 問題は、その“後”に続く情報だった。



 ──あの時の空気を、ヴィクトははっきりと思い出せる。


「みんな、止まれ!」


 前方を索敵していたノールの声は低く、だが刃物のように鋭かった。

 森のざわめきの中で、その一言だけが不自然なほど際立つ。

 張りつめた糸を断ち切るような、はっきりとした制止だった。


「どうした?」

「何か遮蔽物に身を隠せ! 魔物が見えた!」


 〈鋼の熊爪〉の面々は即座に散開し、木陰や岩陰へ身を伏せる。

 装備が触れ合う音すら抑え、息を殺した。


「魔物? 何が見えた?」

「……ワイバーンだ。二体いる」


 その言葉に、場の緊張が一段階跳ね上がる。

 この地域で確認されている生息情報からすれば、想定外の存在だった。


「ワイバーンだと? こんな場所にか?」


 未開地とはいえ、ここはまだ南部の奥地だ。

 生息域としては、あまりに人里に近い。


「今、上空を旋回している。あそこだ」


 ノールの視線を追い、空を見上げる。

 示された先には、空を滑空する二つの影があった。

 大きく円を描くように旋回し、羽ばたきは最小限。

 獲物を探しているというより、上空から何かを見定めているかのような動きだった。


「……こちらには、まだ気付いていないようだな」

「ああ。見つかってたら、間違いなく襲ってきてる」


 距離は十分にあり、高度も高い。

 この状況でこちらに気付くのは、さすがのワイバーンでも無理があるだろう。

 だが、ノールはなおも目を細め、食い入るように観察を続けていた。


「……体長は、およそ三から四……大きさは平均的だが……いや……待て」


 その声が、わずかに途切れる。


「背中に、何か……乗っているように見える」

「何だと?」


 一斉に緊張が走る。


「さすがに、何かまでは断定できない。ただ……そんな風に見えた」

「ワイバーンの背中に……だと?」


 全員が目を凝らす。

 だが距離がありすぎる。視力に優れたノールでさえ、断言できない。

 それでも──胸の奥に、嫌な予感だけが重く沈んでいった。


 やがて、二体のワイバーンは旋回を終え、揃うように進路を変えた。

 南の山脈へ向けて、悠々と、まるで目的地が決まっているかのように飛び去っていく。


「……行ったか」

「ああ、もう大丈夫だ。だが……」


 誰かが堪えきれずに声を上げる。


「おい、さっきのは本当か? 何か乗ってたってやつ!」

「はっきりとはわからない。だが……そんな風に見えたんだ」


 沈黙が落ちる。

 その意味を、全員が理解していた。


「もし本当なら……一大事だぞ。戻って、ギルドに報告した方が……」


 ヴィクトは短く頷いた。


「今回はここまでだ。急ぎ戻って報告する。これは──俺たちだけで抱える話じゃない」


 調査は切り上げ。

 戦果も証拠もないが、それでも引く判断に迷いはない。

 未知を追うより、知らせるべき危険がそこにあった。



 会議室に呼び集められた幹部を前に、ヴィクトは改めて口を開いた。

 先ほどの回想をなぞるように、だが余計な感情は挟まず、事実だけを選んで語る。


「──以上です。最終的にワイバーンは南の山脈へ向かって飛び去っていきました」


 幹部は腕を組み、しばし沈黙する。

 指先が、机に広げられた地図の縁をなぞっていた。


「……では」


 低い声。


「背中に“何か”が乗っていた、という点については──断定はできないのだな?」

「はい」


 ヴィクトは即答した。


「距離がありましたし、高度も高かった。斥候のノールでも、はっきりとは見えませんでした」

「……そうか」


 幹部は短く頷き、再び地図へ視線を落とす。

 その目が、アスラン・ヘイブン以南の未開地をなぞるように動いた。


「……以前にも、ワイバーンの目撃報告があったな?」


 職員が一歩前に出る。


「はい。〈星環の誓約〉からです。ただし、今回とは場所が違います。距離もあり、当時は“恐らくワイバーンだろう”という推測止まりでしたが」

「ふむ……」


 幹部は地図上の二点を、指で軽く叩いた。


「もし仮にだ」


 声が、わずかに硬くなる。


「ワイバーンに何者かが騎乗していたとしたら……対応は極めて難しくなる。場所も悪い。街に近すぎる」


 室内の空気が、さらに張りつめた。


「問題は二つですね」


 別の職員が言葉を継ぐ。


「何が乗っていたのか。そして──どこから来たのか」

「山脈の向こうへ去った、という点を考えれば……」


 幹部はゆっくりと言葉を選ぶ。


「未開地に住む何か、という可能性が高いだろうな」


 その一言で、結論が出たわけではない。

 だが、軽視できない事態であることだけは、全員が理解した。

 幹部は顔を上げ、ヴィクトたちを見る。


「状況は把握した。よく引き返してくれたな」

「いえ」


 ヴィクトは首を横に振った。


「さすがに、危ない橋は渡れませんので」

「その判断は正しい」


 幹部は即座に言い切った。


「至急、幹部会議を開く。結果次第では、再調査を頼むことになるかもしれん」


 一拍置いて、声音を落とす。


「いずれにせよ、この件は口外するな」

「……了解しました」


 そうして報告は解散となった。

 幹部と職員は足早に会議室を出ていく。

 ギルド長、そして他の幹部へ情報を回すためだ。

 残された〈鋼の熊爪〉は、互いに視線を交わし、無言で席を立った。

 今は休息を取るべきだと、誰もが理解していた。

 だが──

 南の山脈へ飛び去った二つの影が、頭から離れることはなかった。



 ギルド長を中心に、幹部たちがテーブルを囲んでいた。

