第74話 韓国のソウルはソウルです
僕は何も言わずに、乾パンを一つつまみ上げた。
さっきまで画面の上に残っていた文が、まだ目の奥に残っていた。
大韓民国万歳。
戦車へ向かって突撃した。
二度と戻ってこなかった。
僕は乾パンを口に入れた。
喉の奥が詰まるように感じた。
僕は冷めていくカフェモカを持ち、一口飲んだ。
甘く重い味が喉を通っていった。
それでようやく、乾パンの欠片が少しずつ下りていった。
美咲さんがそっと僕を見た。
それから彼女も、乾パンを一つつまみ上げた。
ゆっくり噛み、僕と同じようにカフェモカを飲んだ。
美咲さんは少しためらってから、尋ねた。
「大韓民国というのは……韓国のことですよね」
「はい」
僕はカップを置いた。
「普段は韓国と呼びますが、正式な国名は大韓民国です」
僕は少し考えてから言った。
「実は、韓国という名前が少し不思議に感じられるときがあります」
「え?」
美咲さんが僕を見た。
僕は重くなった空気を少しでも変えたくて、あえて軽い話から始めた。
「イギリスにあるという、トーペンハウ・ヒルという名前を聞いたことがありますか」
「トーペン……ハウ・ヒル?」
美咲さんが、聞き慣れない発音をゆっくり繰り返した。
「はい。以前、インターネットで偶然見た話なんですが、Tor、pen、how、hill がそれぞれ別の言葉で丘という意味なので、全部合わせると丘・丘・丘・丘になる、という話です」
「丘・丘・丘・丘……ですか」
美咲さんがまばたきをした。
「はい。正確な語源は複雑で、議論もあるらしいんですけど、話としてはかなり有名です。この丘の名前は何ですかと聞いたら丘だと答えて、それが丘丘になり、また時間が経って、この丘の名前は何ですかと聞いたら丘丘だと答えて、名前が丘丘丘になる。そういう話です」
「面白いですね」
美咲さんが少し笑った。
僕はその笑みに、少しだけほっとした。
それから、ようやく本来の話をゆっくり切り出した。
「韓国の『韓』という言葉も、僕には少しそれに似た感じがあります。いくつかの記録を読んだうえでの、僕なりの理解なんですが……」
僕はノートパソコンの横に置いた携帯電話を一度見て、また言葉を続けた。
「韓国の『韓』は、昔の朝鮮半島にあったいくつもの国々を指す名につながる言葉でした。各地の国々を、何々韓、というふうに呼んでいたんです」
「日本で言えば……甲斐国、尾張国、三河国みたいなものですか?」
美咲さんが言葉を選ぶように例を挙げた。
僕はうなずいた。
「はい。そういうふうに各地に国の名があったように、朝鮮半島にも馬韓、辰韓、弁韓のような名がありました。そうした韓が、韓国の韓につながっていると見ることができます」
「国の名前に近いものなんですね」
「はい。だから、とても単純に言えば、韓という国の名の上に、もう一度、国という字がついた形になります。ですから韓国という名前は、僕には時々、国国のように感じられるんです。さっきの丘・丘・丘みたいに。そして、これは実はソウルも少し似ています」
「ソウルもですか」
「ソウルという言葉は、もともとは都、つまり首都に近い意味の言葉でした。けれど、その言葉がそのまま都市の名前になったんです」
「都の名前が……都」
美咲さんは、不思議そうにつぶやいた。
「はい。だから名前の意味を意識して解くと、少し変な文になります。韓国のソウルはソウルです、というように。もちろん、今の韓国の人たちは、そこまで複雑には考えず、ただソウルという都市の名前として受け取っています」
僕はカフェモカをもう一口飲んだ。
固まっていた空気が、少しゆるんだような気がした。
美咲さんは静かにうなずいた。
「崔上等兵が聞かせてくれた話がどこまで事実なのか、どこからが戦争の衝撃の中で整理された記憶なのかはわかりません」
「戦争の衝撃、ですか」
「はい。今の言葉で言えば、PTSDに近い後遺症と言えるのかもしれません。彼は南方戦線で死んでいった仲間たちへの罪悪感や、戦争当時の衝撃のせいで、自分が何のために生きればよいのか、混乱していたのかもしれません」
「そういうことも、ありそうですね」
僕はまた検索窓を開いた。
今度は別の検索語を入力した。
「いずれにしても、彼が日本軍にいたことは事実なのでしょう。実際、当時、日本軍で軍務に就いた朝鮮人は少なくありませんでした」
美咲さんが画面をのぞき込んだ。
「どのくらいだったんですか」
「志願兵と徴兵を合わせると、二十万人以上と推定されています」
美咲さんの目が、少し大きくなった。
「そんなに多かったんですか」
「はい」
僕はうなずいた。
「ですから解放後に韓国軍を作るとき、日本軍で訓練を受けた人たちの影響が残るのは避けられませんでした。特に、現代戦の実戦経験を持つ人々の中には、日本軍や満洲国軍の出身者が少なくありませんでした」
