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第玖話 ピンクの反逆児、黄金のバナナを追え!

━━━━━━━━━━━━━━━

在宅カルテ No.009

患者:御門結愛(帝都藝能大学 油絵科/私の妹・居候)

来院目的:同居(家賃は、一度ももらっていない)

主訴:本人いわく「麗ねぇ、女神が降臨した」

麗の診察:元ゴミ箱腸

━━━━━━━━━━━━━━━


 御門の家は、感情まで消毒された、冷たい無菌室だった。


 父も、母も、兄も、叔父も、従姉も、弟も。

 みんな、医学という名の白い檻の中で生きている。


 その檻から、極彩色の毒を吐きながら脱走した子が、ひとりだけいる。


     ◇ ◇ ◇


 深夜二時。

 閉店後のフローラから自分のマンションに帰ると、リビングの電気がついていた。


「麗ねぇ! おかえり! 見て見て見て見て!」


 玄関のドアを開けた瞬間、ピンク色のかたまりが突っ込んできた。


 御門結愛《みかどゆあ》。

 私の妹で、御門家の末っ子。日本の芸術関係の最高峰大学である、帝都藝能大学の油絵科に通う、現役の美大生だ。


 髪を蛍光ピンクに染めたウルフカット。身長は百六十四センチ。私より五センチ高いその体で、私の肩に顎を乗せて、ぎゅうぎゅうと抱きついてくる。これが、この子の定位置だ。


 一族の三親等以内で、医学の道に進まなかったのは、この子ひとりだけ。

 私が、一族を追放されて一週間後、結愛は、医学部を志すことをやめ、家を飛び出して、私の地下のラボのドアを蹴り破って現れた。


『麗ねぇだけ自由になるなんて、ズルい! 私も麗ねぇの「菌の奴隷」にしてよ!』


 ――そして、そのまま私の部屋に住みついたのだ。

 ちなみに、家賃は、一度ももらっていない。


その後、結愛は、競争率数百倍と言われる帝都藝能大学に現役合格し、今は立派??な女子大生となっている。


御門の子供達は、幼い頃から、医学のみならず、芸術、音楽、語学、武術と、あらゆるジャンルの英才教育を施されるが.....この子の芸術や音楽に対する能力はその中でも群を抜いていたのだ。医学を目指さず、帝都藝能大学に現役で合格したことも、必然なのかもしれない....。