 年配の幹部、女性幹部、若い幹部。そして、先ほどの報告を受け持った職員が、やや緊張した面持ちで壁際に控えている。

 机の中央には地図が広げられていた。

 アスラン・ヘイブン、南方未開地、そして山脈。


「……では改めて確認する」


 ギルド長が低く切り出す。


「ワイバーンは二体。街に比較的近い空域を旋回し、その後、南の山脈へ向かった。背に何かが“乗っていた可能性”がある」


 その“可能性”という言葉に、重みがこもる。


「可能性としては、いくつか考えられますな」


 年配の幹部が顎に手を当てた。


「見間違い。魔物を使役するテイマー。あるいは……魔族か」


 魔族。

 その言葉が出た瞬間、室内の空気が一段張りつめた。


「だが」


 ギルド長は即座に言葉を継ぐ。


「魔族を見たという確かな報告はない。少なくとも、今この街には、な」

「そもそも魔族とは、もはや伝承上の存在ですし」


 女性幹部が冷静に補足する。


「人間との明確な接点は、記録には残っていません」

「では、テイマーという線は?」


 若い幹部が首を傾げる。


「……テイマーそのものが、そもそも希少ですからね。魔物と意思を通わせ、使役できる者はごく一部に限られる。しかも──」


 言葉を選ぶように、一拍置く。


「迫害を受けてきた者も多く、権力や組織に関わることを嫌う傾向が強い。そのほとんどが人前に姿を現さず、記録にも残らない」

「表に出てこない、という点では」


 年配の幹部が静かに補足する。


「今回の件と符合せんこともない」

「ええ」


 若い幹部は頷く。


「確かにこの場合、可能性もなくはありません。……ですが、ワイバーンを従えるほどの力量となると、難しいと思われます」

「〈鋼の熊爪〉の見間違いであることを祈りたいですが……」


 女性幹部の声には、祈りよりも警戒心が滲んでいた。

 年配の幹部が地図を指で叩く。


「問題は、どこから来て、どこへ帰ったのかですな。山脈の向こう……未開地のさらに奥。まだ誰も踏み込んでいない場所かもしれん」


 沈黙が落ちる。


「……〈鋼の熊爪〉に、再調査を依頼しますか?」


 若い幹部が口を開く。


「その方がよいでしょうな」


 年配の幹部は即答した。


「判断も慎重ですし、信頼できる」

「だが……」


 女性幹部が言葉を継ぐ。


「彼らだけでは、万が一の際に対応しきれない可能性もあります。他にも依頼すべきでは?」


 女性幹部の提案に、ギルド長は腕を組む。


「「となると……今、動けそうな高ランクは──〈雷槍の牙〉、〈星環の誓約〉、それに〈鉄顎の咆哮〉ですな」


 年配の幹部の言葉に、若い幹部が頷く。


「ワイバーンが相手となれば……」


 少し言い淀みながら、若い幹部が続ける。


「これまでは、低ランクの依頼を嫌って協力を渋っていた〈雷槍の牙〉も、さすがに動くのではないでしょうか?」


 一瞬、沈黙が落ちた。


「……今さら動かれてもな」


 低く呟いたのは、年配の幹部だった。

 誰もそれを咎めなかった。

 その一言に、この場の全員が抱いている感情が、あまりに端的に表れていたからだ。


「それに、今回は戦闘が目的ではないぞ」


 女性幹部が、間を逃さず釘を刺す。


「あくまでも調査だ。功を焦って突っ込まれては困る」


 その言葉を、誰一人として否定しなかった。

 〈雷槍の牙〉──

 かつては名声を誇ったパーティー。

 だが近頃は、報酬や格を選り好みし、「高ランクだから受ける」「低ランクだから受けない」という姿勢がはっきりしており、近頃はギルド内での信用が揺らいでいる。

 その彼らの功名心が先走る危うさを、誰もが感じていた。

 そしてそれは、ギルドが望む動きではない。


「情報が不確かな段階で動かせば」


 年配の幹部が続ける。


「最悪の場合、事態を大きくしかねん。何より──」


 一瞬、言葉を切る。


「内密に進めねばならん案件ですからな」


 若い幹部が小さく息を呑んだ。


「……彼らに知られれば、噂が広まる可能性もありますね」

「悪意がなくとも、だ」


 ギルド長が低く言い切った。

 その声音には、苛立ちよりも、失望に近いものが滲んでいた。


「では、〈鉄顎の咆哮〉はどうだ?」

「実力はありますが……」


 年配の幹部は首を横に振る。


「調査向きとは言えません。力押しの気質ですし、細かな観察には不安が残る」

「こちらも、内密という条件には向きませんね」


 女性幹部が静かに締める。

 再び、沈黙。


「となると」


 女性幹部が視線を上げる。


「慎重さと判断力を兼ね備え、口も堅い〈星環の誓約〉が適任では? 〈鋼の熊爪〉とも共闘経験があり、互いに信頼しています」

「ギルドへの貢献度も高い」


 年配の幹部が頷く。


「実力、判断力、対応力──どれも申し分ない」


 ギルド長はしばし地図を見つめ、やがて静かに結論を口にした。


「……そうだな」


 地図を見据えたまま、言う。


「〈鋼の熊爪〉と〈星環の誓約〉に、再調査を依頼する。〈星環の誓約〉には、直接呼んで説明しよう」


 そして、はっきりと言い切る。


「この件は、あくまで内密だ。〈雷槍の牙〉にも、〈鉄顎の咆哮〉にも、今は知らせない」


 誰も異を唱えなかった。

 こうして──

 〈星環の誓約〉への密かな依頼が、正式に決まった。

 まだ正体も目的も分からぬ“何か”へ向けて、ギルドは、静かに次の一手を打ったのである。


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