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第99話 紙片のあいだ

僕は、母の安否の知らせが来ないというメモを、しばらく見つめていた。


そのあとに続く、小さな手帳の紙片をもう一度確認した。


「車両、遅れて到着。


午後、物資を受け取った。」


次の紙片には、さらに短く書かれていた。


「数量が合わず、数え直した。」


補給物資を受け取り、数量を確認する普通の記録だった。


そのあとにも、似たような内容がいくつか続いていた。


僕は次の紙片を探した。


なかった。


最初のノートをもう一度開き、紙片を最初から見直した。


日付が続いているものは、それ以上出てこなかった。


「このあとの内容、どうしてないんだろう。」


ほかの資料のあいだに混じっているのだろうか。それとも、ずっと前になくなったのだろうか。


僕は二つ目のノートも、もう一度確認することにした。


ページをめくろうとして、手を止めた。


紙の端が、指に沿って少し持ち上がった。


もう少し力を入れていたら、破れていたかもしれなかった。


「危なかった……。」


原本の紙は、思っていたより弱くなっていた。


これ以上触らないほうがよさそうだった。


僕は二つ目のノートを置き、別にまとめておいた手帳の紙片をもう一度見た。


何か変だな。


端を横から見ると、少し厚かった。


よく確認すると、何枚かの紙が互いにくっついていた。


ほかの紙片も、もう一度確認した。


同じようなものがほかにもあった。


長いあいだ押さえられたままで、紙同士がくっついてしまったようだった。


蛍光灯にかざしてみたが、中までは見えなかった。


もしかすると、今探している記録も、そのあいだにあるのかもしれなかった。


端を少し持ち上げてみたくなったが、手を引いた。


下手に触らないほうがいい。


そのとき、スマートフォンが鳴った。


美咲さんからのLINEだった。


[仕事、終わりました。]


[手帳を確認しているんですが、一つ問題が出てきました。]


[どんな問題ですか?]


[下手に触ると、ノートが破れたり傷んだりしそうです。それと、別にまとめておいた手帳の紙片の中に、何枚かがくっついているものもあります。]


しばらくして、またメッセージが来た。


[今から行ってもいいですか?]


[はい。]


返事を送ってから、僕は部屋の中を見回した。


机の上には紙がいっぱいで、床にも資料が広がっていた。


僕は体を動かし、少しずつ片づけ始めた。


けれど、それほど経たないうちにドアを叩く音がした。


もう?


ドアを開けると、美咲さんが立っていた。


「来る途中で連絡したんです。」


「そうだったんですね。どうぞ。」


彼女は紙を避けながら、机の前まで来た。


僕は最後に確認した記録を見せた。


「定期的に届いていた母の安否の知らせが来ない。」


美咲さんの表情が固くなった。


「このあとは?」


続いている補給関係の記録を見せた。


美咲さんは手を触れずに、少し身をかがめて読んだ。


「そのあとは?」


「これで全部です。」


僕は片側にまとめておいた手帳の紙片を指した。


「その代わり、これを見つけました。」


美咲さんが近づいた。


「さっき言っていた、くっついている紙ってこれですか?」


「はい。」


「触らないほうがよさそうですね。」


「どうしましょう。」


困った状況だった。


そのとき、美咲さんがスマートフォンを取り出した。


「一人、思い当たる人がいます。」


「誰ですか?」


「古い文書や書籍の保存や研究をしている人です。福山の近くで、個人の研究所をやっています。」


「個人の研究所ですか?」


「はい。私と同じくらいの年なんですけど、この分野ではかなり知られている人です。」


美咲さんは目の前にある資料を写真に撮り、簡単な説明を添えてLINEで送った。


返事はすぐに来た。


彼女は画面を見ると、小さく笑った。


「どうしたんですか?」


スマートフォンの画面には、短い文が出ていた。


[今、持って来られますか?]