「ちょっと、結愛。重いわ。それと、なんで起きているの」


「だって、女神が降臨したんだもん!」


「……女神?」


 結愛は私の手を引っぱって、リビングの奥へ連れていった。


 そこには、巨大なキャンバスが立てかけてあった。

 百号。畳一枚より大きい。


 夜空のような群青の背景。

 その中央に、後光を背負って、黄金色に輝く――


 バナナのような、何か。


「…………結愛」


「すごくない? 今朝ね、出たの。完璧なやつが。つやっつやで、するっと、一本で。もう、神々しくて、思わず拝んじゃった」


 結愛は、スマホの画面を私の目の前に突き出した。


「ちゃんと写真も撮った! 資料として!」


「見せなくていいわ」


 私は、スマホを手のひらで押し返した。


「確かに私は、『黄金のバナナを目指しなさい』と言ったわ。でも、それを撮影して、あまつさえ油彩で百号のキャンバスに描き写せとは、一言も言っていないわよ」


「だって、芸術は、心が震えた瞬間を残すものでしょ?」


「心じゃなくて、腸が震えた瞬間よ、これは」


 キャンバスの右下には、小さく題名が書き込まれていた。


『降臨 ――Golden Venus』


     ◇ ◇ ◇


「ねえ麗ねぇ、絵の具も見て。これ、新しく調色したんだ」


 結愛は、パレットを誇らしげに掲げた。

 茶色から黄土色まで、七つの色が、きれいなグラデーションで並んでいる。


 それぞれの色の下に、マスキングテープが貼られていた。


『タイプ1』『タイプ2』『タイプ3』……『タイプ7』


「……ブリストル・スケールね」


「そう! 麗ねぇが前に教えてくれたやつ! うんちの形を、七段階で分けるんでしょ?」


「便の形と硬さの分類よ。タイプ1がコロコロの硬い便、タイプ7が水みたいな便。そして、いちばん理想に近いのが――」


「タイプ4! つるんとしたバナナ形!」


 結愛は、パレットの真ん中の、ひときわ鮮やかな黄金色を指さした。


「この色だけ、名前つけたの。『麗ねぇイエロー』」


「やめなさい」


「えー、可愛いのに」


 私は、こめかみを押さえた。


 ――この子は、本気で嬉しいのだ。

 それが分かるから、強く叱れない。


     ◇ ◇ ◇


 半年前の結愛の腸は、ゴミ箱だった。


 主食は、エナジードリンクと、蛍光色のグミ。

 とくにお気に入りだったのが、若者を中心に絶大な人気を誇るお菓子メーカー、XXX(トリプルエックス)社の『合法ドパミン・蛍光ピンクのバキバキグミ〜脳髄メルトダウン味〜』という、名前からして正気を疑うお菓子だった。


 野菜は食べない。寝ない。三日に一度しか出ない。

 出たと思えば、タイプ1のコロコロか、タイプ7の大洪水。


 気分の浮き沈みも激しかった。

 夜中にキャンバスを何枚も切り裂いて、朝には泣きながら私のベッドにもぐりこんでくる。そんな日が続いた。


「あの頃の私、ほんとヤバかったよね」


 結愛は、ソファの上で膝を抱えて笑った。


「ええ。腸内細菌の顔ぶれも、たぶん極彩色のカオスだったわ」


「グミのせい?」


「グミだけのせいじゃないけれど」


 私は、キッチンでお湯を沸かしながら答えた。


「加工食品に入っている乳化剤という添加物は、マウスの実験で、腸の壁を守る粘液の層を薄くして、腸に炎症を起こしやすくしたという研究があるわ。人間でも同じことが起きるかは、まだ研究の途中。でも、食物繊維ゼロで、添加物ばかり食べて、寝ない生活をしていれば、腸が荒れるのは当然よ」


「で、麗ねぇが、私の味噌汁に毎日、謎の粉をぶちこみ始めたんだよね」


「菊芋(きくいも)のイヌリンよ。プレバイオティクス。謎の粉じゃないわ」


「最初、砂かじってるのかと思った」


「慣れたでしょう」


「うん。今は、ないと物足りない」


 結愛は、ソファの上で足をばたばたさせた。


「プレバイオティクス、スパルタだったなあ」


 プレバイオティクスは、腸の中で酪酸菌たちのエサになる。

 菌が酪酸を作り、その酪酸が腸の粘膜を修復する。菌の種類が増え、腸が整い、便の形が変わる。


 ――あのキャンバスの黄金色は、半年分の、その証拠だ。


「でも、結愛」


 私は、湯気の立つマグカップを二つ持って、ソファに座った。


「あの絵を、展示に出すのはやめなさい」


「えっ、なんで!? 学内展に出そうと思ってたのに!」


「御門の娘が、自分の便を百号で描いて発表したら、お父様が卒倒するわ。お母様はしにかねないわよ!!」


「面白そう!! それ、ちょっと見てみたいかも」


「.......やめなさい」


     ◇ ◇ ◇


「それより、結愛」


 私は、テーブルの上を見た。


 空になったエナジードリンクの缶が、三本。

 そして、結愛の目の下には、うっすらとくまができている。


「何日、寝ていないの」


「……二日?」


「二日」


「だって、女神を描いてたら、筆が止まらなくて」


 私は、無言で結愛の手からスマホを取り上げた。


「あっ、ちょ、麗ねぇ!」


 そして、ポケットから菊芋スティックを一本取り出し、結愛の口に突っ込んだ。


「むぐっ」


「睡眠不足は、菌への冒涜よ」


「むぐむぐ……」


「腸の菌たちにも、一日のリズムがあるの。夜更かしと不規則な生活が続くと、そのリズムが乱れる。せっかく育てた黄金のバナナも、寝不足が続けば、またタイプ1に逆戻りよ」


