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第肆話 表層の虚飾、腸内の真実

━━━━━━━━━━━━━━━

往診カルテ No.004

患者:御門冴子(皮膚科教授・美容皮膚科学会会長/私の母)

来院目的:なし(呼び出したのは向こう)

主訴:本人いわく「美しさに一点の曇りもございませんわ」

麗の診察:慢性便秘のブラック腸

━━━━━━━━━━━━━━━


 その命令は、一族専用の端末GENPAKUに届いた。


『来週土曜、御門美容皮膚科クリニックの理事長室に来るよう。緊急カンファレンスを開く。消化器病と皮膚病との最新の研究情報を報告せよ。欠席の場合、お前の医師として研究者としての社会的立場は抹消されるものとしれ。なお貴様はあくまで一介の消化器内科の医師として出席するのであり御門の立場は一切関連がないものとする』


 差出人の名前はなかった。

 けれど、こんな脅し方をする人間は、心あたりは1人しかいない。兄さまだろう。


「……研究者としての社会的立場を人質に取るなんて。相変わらず品のない奴らね……」


 私はため息をつき、クローゼットの奥から、久しぶりにドレスでもスエットでもない……御門の会合に参加する際の制服である御門の家紋のついたジャケット取り出した…。


「ふ、たかがカンファレンスで正装しなければならないなんてね…。本当に不自由な人たちだわ……」


     ◇ ◇ ◇


 カンファレンスそのものは、2時間ほどで終わった。


 警告された通り、一介の消化器内科医師として、長いテーブルの末席に座り、誰とも目を合わせず、淡々と研究報告をまとめた資料を発表し至極無難にやりすごした。幸い、父も兄も御門グループの皮膚、美容領域を統率しているこの『御門美容皮膚科クリニック』の現場カンファレンスには流石に参加してこないようだ……。


わたしはどこか安堵した気持ちになった。

幼少期からの御門の徹底した帝王学教育によりさすがの私もどうやら御門の序列による絶対的権力に対する恐怖は染み込んでいるのかもしれない…。


 問題は、その後だ。


「麗。少し、わたくしの部屋にいらっしゃい」


 廊下で呼び止めてきたのは、母だった。


 御門冴子(みかどさえこ)。

 聖クリストファー女子医科大学の皮膚科教授にして、日本美容皮膚科学会の会長。関東関西を中心にグループ50医院をこえる美容整形、美容皮膚クリニックを束ねる御門グループ美容皮膚科の理事長。

 テレビの美容特集で、「年齢を感じさせない奇跡の美肌」と紹介される人だ。


 案内されたのは、クリニック最上階の理事長室だった。


 大理石の床。金の額縁。壁一面の鏡。

 そして、部屋に足を踏み入れた瞬間――


 シュッ。


 顔に、冷たい霧が吹きかけられた。


「……お母様。今のは何かしら」


「除菌スプレーですわ」


 母は、香水の小瓶のようなスプレーを手に、涼しい顔で言った。


「あなた、雑菌の匂いがしますもの。腸内細菌の研究室だか何だか知りませんけれど、不潔な菌の羽音が、ここまで聞こえてきそうですわ」


「今のひと吹きで、私の顔の皮膚常在菌が、ざっと何万匹か死んだわね」


「よろしいことですわ」


 よろしくない。

 皮膚の上の菌は、肌のうるおいと守りを支える大事な住人なのに。


 私は顔を拭いながら、ソファに腰を下ろした。


「麗」


 母は鏡の前に立ったまま、振り返りもせずに言った。


「あなた、まだそんな『菌のお世話』をしていらっしゃるの?」


「ええ。毎日」


「腸内細菌の研究なんて、怠け者が自分の不摂生をごまかすための気休めですわ。美しさとは、外側から制御するもの。最先端の医療で、表面を完璧に整える。それが御門の美容皮膚科ですのよ」