「やっぱり。」


「やっぱり?」


「綾乃さん、興味のある資料を見ると、ああなるんです。」


美咲さんが僕を見た。


「今から行きますか?」


「はい。」


僕は最初のノートと、別にまとめておいた小さな手帳の紙片、それから二つ目のノートを用意した。


もう一冊のノートと、母が送ってくれた祖母の遺品は、ひとまず部屋にそのまま置いていった。


美咲さんの車に乗って移動した。


それほどかからず、あるビルの前に着いた。


外から見るかぎり、特に変わったところはなかった。


「ここです。」


美咲さんが先に中へ入った。


僕も資料の入った鞄を持って、そのあとに続いた。


一階のロビーで待っていると、眼鏡をかけた女性がこちらへ歩いてきた。


美咲さんと同じくらいの年に見えた。


白いシャツの上に薄いカーディガンを羽織った、落ち着いた印象の人だった。


「お久しぶりです、美咲さん。」


「お久しぶりです、綾乃さん。急に連絡してすみません。」


美咲さんが僕を振り返った。


「紹介します。榊原綾乃さんです。」


僕は軽く頭を下げた。


「キム・ハルです。初めまして。」


「榊原綾乃です。初めまして。」


「資料は?」


榊原さんに聞かれ、僕は鞄をラウンジのテーブルの上に置いた。


まず、小さな手帳の紙片を取り出した。


榊原さんは、くっついている部分を見た。


「ご自分では剥がしていませんよね?」


「はい。」


「よかったです。」


続けて最初のノートも手に取り、表紙と中をざっと確認した。


彼女は紙の端を目で追い、それから二つ目のノートを見た。


視線を感じ、僕はノートを彼女のほうへ押した。


榊原さんが表紙を確認し、何ページかゆっくりめくった。


「誰が書いたノートなんですか?」


「僕の祖父です。」


「どんな方だったんですか?」


僕は、これまで確認したことを簡単に説明した。


榊原さんは途中で口を挟まなかった。


説明が終わってからも、しばらく何も言わなかった。


彼女は二つ目のノートと手帳の紙片を交互に見た。


「日本人が韓国式の名前で暮らしていて……その名前で婚姻して、朝鮮戦争では韓国軍に入ったんですか……。」


すると突然、


パンッ。


榊原さんが両手を合わせた。


僕はびくっとした。


「これ、本当にすごいですね。」


声が変わっていた。


「え?」


彼女は椅子をテーブルの近くへ引き寄せた。


「ちょっと待ってください。」


眼鏡の奥の目が、さっきとはまるで違っていた。


「まず紙質を見ないといけませんし、筆跡の照合も必要ですね。インクは蛍光反応や吸収特性も見て……必要なら紙の繊維も確認して。」


僕は彼女を見た。


わかった言葉より、わからない言葉のほうが多かった。


美咲さんが横から言った。


「紙とインクが、本当にその時代にあり得たものなのか確認するという意味です。」


「あ。」


「あとから別の紙が混じったものじゃないかも見るんです。」


榊原さんが美咲さんを見た。


「ずいぶん省きましたね。」


「ハルさんには、そのくらいの説明でいいんです。」


「そうですか?」


榊原さんは、またノートを見た。


そしてふと、僕を振り返った。


「あ、キムさんを疑っているという意味ではありません。」


「はい。わかっています。」


「興味深い資料ほど、きちんと検証したほうがいいんです。」


「当然の手順だと思います。」


榊原さんはうなずいた。


横にいた美咲さんは、少し前から僕たち二人を交互に見ていた。


「綾乃さん。」


「はい?」


「でも、そういう話はもう少しゆっくりでもいいじゃないですか。」


榊原さんが、不思議そうな顔で彼女を見た。


「どうしてですか?」


美咲さんが僕を一度見た。


「ハルさんのお祖父さまの資料なんですから。」


「だからこそ、もっときちんと見ないと。」


榊原さんは何でもないように答えた。


「僕は大丈夫です。」


僕が言った。


「むしろ、しっかり確認していただいたほうがいいです。」


「そうですか?」


美咲さんは、そこでようやくうなずいた。


榊原さんは、もう資料に視線を戻していた。


しばらく何も言わなかった。


紙の端を見ながら、指先でごく軽く表面に触れた。


僕はその様子を見て、尋ねた。


「手で触ってもわかるんですか?」


「ある程度は。」


彼女は紙から目を離さなかった。


「たくさん触っていると、指先でも違和感はわかります。もちろん、それだけで結論を出したりはしませんけど。」


「違和感ですか?」


「紙が語っている年代と、手触りが合わないことがあるんです。」


そのあとも、榊原さんはなかなかノートから目を離さなかった。


十分ほど経ったころ、美咲さんが呼んだ。


「綾乃さん。」


返事はなかった。


「綾乃さん。」


今度は少し大きな声で呼んだ。


そこでようやく、榊原さんが顔を上げた。


「ちょっと待ってください。肉眼でもう少しだけ見ます。」


美咲さんが肩をすくめた。


「始まりましたね。」


僕は小さな声で尋ねた。


「いつも、こういう方なんですか?」


「はい。」


初めて会ったとき、落ち着いて挨拶を交わした人と同じ人とは思えなかった。


榊原さんは、くっついている手帳の紙片をもう一度確認した。


「これは、ここで剥がさないほうがいいですね。」


「分けられますか?」


「状態をもう少し見ないとわかりません。」


彼女はしばらく紙を見てから、僕を見た。


「キムさん。」


「はい。」


「この資料、私がきちんと確認してもいいですか?」


榊原さんは、まるで金鉱でも掘り当てたような顔をしていた。


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