第334話 秤にかけられる牙
重い沈黙が、会議室を満たしていた。
幹部たちの言葉が尽きても、ギルド長はすぐには口を開かない。ただ机に置かれた書類──依頼受諾状況の一覧に、静かに視線を落としている。
そこには、否応なく数字が語る現実があった。
〈雷槍の牙〉の欄は、空白が目立つ。
対照的に、〈星環の誓約〉の名は、EからCまで、万遍なく記されていた。
「……差が、はっきりしてきましたな」
誰ともなく漏れたその言葉に、異論は出なかった。
「彼らが高難度の依頼を選ぶのは理解できます。実力も、実績もありますから」
女幹部がそう前置きした上で、続ける。
「ですが、今は“街が回らなくなる”ほど依頼が偏っている。その状況で、ギルドの要請を理由をつけて断り続けるのは……」
言葉を濁しつつも、不満は隠していなかった。
そこで、別の幹部がふと思い出したように問いかける。
「共に移動させた他の冒険者たちの様子は?」
報告役の幹部が、すぐに答える。
「そちらはそれなりに依頼を受けています。彼らはCランクですし、依頼には困らんでしょう。むしろこちらの方が稼げると、喜んでいますよ」
その言葉に、室内の空気がわずかに動いた。
不満でも、停滞でもない。
“順応している”という評価が、暗に示されていたからだ。
「……となると、問題はやはり一部だけ、というわけか」
「一方で〈星環の誓約〉は、こちらが頭を下げる前に動いてくれる」
別の幹部が、淡々と告げる。
「初級冒険者の護衛役など、本来なら利も名も薄い仕事だ。それでも文句一つ言わず引き受けている」
「“ギルドの一員”としての姿勢、という点では……どうしても比べてしまうな」
その一言で、場の空気が微かに冷えた。
誰も〈雷槍の牙〉を名指しで非難してはいない。それでも、評価の軸が変わりつつあるのは明白だった。
ギルド長は、ゆっくりと顔を上げる。
「……急に締め付ける必要はない」
低く、落ち着いた声。
「だが、このまま看過するのも違う。彼らが“特別扱いされて当然”と思い始めているのなら、それは正さねばならん」
幹部たちが、静かに頷く。
「まずは忠告だな」
「ええ。“協力を求める立場として、期待している”という形で」
「評価や依頼の回し方についても……少しずつ、差が出るでしょうし」
それは脅しでも、処分でもない。
だが、確実に伝わる“温度差”だった。
「……比較は、しないつもりだったがな」
ギルド長は、再び書類に目を落とす。
そこに並ぶ二つの名を、同じ重さで見ることは、もう難しくなっていた。
〈星環の誓約〉──協力的で、柔軟で、信頼できる。
〈雷槍の牙〉──実力はあるが、扱いづらい。
その評価はまだ公にはされていない。
しかしこの日を境に、ギルド内部の空気は、確かに変わり始めていた。
◆
部屋に、乾いた笑い声が転がった。
「──だとよ。どうする?」
盾騎士の問いに、剣士は鼻で笑う。
「どうもこうもねぇだろ。無視しときゃいいじゃねぇか」
椅子に深く腰掛け、剣を壁に立てかけたまま、欠伸混じりに続ける。
「大体よ、依頼なんて、こっちが選ぶもんだろうが?」
「それに、ガキどもの仕事奪うわけにもいかねぇしな」
まるで配慮してやっているかのような口ぶりだった。
魔導士だけが、わずかに眉をひそめる。
「……それはそうですが。多少は受けておいた方がいいのでは? ギルドの機嫌を損ねても、得はありませんよ」
「知ったことかよ」
剣士は即座に言い切った。
「俺たちが動かなきゃ、高難度は誰が片付けるんだ? 結局、向こうが折れるに決まってる」
盾騎士も肩をすくめる。
「まあな。今さら、俺たちに強く出られるわけねぇし」
「向こうも分かってるさ。〈雷槍の牙〉がいなきゃ困るってな」
その言葉に、魔導士は何も返さなかった。
返せなかった、の方が正しい。
剣士は話題を切り替えるように、軽く手を振る。
「ま、ガイウスが帰ったら決めりゃいいだろ」
「リーダーがいねぇと決められねぇって顔するなら、それでいいじゃねぇか」
「そのガイウス、どこ行ったんだ?」
盾騎士の問いに、魔導士が首を振る。
「少し出てくるとだけ……詳しくは」
「ふん。じゃあ、今は放っとけ」
剣士は完全に興味を失った様子で、背もたれに体重を預けた。
「ギルドの小言なんざ、いつものことだ」
部屋には再び、緊張感の欠片もない空気が戻る。
誰も、それが“いつも通りではなくなりつつある”ことに、気付こうとはしなかった。
〈雷槍の牙〉はまだ、自分たちが秤の上に乗せられ始めていることを知らない。
