第2話 図太いなんてもんじゃない
葛亨。この二文字の羅列は「かつらとおる」と読む、今眼前でふうんとばかりに眉を顰めた男の名前だ。俺の勤める会社、同じ部の後輩。仕事もそつなくこなすし、先輩後輩問わず人気のある男だ。顔が整っているからいくらか有利に働いているのかもしれないが、別にグズでもないから本人の素質もあるのだろう。こう見えて会社ではバカがつくほど真面目だと思われているらしい(俺は思ったことがない)。こちらを見定めるような目つきは出会った当初から変わらない。なんなら今も向けられている訳だが……なんだ、「おもしれー男」とでも言うつもりか。
「先輩は懲りないっすねぇ~」
「こっちのセリフなんだよ」
「こんなイケメンが先輩のお相手しようってんですよ?普通タジタジになって『こんなおじさんじゃ、君は、満足できないよ…』とか言うところでしょうが」
「そんなおじさんじゃなくて悪かったな」
それに漫画の読み過ぎなんだよ。そんな草臥れたおじさんだって漫画じゃ綺麗な顔してるだろうが。と訳の分からないツッコミをお見舞いする。たしかに、と納得しかけた葛は首を横にブンブンと振ると、こちらにまた前のめりになった。
「そうじゃなくて!俺の気持ちわかってますよね?なんでこんな純粋な恋心を無碍にできるんですか」
「お前は今まで無碍にしてきた側だろうが」
「はっ、忘れましたねそんなことは」
会社では高評価なこいつだが、唯一高く評価していなかった世代があった。葛の同僚である。腹黒いだの女遊びがひどいだの何股もかけてるだの、聞いた噂ではまっくろくろすけ。今の一言でダメ押しをしたくらいだ。おそらく同僚の評価は真っ当なものなのだろう。こいつは周りに媚び諂うのがうまくて、相手に合わせて化けの皮を纏うのだ。
「大体俺は付き合うなんて言わなかったですよ?女の子と付き合ったことないですもん」
「よく言う……」
「ほんとですって!告白ってなんですか? 恋人関係ってなんですか? 『付き合いましょう』『はい、いいですよ』のやりとりがあって初めて結ばれるんですよね? 言うなれば口約束ですよ。それをした上でシラを切ってるならクズですけど俺はその口約束もしたことがないんです」
「体は結んだんだろ」
「はい、それはそれは」
やかましいったらありゃしない。今ここにこいつの歴代経験相手がいたなら、こいつは来来来世分まで殺されていたことだろう。なんでこんなクズと俺が同じ未婚という括りになるのだ。この世界はどうかしている。こいつ、どうせ同じ漢字なのだから「かつら」から「くず」に改名すればいいのに。
「今酷いこと思ったでしょ」
「至極当然のことしか考えてねぇよ」
こいつといると、飲んでる缶コーヒーが不味く思えてくる。いや実際美味しいのだが、そういうテイを装わないと自分が二段階くらいダメになる気がするのだ。なんせ葛は人として終わっている。前科者だし。
「詩織ちゃんのお世話とか大変ですよね?俺手伝いますよ」
「簡単に言うんじゃないよ」
「だって、水無瀬さんめちゃくちゃ顔色悪いですよ」
「おじさんだからね」
「それだったら俺も顔色悪いってことになりますけど」
当たり前だ。休みの日にストーカーに付き纏われているのだから、顔色なんて悪くなって当然である。そもそも休日に仕事先の人間と会うことすらストレスだというのに。
「さっさと帰れよ」
「ひどいなぁ。俺がきて嬉しいくせに」
「気持ち悪いよ」
「はいはい、好きなんですね僕のこと」
無敵か、こいつは。何を言っても聞かないし効かない。ため息をついて俺は缶コーヒーを飲み干した。このベンチに座っているからいけないのである。ゴミ箱に缶を捨てて、俺は詩織の元へ大袈裟に視線を向けてやった。しかし、こいつは賢いから俺の考えなんてお見通しである。にこにことしたまま、まだ缶コーヒーを飲み干さない。空気読めよボケ。
「なんなんだよお前」
「言ってますけど、好きですって」
「断ってるでしょうよ」
「今はね。俺は諦めませんから」
その宣言は今後繰り返される今日のようなめんどくさい時間の約束とも取れる。それを思うと反射的に眉が顰められた。俺のその顔に満足気に笑うと、葛は缶コーヒーをようやく捨てた。まだ中身残ってなかったか、それ。
「また来ます」
「明日仕事で会うだろ」
「……それもそうですね!」
一瞬とぼけたふりをしてみせてくる。こいつ、数時間後にまた来るつもりだったな。俺は葛の眼前に指を差し、絶対に来るなと念押ししてから詩織の元へ走った。
「ごめんごめん、おまたせ」
「かつらさん、かっこいいね!」
「……顔だけな」
「なんて?」
「なんでもー」
こういう独り言も子供は意外と聞いていたりするものだ。今後は慎まないとなと俺は少し反省した。
✳︎
✳︎
✳︎
「はぁーーあ」
「でっかい声ねぇ」
「聞こえるようにしたんですよぉ」
少し光が控えめの店内は今の俺の気持ちを表しているようだった。あの後家を訪ねようかと考えたが、別に先輩を本気で怒らせたいとは思わないので慎んだのだ。あの人の言いなりになってしまったことが悔しい。やはり行くべきだったか。
「恋の駆け引きは押し引きが大事って言うでしょ?」
マスターはそう言いながらグラスを磨いている。その手つきは素人の俺でも見惚れるほどだ。屈強な男らしい腕は優しくグラスを掴んで丁寧に磨いている。
「あたしに話してみなさいよ、タダで聞いてあげるんだから」
「マスターも大変でしょ」
「どうして?」
「俺に負けず劣らずのイケメンだし、女性客も多いからこういう恋愛相談とか聞き飽きてるかなって」
「あら!アンタも人を気遣う心があったのね!」
「最近必要だなって思い始めました」
「成長してるじゃない」
にっこり笑うマスターは確かに男だ。その口調の柔らかさと甘いマスク、振る舞われる料理が絶品とのことで、最近はこの店も脚光を浴び始めたところである。俺は二十代の頃から通い詰めているお店で、隠れ家的な感じも好きだったのでちょっと悔しさはあるけど、マスターが楽しいならそれでいいと思う。
「で?ダメだったんでしょ」
「二回目会おうとしたのに断られました」
「いつもは我慢できないのに今日は引いたのよね?偉いじゃない」
「まぁ、嫌われたくないですし」
「あんたがそこまで言う人って珍しいわね、ほんと」
自分でも驚くほどにのめり込んでいるとは思う。しかし、そうまでする価値がある人なのだ。
この俺が、人生を捧げるに値する人なのだ。水無瀬暁仁というあの男は、間違いなく俺の運命の人なのだから。
「他の人じゃダメなわけ?あんたあんなに女の子はべらかしてたじゃない」
「ダメですよ。だって、俺もうただのイケメンじゃないですもん」
仕事もそつなくこなすし、先輩後輩問わず人気のある俺だ。顔が整っているからいくらか有利に働いているのかもしれないが、別にグズでも気難しくもない。こう見えて会社ではバカがつくほど真面目だと思われていたり、笑顔が可愛くて思わず手伝いたくなっちゃう後輩だと思われていたりもする。
だが。
「俺はもう、ただのイケメンなおじさんなんですよ?」
いけすかないよね。かつら。