僕は少し言葉を止めた。
その表現が単純すぎるように聞こえるかもしれないと思い、また慎重に付け加えた。
「もちろん、当時、新しい国を作らなければならない状況では、避けがたいことでもあったのだと思います」
「北朝鮮軍は違ったんですか」
「北朝鮮軍も、日本軍出身者を登用しました。それは向こうも事情が似ていたからです。ただ、北朝鮮軍にはそれに加えて、国共内戦を経験した兵士たちが多く入っていたと言われています。さらにソ連から供与された戦車部隊までありました。当時の韓国には、戦車が一両もありませんでした」
僕はまた乾パンを一つつまんだ。
指先に触れる硬い感触が、妙に現実的だった。
「韓国軍は、最初からすべてが劣勢な状況でした。特に北朝鮮軍の戦車は、恐怖そのものだったはずです。そういう状況の中で、肉弾突撃のような方法が出てきたのかもしれません」
美咲さんは、手にしていたカップをゆっくり置いた。
「肉弾突撃……」
「祖国を守りたいという気持ちもあったでしょう。もう一度、国を奪われたくないという恐怖もあったでしょう。そして軍人なら前へ出なければならないと教えられた記憶もあったはずです」
僕は検索窓に別の名前を入力した。
白善燁。多富洞の戦い。
「当時、第一師団長だった白善燁将軍にも、こういう逸話が残っています」
美咲さんが画面を見た。
「どんな逸話ですか」
「自分が退いたら、自分を撃てと言ったという話です」
「師団長が、自分でですか」
「はい」
僕は検索結果をスクロールした。
「指揮官が自ら前に立って、兵士たちを引き止めようとしたんです。今の感覚で見れば、危険で不思議な場面です。ですが彼は実際に部下たちを励まし、自分が前に立ちました」
美咲さんは、理解しようとする顔で画面を見ていた。
「でも、それなら指揮官も危ないのではないですか」
「危ないです。実際に、指揮官が死ぬこともありました」
僕はまた検索語を変えた。
画面に新しい検索結果が現れた。
「蔡秉徳。朝鮮戦争勃発当時、陸軍参謀総長だった人物です。日本陸軍士官学校の出身でもあります。ところが彼は、河東の戦いで戦死しました」
美咲さんが目を見開いた。
「待ってください」
彼女が僕を見た。
「陸軍参謀総長が……戦闘中に戦死したんですか?」
「はい」
僕はうなずいた。
「正確な職責の変化や当時の状況は少し複雑ですが、韓国軍でも最高位に近い指揮官が、戦争初期に前線の近くで死亡したことは事実です」
「そんなことが……」
美咲さんは、すぐには言葉を続けられなかった。
「戦争が始まったばかりの国でした。兵力も足りず、装備も足りず、体制もまだ整っていませんでした。そして、そういう状況で日本陸軍の教育を受けた人たちが中心にいました」
僕は画面から目を離さなかった。
「だから崔上等兵のような人も、完全に例外的な存在ではなかったのだと思います。当時の韓国軍には、日本陸軍の痕跡が多く残っていました。命令の出し方も、精神教育も、指揮官が前に立たなければならないという感覚も、そうだったのかもしれません。もちろん、戦争が続く中で、それは少しずつ変わっていきます」
「変わるんですか」
美咲さんが尋ねた。
「はい。朝鮮戦争の中盤に入ると、米軍式の教義が大きく入ってくることになります。韓国軍は、日本軍式の精神主義や突撃中心の影響を残しながらも、次第に米軍式の火力と装備を重視する方向へ変わっていくことになります」
「なぜですか」
僕は答えようとして、少し止まった。
その質問に答えるには、話が長くなる。
中共軍の介入についてまで話さなければならなかった。
そして、それによって韓国軍が米軍の方式へ変わっていく過程も。
僕はそのすべてを、今ここですぐ話すことはできなかった。
「説明するには、少し長くなりそうです」
僕がそう言ったときだった。
携帯電話が短く鳴った。
僕は画面を見下ろした。
母からのメッセージだった。
一瞬、手が止まった。
メッセージには、短くこう書かれていた。
手帳の後ろの部分を、残りもスキャンして送った。
目が痛いから、今日はここまでにするね。
僕はその文を読んで、しばらく息を止めた。
そしてすぐに返事を送った。
ありがとう。無理しないで。
返事を送ってから、僕はノートパソコンの画面をもう一度見た。
メールボックスに、新しいファイルが届いていた。
美咲さんも、それを見た。
「後ろの部分ですか」
「はい」
僕は新しく届いたファイルをクリックする前に、少しためらった。
まだ乾パンが指のあいだに残っていた。
僕はそれを口に入れた。
今度は、ゆっくり噛んだ。
そしてカフェモカを一口飲んだ。
「では……確認してみましょうか」
美咲さんが静かにうなずいた。
僕は新しく届いたファイルを開いた。