あるいは──知ろうとしなかった。
◆
その頃、ガイウスは街の中心から少し外れた高級酒場にいた。
表の喧騒とは切り離された、薄暗い個室。厚い扉を閉めれば、外の音はほとんど届かない。
テーブルを挟んだ向かいには、フードを深く被った男が座っている。
顔は影に沈み、店内の灯りを受けても輪郭すら曖昧だ。年齢も、人相も、何一つ判別できない。
──この街の情報屋。
もっと正確に言えば、古くから存在する裏の情報屋組織の一員。
彼らは、金を積めば誰にでも口を開くような連中ではない。
複雑な手順と、いくつもの信用を積み重ねた者だけが、ようやく接触を許される。
ガイウスは、かつて“ある人物”の紹介でこの組織と繋がった。
それ以来、互いは客と売り手として、必要最低限の関係を保っている。
「久しいな」
ガイウスが低く声をかけると、男はわずかに顎を動かしただけだった。
「……用件は?」
声はくぐもっていて、感情の起伏が読み取れない。
ガイウスは、視線を逸らさぬまま本題に入る。
「Bランクパーティー、〈星環の誓約〉についてだ」
その名が出た瞬間、個室の空気が微かに張り詰めた。
それは気のせいかもしれない。だが、長年裏を歩いてきたガイウスの勘は、確かに何かを感じ取っていた。
「最近、この街で妙に評判がいい。ギルドからの評価だけじゃない。動き方が……気に入らん」
ギルドへの協力度。
依頼の受け方。
初級冒険者との関係。
そして、街の中で静かに積み上がっていく評価。
それらは一つ一つなら取るに足らない。
だが積み重なれば──確実に、自分たちの居場所を侵食してくるかもしれない。
情報屋は、しばし沈黙したままだった。
やがて、指先でテーブルを軽く叩く。
「……珍しい依頼だな。彼らは、表の人間だ。裏を嗅ぐ必要があるほどか?」
「ある」
ガイウスは即答した。
「放っておくと、何かと面倒になる匂いがする。俺は嫌な予感ってのを信じる質でな……手遅れになる前に、正体を知っておきたい」
男はフードの奥で、微かに笑った──ように見えた。
「なるほど。ギルドの評価、依頼の流れ、人間関係……どこまで欲しい?」
「全部だ」
ガイウスの声は低く、揺るぎがない。
「過去も、現在も。繋がりがあるなら、それもだ」
再び沈黙。
やがて、情報屋はゆっくりと頷いた。
「……代価は安くないぞ?」
「構わない」
ガイウスは迷いなく答えた。
薄暗い個室の中で、二人の間に見えない契約が結ばれる。
その内容が、やがて表の均衡を崩す火種になることを、まだ誰も知らない。
◆
情報屋が個室を出ていった後も、ガイウスはそのまま席を立たなかった。
重厚な扉が閉まる音を聞き届けてから、ようやく深く息を吐く。
テーブルの上には、年代物の酒瓶。
琥珀色の液体が、低い灯りを受けて鈍く揺れている。
「随分といい酒ね」
部屋に入ってきた女が、柔らかな声で囁いた。
豪奢な衣装に身を包み、白い指先でガイウスの腕にそっと触れる。計算された距離感。高級酒場に相応しい、美しい商品。
「ああ……そうだな」
ガイウスは杯を傾け、喉を焼く感覚を楽しむ。
女の香り、酒の甘さ、娯楽の魔道具を利用した静かな音楽──どれもが、彼の感情を覆い隠す仮面のようだった。
だが、胸の奥では別の感情が蠢いている。
〈星環の誓約〉。
その名が、脳裏に浮かぶ度、奥歯を噛み締めたくなる。
実力がある? 評判がいい? 協力的?
(……笑わせるな)
自分たちは違う。
危険の最前線を切り開き、街を守ってきたのは誰だ。
選ばれし者。生き残った者。頂点に立つ資格を持つ者。
──それは、〈雷槍の牙〉だ。
その自尊心は、これまで表に出す必要がなかった。
当然の事実として、胸の内にあるだけでよかった。
だが今は違う。
自分たちより後から現れた連中が、称賛を集め、ギルドの信頼を得ている。
それが、どうしようもなく──気に入らない。
「……乾杯しましょう?」
女が微笑み、杯を掲げる。
ガイウスは一瞬だけ現実に戻り、軽く杯を合わせた。
澄んだ音が響く。
(必ずだ)
心の中で、静かに誓う。
必ず〈星環の誓約〉を引きずり下ろす。
自分たちが頂点だと、思い知らせてやる。
杯を空にし、ガイウスは立ち上がった。
「場所を変えるぞ」
女は何も問わず、従順に立ち上がる。
二人は情報屋と会った個室とは別の廊下へと向かう。
より奥まった、目的の異なる扉の前で、ガイウスは一瞬だけ足を止めた。
そして、迷いなく扉を開ける。
酒と欲と、歪んだ決意を連れて──
彼は、女とともに闇の中へと消えていった。




