第9章 第1話 逃げられなかったPM案件
いくつかの案件でリーダーやサブリーダーを任されるようになっていた34歳の頃である。
自分は嫁と入籍した。
その一年前、彼女は父親を亡くしていた。
「拠り所が欲しい」
そう言われたのである。
自分は入籍届を提出した時、色々な覚悟をした。
彼女の人生に責任を持つこと。
彼女と共に生きること。
とにかく、自分は彼女の人生の一部を背負う覚悟をした。
そんな中、また炎上案件に身を投じることになる。
案件は銀行システム統合プロジェクトだった。
すでに第3フェーズに入っているという。
その中の電話関連システム更改案件を、基本設計から担当することになった。
自分は10名のメンバーを率いるPMとして参画した。
参画した時点で、基本設計は終盤だった。
まずは引継ぎを受ける。
基本設計書を開く。
スカスカだった。
画面イメージ。
それだけである。
システム仕様がない。
業務仕様がない。
基本設計が存在していなかった。
昔の自分であれば、早々に撤退を考えたと思う。
しかし、この時の自分には守るものがあった。
仕事を失うわけにはいかない。
簡単に逃げるわけにもいかない。
そう考えた。
そして自分は言ってしまった。
「やります。」
デスマーチの始まりである。
さらに、そのシステムは5年ほど大きな障害もなく運用されており、保守担当者がいなかった。
そのため、まずはソースコードを解析し、基本設計書のひな型を起こすところから作業が始まった。
しかし問題はそれだけではなかった。
このシステムは第1フェーズ、第2フェーズの段階で仕様を決め切れず、実質的に何も進んでいなかったのである。
その結果、
・基幹システムのJava化
・DB移行
・新機能追加
という、本来であればそれぞれ独立したプロジェクトとして管理すべき内容が、一つの案件に押し込まれていた。
自分の一日はこんな感じだった。
9:00~18:00 打合せ
打合せの合間はメンバーからの質問対応。
18:00以降になって、ようやく自分の作業が始まる。
WBS作成。
進捗確認。
報告資料作成。
メンバー成果物のレビュー。
各種調整。
気が付けば毎日23:00まで会社にいた。
当時は禁止されていたが、仕事を持ち帰ることもあった。
土日も9:00~23:00まで作業する。
そんな生活になっていた。
当時の月間稼働時間は約400時間だった。
ちなみに一か月は720時間である。
人生の半分以上を仕事に使っていた計算になる。
そんな生活が一年続いた。
それでもプロジェクトは進む。
基本設計。
詳細設計。
実装。
フェーズだけは進んでいった。
開発が一段落すれば楽になる。
その思いだけで耐え続けていた。
しかし、開発工程が終わり、結合テスト仕様書作成フェーズに入っても、自分の稼働は落ちなかった。




