第3章 1話 服飾専門学校
18歳で上京した。
初めての一人暮らしである。
正直に言えば、大学生みたいに遊べると思っていた。
東京だ。一人暮らしだ。
何か面白いことが始まる気がしていた。
しかし現実は違った。
服飾専門学校は大学ではなかったのである。
授業は朝9時から18時まで。
夏休みも高校と同じくらいしかない。
毎日のように課題と宿題が出る。
大学生のように自由な時間がたくさんあると思っていたが、完全に勘違いだった。
スキー部にも所属した。
実はスキーは父親の趣味で、4歳の頃からやっていた。
入学して間もなく彼女もできた。スキー部の先輩だった。
学年は一つ上。
年齢は三つ上だった。
夜間定時制高校を卒業して入学していたためである。
親からの仕送りは月10万円だった。
親戚のアパートに住まわせてもらえたので家賃は3万円。
残り7万円で生活することになる。
しかし服飾の世界は何かと材料費がかかる。
そこでコンビニの深夜アルバイトを始めた。
夜勤が終わる。帰宅する。風呂に入りながら寝る。
授業へ行く。当然、授業中は睡眠時間だった。
本末転倒である。
それでも何とかやっていた。
基礎科ではデザイン画の授業があった。
高校時代、美術学校でデッサンを学んだ経験もあった。
しかしデザイン画は別物だった。
服の構造を理解し、新しいデザインを考え、それを絵として表現しなければならない。
周囲には当たり前のように何枚も描く人がいた。
自分は一枚描くのにも苦労していた。
やはりデザインは向いていなかった。
だから方向転換した。
発想で勝負するのではなく、知識と技術で勝負する。
そう考えたのである。
服飾専門学校では文化祭が最大のイベントだった。
外部からも多くの来場者が訪れ、生徒によるファッションショーも行われる。
スキー部では毎年屋台を出すのが伝統だった。
自分が2年生の時は部員も多く、特に苦労はなかった。
しかし3年生になると新入部員が入らなかった。
気が付けば自分が部長になっていた。
文化祭の出し物は毎年恒例のチョコバナナだった。
部員4人で3日間対応し、2000本を販売した。
利益は2万円ほどだった。
4人で山分けしたので、一人あたり5000円くらいだったと思う。
当時の学生にとっては嬉しい臨時収入だった。
材料を仕入れ、作り、売り、利益が残る。
そんな当たり前の仕組みを実感したのは、この時が初めてだったかもしれない。
親に学費を出してもらい、自分の意思で選んだ学校だった。
だから卒業だけはしようと思っていた。
振り返ると、自分一人の力で卒業したわけではない。
スキー部の仲間や彼女、クラスの友人たちに助けられながら卒業までたどり着いたのである。
卒業前にパソコンを購入した。
理由は今後のデザインの世界でIllustratorやPhotoshop、CADなどパソコンを使う作業が増えると思ったからだ。
携帯電話も普及し始めていた。
ISDNというものがあることも知っていた。
ネット接続くらいできれば十分だろう。
そんな軽い気持ちだった。
そして無事に卒業した。
やっと社会に出られると思った。