 結愛は、菊芋スティックをくわえたまま、ぴたりと動きを止めた。


「……『麗ねぇイエロー』が、消えちゃう?」


「消えるわ」


「寝る」


 即答だった。


     ◇ ◇ ◇


 結愛は、毛布にくるまって、ソファに丸くなった。

 そのまま寝るのかと思ったら、毛布の中から、くぐもった声がした。


「ねえ、麗ねぇ」


「何?」


「……この前、湊(みなと)(麗の弟、結愛の兄)から電話があったの。父さまと彰兄さまが、麗ねぇの論文とか、研究費とか、差し止めようとしてるって噂があるって」


 私は、マグカップを持つ手を止めた。


「湊、すっごい心配そうだった。あいつ、自分のことはすぐ諦めるくせに、麗ねぇのことになると、声が震えるんだよね」


「……そう」


 ――湊も、同じことを言っていた。

 噂は、もう噂ではないのかもしれない。


「麗ねぇ」


 毛布の中から、結愛の手が伸びてきて、私の服の裾をつかんだ。


「麗ねぇを傷つける奴は、父さまでも、彰兄さまでも、私が全員、キャンバスに塗り固めてやるから」


「物騒なことを言わないの」


「本気だよ。麗ねぇは、私だけ見てればいいんだから」


 裾をつかむ指に、ぎゅっと力がこもった。


「……結愛」


 私は、その頭をそっとなでた。

 ピンクの髪は、思っていたより、ずっと柔らかかった。


「その絵、展示はだめ。でも、捨てなくていいわ」


「……ほんと?」


「あなたの腸が、半年かけて描いた絵だもの。私の研究データより、よっぽど雄弁よ」


 毛布の中で、結愛が小さく笑った気がした。


「いいから、早く寝なさい。命令よ」


「……はぁい」


 数分後、穏やかな寝息が聞こえてきた。


     ◇ ◇ ◇


 私は、リビングの電気を消そうとして、ふと手を止めた。


 ローテーブルの端に、見慣れない小包が置いてあった。

 宛名は、結愛。差出人は――XXX社。


『新商品モニターのご案内 〜脳髄メルトダウン味・プレミアム〜』


「……まだ、届いているのね」


 私は、小包をそっと棚の上に移した。

 結愛に気が付かれないように、あとで、中身を処分しなければならない。


 一息つこうと、お湯を沸かしはじめたところで、御門専用の黒い端末回線GENPAKUがコール音をはなった。未読が、一件。


『父上のことで、話がある。――彰』


 画面の光が、暗いリビングに、ぼんやりと浮かんでいた。


 私は、それを開かないまま、しばらく見つめていた。


挿絵(By みてみん)

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麗の腸活ワンポイント

「ブリストル・スケール」=便の形と硬さを七段階で分ける、世界共通の目安。タイプ1がコロコロの硬い便、タイプ7が水のような便。理想に近いのは、つるんとしたバナナ形のタイプ4よ。

毎朝、自分の便を見て、タイプを確かめなさい。……ただし、絵に描く必要はないわ。

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――次回、第拾話「神の手の失墜、砂漠の残照」。

兄からの、一通の招待状。二度と歩かないと決めた、あの病院の廊下を――私は、もう一度歩くことになる。


麗のEvidence Log(参考文献)

・Lewis SJ, Heaton KW. (1997) Stool form scale as a useful guide to intestinal transit time. Scandinavian Journal of Gastroenterology 32(9): 920–924.

・Chassaing B, et al. (2015) Dietary emulsifiers impact the mouse gut microbiota promoting colitis and metabolic syndrome. Nature 519(7541): 92–96.

・Holscher HD. (2017) Dietary fiber and prebiotics and the gastrointestinal microbiota. Gut Microbes 8(2): 172–184.


※本作はフィクションです。作中の医学的な説明は一般的な研究知見をもとにしていますが、診断や治療の代わりにはなりません。便の状態に気になる変化が続くときや、血が混じるときは、医療機関にご相談ください。


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