 鏡に映る母の顔は、確かに完璧だった。


 ――表面だけは。


 私は、目を細めた。


 最新のレーザーで焼いたはずの頬に、うっすらと浮き上がるシミ。

 目元の小じわを埋めるように、何層にも重ねられたコンシーラー。

 そして、その厚塗りの下からも透けて見える、肌のくすみ。


 これは、外側の問題じゃない。

 内側からの、SOSだ。


「お母様」


 私は、静かに口を開いた。


「お久しぶりぶりですわね」


「……なんですの、その下品な挨拶は」


「失礼。お母様の顔を見ていたら、つい『出ていないもの』のことを考えてしまって」


 母の眉が、ぴくりと動いた。


     ◇ ◇ ◇


「そのシミとシワ。原因は、年齢じゃないわ」


 私は立ち上がり、母の隣に並んで鏡を見た。


「お母様の『腸』のせいよ」


「……は?」


 母が、初めてこちらを振り向いた。


「なにを馬鹿なことを。わたくしの肌は、最先端の皮膚科医療の結晶ですわ。腸など、関係ございません」


「関係あるのよ。腸と肌は、つながっているの」


 私は指を一本立てた。


「腸は体の中で最大の免疫器官。腸内環境が荒れると、体のあちこちで小さな炎症が起きる。それは、肌にも出る。腸と肌は、血液という運河でつながった『姉妹』なのよ」


「姉妹……」


「それに、腸の中で悪い菌が増えると、食べたものが腐敗して、フェノール類みたいな物質ができる。それが血液に乗って肌まで届くと、肌の乾燥やくすみの原因になるって研究もあるわ」


 母の顔から、すっと血の気が引いた。

 ……厚塗りのせいで、ほとんど分からなかったけれど。


「お母様。率直に聞くわね」


 私は、母の目をまっすぐに見た。


「最後に、ご自分の力で気持ちよく出たのはいつ?」


「な……っ」


 母の口が、金魚のようにぱくぱくと動いた。


「そ、そのような下品な話題、理事長室でするものではございませんわ!」


「医者同士の問診よ。お通じは、毎日ある?」


「……『お通じ』などと。わたくしは、そのような言葉は使いません」


「じゃあ、なんて呼んでいるの?」


「…………『排出物』ですわ」


「その排出物は、毎日出ているの?」


「……意志の力で、排出しておりますわ」


「意志の力?」


 そのとき、ノックの音がした。


「失礼いたします、理事長」


 入ってきたのは、白いスーツの秘書だった。手には、銀のトレイ。

 その上に、白い錠剤が二粒と、水のグラスが載っている。


「本日の、お薬でございます」


「……っ! い、今はよろしくてよ!」


 母が、慌ててトレイを押し返そうとする。


 けれど私は、その錠剤の刻印を、もう読み取っていた。

 センナ。刺激性の下剤だ。


「お母様」


 私は、ゆっくりと言った。


「その『意志の力』、銀のトレイに載って運ばれてくるのね」


 秘書が、気まずそうに目をそらした。


     ◇ ◇ ◇


「何年、飲んでいるの?」


 秘書が下がったあと、私は母に向き直った。


「……十年ほど、ですわ。毎朝」


 母は、観念したように小さな声で答えた。


「わたくしは、便――いえ、あれが嫌いなのです。体の中に、不潔なものが溜まっていると思うだけで、ぞっとしますの。だから、毎朝きれいに出してしまう。それの何がいけませんの」


「いけないのは、腸に『自分で動く』ことを忘れさせてしまったことよ」


 私は、できるだけ静かに言った。


「刺激性の下剤は、腸を無理やり動かして出させる薬。必要な場面はあるわ。でも、長い間それに頼り続けると、腸は自分の力で動くのをさぼるようになる。そして――」


 私は、自分のお腹を指先で軽く叩いた。


「センナのような下剤を何年も使い続けた人の大腸の粘膜は、内視鏡で見ると、黒っぽく色づいていることが多いの。『大腸メラノーシス』って呼ばれる状態よ。私は内視鏡医だから、何百回も見てきた」


