第12話
藤堂は教授のもとを飛び出したあと、そのまま真っ直ぐ恭子を探していた。
夕暮れのキャンパス。
赤く染まった校舎の窓が、眩しく光っている。
部活帰りの学生たちの笑い声が遠くで響く中、藤堂は荒い呼吸のまま歩き続けた。
そして、中庭近くのベンチで恭子を見つける。
隣には優子もいた。
恭子はペットボトルを片手に、優子と何か話していたが、こちらに気づくと少しだけ眉をひそめた。
藤堂は唾を飲み込む。
胸が苦しい。
逃げたい。
でも、ここで逃げたら本当に終わる気がした。
「……大洗さん」
声が少し掠れる。
恭子が静かに視線を向けた。
「ちょっと話、できないかな」
すると優子が「あっ」と空気を察したように立ち上がった。
「私はお邪魔かな〜」
わざとらしく笑いながら、ひらひら手を振る。
「ジュース買ってくるね!」
去り際、優子はそっと恭子の肩を叩いた。
「ちゃんと向き合ってあげな」
その言葉に、恭子は小さく目を伏せた。
……向き合う。
きっと優子は、藤堂の気持ちに気づいていたのだろう。
恭子自身も、薄々わかっていた。
視線。
話しかけてくる頻度。
不器用なくらい必死な態度。
でも、気づかないふりをしていた。
向き合うのが怖かったから。
やがて二人は、人気の少ない校内テラスへ移動した。
夕風が吹き抜け、テーブルの上のプリントをかさりと揺らす。
遠くのグラウンドから、運動部の掛け声が微かに聞こえていた。
向かい合って座っても、藤堂はなかなか口を開かなかった。
膝の上で握った拳が、小さく震えている。
やがて、俯いたままぽつりと呟く。
「……大洗さんってさ」
「年上が好きなの?」
恭子は一瞬だけ目を瞬かせた。
すぐに、倉持教授のことだとわかる。
「……別に」
短い返事。
すると藤堂は顔を上げた。
どこか追い詰められたような目だった。
「なら、なんで!?」
思ったより大きな声が響く。
藤堂は苦しそうに眉を寄せた。
「なんでアイツなんだよ……!」
「なんで、倉持教授がいいの?」
その言い方に、恭子は少しだけ眉をひそめる。
“アイツ”。
そう呼ばれたことに、胸の奥がちくりと痛んだ。
けれど藤堂の表情を見て、怒る気にはなれなかった。
悔しくて。
苦しくて。
どうしようもない顔をしていたから。
恭子は静かに息を吐く。
「……倉持教授だから、いいの」
夕風が黒髪を揺らした。
「理由とか……そういうの、なきゃダメ?」
藤堂は言葉を失ったように黙り込む。
そして視線を落とし、小さく唇を噛んだ。
「……納得、できないんだ」
掠れた声。
「特別な理由とか、そういうのないと……」
その姿を見て、恭子の胸が少し痛んだ。
この人は、本気だったんだ。
軽い気持ちじゃなく。
ちゃんと、自分を好きでいてくれた。
だからこそ、曖昧にはしたくなかった。
恭子はそっと藤堂を見つめる。
「……ありがとう」
藤堂が顔を上げる。
恭子は少し困ったように笑った。
「私のこと、好きでいてくれたんだよね」
「でも私……倉持教授じゃなきゃダメなの」
夕陽が、彼女の横顔を柔らかく照らしていた。
「特別なことなんて何もないよ」
「ただ、教授のそばにいられるだけで幸せなの」
その瞬間だった。
藤堂の表情が、ぐしゃりと歪む。
唇を強く噛み、必死に涙を堪えようとする。
けれど耐えきれなかった。
「っ……クソ……」
震える声が漏れる。
「そんな顔されたら……もう諦めるしかないじゃんか……」
次の瞬間、藤堂は両手で顔を覆った。
大粒の涙が指の隙間から零れ落ち、テーブルへぽたぽたと落ちていく。
肩が小さく震えていた。
恭子は目を見開く。
まさか泣くとは思っていなかった。
胸がぎゅっと締め付けられる。
でも。
期待を持たせる方が、もっと残酷だ。
恭子は静かに口を開いた。
「……ありがとう」
夕風が二人の間を通り抜ける。
「私を好きになってくれて」
少しだけ声が震えた。
「……ごめんなさい」
沈み始めた夕陽が、長い影をテラスへ落としていた。