「……黒く……?」


 母の声が、かすかに震えた。


「お母様の肌は、確かに真っ白ね。でも、お腹の中まで真っ白とは限らないわ」


 沈黙が落ちた。

 壁一面の鏡に、母と私が何人も映っている。どの母も、同じように青ざめていた。


 私は、母のデスクの上に置かれた分厚いカルテに手を伸ばした。


「ちょ、ちょっと、麗! それはわたくしの――」


「借りるわ」


 ページをめくると、そこには高級美容液、最新のピーリング、レーザー治療の記録が、びっしりと並んでいた。


 私は胸ポケットから赤ペンを抜き、その一行一行に、迷いなく線を引いていった。


「なっ……! なにをなさいますの!」


「外側にお金をかける前に、内側の工事をしなさい」


 そして、空いた欄に、私は新しい処方を書き込んだ。


 ――水溶性食物繊維を、毎食。

 ――海藻、きのこ、根菜、もち麦。

 ――発酵食品を一日一品。

 ――下剤は、いきなりやめない。量を少しずつ減らす。その計画は、私が組む。


 最後に、ポーチから小さな袋を取り出して、カルテの上に置いた。


「菊芋(きくいも)イヌリン入りのパウダー。朝のお紅茶に、ひとさじ入れなさい」


「……菊芋。そんな泥臭いもの」


「その泥臭いものが、お母様の腸の中で、善玉菌の大好物になるの。菌たちが元気になれば、腸は少しずつ自分の力で動くことを思い出す。肌の調子は、そのあとからついてくるわ」


 母は、パウダーの袋を、まるで毒物でも見るような目で見下ろした。


「不潔ですわ。秩序が乱れておりますわね」


 そう言いながら、母の指先は、袋をつまみ上げていた。


「……でも」


 母は、小さく息を吐いた。


「その泥臭い理論、少しは……筋が通っていますわ」


 その一瞬、厚塗りの仮面の下で、母の顔がわずかに揺れた気がした。

 救いを求める子どものような、頼りない表情だった。


 私が言葉をかける前に、母はくるりと背を向けた。


「……ふぅ……麗、もういいですわ…言いたいことが山ほどあったのですけれと、今日はもうお帰りなさい。それから――」


 鏡越しに、母が言った。


「湊(みなと)には、このような話を、決して聞かせないでちょうだい。あの子は体が弱いの。外の菌から、わたくしが守らなければ」


 私は、何も答えずに理事長室を出た。


 弟の湊。

 あの子が、この家で一番の「無菌室」に閉じ込められ、心身の脆弱性を産んでいることを母はまだ知らない。


     ◇ ◇ ◇


 エレベーターの扉が閉まる直前、私は廊下の奥に、背の高い人影を見た。


 黒スーツに身を包み、こちらをじっと見つめている男。


 兄だった。


 扉が閉まる。

 その数秒後、ポーチの中で、GENPAKUが震えた。


『ーー近いうちに、一席を設ける。逃げるなよ。』


 私は、端末を握りしめた。


「……逃げるわけ、ないでしょう」


 次の患者は、この国の健康を数字のみで支配する男。

 ――私の兄だ。


挿絵(By みてみん)


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麗の腸活ワンポイント

「腸‐皮膚相関」=腸と肌が、免疫や血液を通じて影響し合っていること。

高い美容液より先に、まずは腸に食物繊維を届けなさい。

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――次回、第伍話「砂上の健康日本、官僚の腐敗腸」。

兄様、あなたの決めた「数字」で、国民の腸は救えないわ。


麗のEvidence Log(参考文献)

・O'Neill CA, et al. (2016) The gut-skin axis in health and disease: A paradigm with therapeutic implications. BioEssays 38(11): 1167–1176.

・Miyazaki K, et al. (2014) Bifidobacterium fermented milk and galacto-oligosaccharides lead to improved skin health by decreasing phenols production by gut microbiota. Beneficial Microbes 5(2): 121–128.

・Freeman HJ. (2008) "Melanosis" in the small and large intestine. World Journal of Gastroenterology 14(27): 4296–4299.


※本作はフィクションです。作中の医学的な説明は一般的な研究知見をもとにしていますが、診断や治療の代わりにはなりません。下剤などのお薬の量を変えるときは、必ず医師に相談してください。


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