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鞆の浦にて、千代子と ――海を渡った写真と、二つの名前――  作者: catseye
第二部 鞆の海を忘れられなかった男
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第47話 混ざっていたノート

「担当 佐伯春雄」


「ハルさん」


美咲さんが、慎重に声をかけてきた。


「はい」


「担当というのは……お祖父さまが、この書類を直接扱っていたという意味ですよね」


「そうでしょうね。だからこそ、この書類が今、祖父のノートに残っているのでしょうし」


「何を担当していたのでしょう」


「うーん」


僕は、すぐには答えられなかった。


「もう少し資料を探してみましょう。そもそも、これはどこにあったファイルでしたっけ」


「あ。ええと」


僕はしばらく手を止めたまま、ファイル一覧を見つめた。


「これは……」


ファイルの名前と場所を、もう一度確認した。


「美咲さん」


「はい?」


「スキャン画像の順番が、少し混ざっているみたいです」


「混ざっている?」


母も、ノートごとに整理して送ってくれたわけではないんです。

スキャンできたものから順に送ってくれていて、僕も受け取った順に開いていたので……どれがどのノートの分か、少し混ざってしまったみたいです。


「最初は、資料がたくさん貼られていたノートでしたよね」


「はい。最初に受け取ったのは、資料や書類が多く混ざったノートでした。そのあと新しく見つかったという二冊目のノートは、前のほうだけを見ると、祖父の日記のように見えました」


「では、今見ているのは、最初に受け取ったノートのものではないんですか」


「今見ているのは、一冊目のノートのほうで合っています。ただ、ファイル名が似ていて、僕が二冊目のノートの資料と混ぜて見ていました」


ファイル名も少し紛らわしかった。

けれど、それを母のせいにするような言い方はしたくなかった。


「混同していた、ということですか」


「もともと一冊目のノートは簡単に流して、二冊目のノートを中心に見ようと思っていたんです。単にいろいろな資料を集めて貼ってあるノートからは、あまり得るものがないと思っていたので」


「そう考えるのも無理はないですね」


「でも、僕はこれが二冊目のノートの内容だと思って、少し詳しく見ていたんです。いずれにしても、祖父の名前が出てきた以上、この部分をそのまま流すことはできないと思います。もう少し詳しく確認したほうがよさそうです」


「どうやってですか」


「この件が始まったころの祖父の日記を見れば、何か手がかりがあるかもしれません。ただ、まだその部分は受け取っていないので、母にもう一度頼む必要がありそうです」


僕はスマートフォンを取り出した。


母に電話をかけようかと思ったが、先にメッセージを送ることにした。


指を怪我したと言っていたので、電話に出るのも不便かもしれなかった。


しばらくして、返事が来た。


[今なら見られる。どうしたの?]


僕は慎重に文を入力した。


[すみません。二番目に見つけたというノートがありましたよね。もう少しスキャンして送ってもらえますか。少なくとも、一九四五年の秋ごろまでです]


僕は、昭和の年号と西暦をどう対応させればいいのかも書き添えた。


少しして、返事が来た。


[その部分なら、もう少しスキャンしてある。あなたの言うとおり年号を比べてみたら、だいたい一九四五年ごろまでの分みたい]


僕はすぐに続けて送った。


[ありがとうございます。それから、前に三冊目のノートは一九六〇年代以降の内容みたいだと言っていましたよね。念のため、詳しいスキャンはあとでもいいので、今は表紙と最初の数枚だけ写真で送ってもらえますか]


今度は、返事が少し遅れた。


[うん、わかった。でも指のせいで、早くはできないよ]


[指はどうですか]


すると、少しして写真が一枚、先に届いた。


指には、添え木のようなものが巻かれていた。


思っていたより、大きな怪我のようだった。


僕はすぐにメッセージを送った。


[思ったよりひどいですね。無理しないでください。早く治さないと]


[大丈夫。じゃあ、あなたのメールにまず三冊目のノートの写真から送るね]


しばらくして、メールが届いた。


これが三冊目のノートか。


表紙の内側に書かれていた年は、明らかに今、僕たちが探している時期よりずっと後だった。


昭和三十年代以降。


今すぐ必要な時期の内容ではなかった。


僕は美咲さんに言った。


「三冊目のノートは、今すぐ必要ではなさそうです。いずれ見る必要はあるでしょうけど、今探している時期とは離れています」


「では、二冊目のノートを確認するのが先ですね」


「はい」


僕は忘れないうちに、母に連絡した。


[二冊目のノートの場合、二冊目だと先にわかるようにしてもらえますか]


[ごめん、スキャンしたファイルの名前を変えるところまではできない]


[わかりました。では、送ってくれたあと、それが一冊目なのか二冊目なのかだけ、確実に教えてください。混ざらないように]


しばらくして、新しいメールが届いた。


タイトルには、二冊目のノートと書かれていた。


[受け取りました。ありがとうございます。指、早く治してください]


母に礼を伝えてから、受け取ったファイルを確認した。


昭和十九年。


その下に、短い文が続いていた。


誰に会ったとか、何かの物を運んだとか、代金を受け取ったという話、あるいは軍関係者から頼みを受けたという内容が続いていた。


「お祖父さまは……かなりいろいろなことをしていたんですね」


美咲さんが言った。


「そのようです」


僕は画面を拡大した。


一九四四年の記録は長くなかったが、物資の運送や通訳、仲介、特に軍に関係する取引が繰り返し出てきた。


「祖父は戦争末期に、かなり積極的に動いていたようです。お金を作らなければならない事情が、相当あったのだと思います」


「堂々と会いに行きたい、という思いで……」


美咲さんがつぶやいた。


その相手が誰なのかは、あえて言わなくてもわかった。


僕は似たような内容を飛ばしながら、画面を次々に送っていった。


昭和二十年。


字が少し荒くなっていた。


代金を受け取らなければならない、という言葉が続いていた。けれど、受け取ったという言葉はなかった。


そして、ある日を境に、軍関係の名前が消えた。


八月を過ぎると、文の調子が変わった。


『支払、見込立タズ』


『証書、無力』


『金、軽シ』


「お金が……軽い?」


美咲さんが小さく読んだ。


僕は少し考えた。


祖父に、何が起きていたのだろう。


正確には、佐伯商会に起きたことを推測しようとした。


そこで、ひとつ思い当たった。


「日本が敗戦したことで、軍に関係する支払いの約束も不安定になったのだと思います」


「未回収の債権になったのでしょうか」


「それだけではなく、当時の朝鮮では、激しい物価上昇があったと聞いています」


「お金の価値が、急に落ちたということですか」


「はい。軍関係の代金を受け取れないまま、持っていたお金の価値まで下がったのなら、祖父にとっては大きな損だったはずです」


僕はまた画面を先へ送った。


祖父の字は、さらに短くなっていた。


そのうちのひとつに、見慣れた名前があった。


「朴相吉」


美咲さんも、すぐに気づいた。


「朴相吉……また出てきましたね」


僕は画面を拡大した。


その下には、いくつかの言葉が散らばっていた。


「共同」


「財産処理」


「送金」


「荷物」


「名義」


その言葉を見て、これまで見た書類が浮かんだ。


「ここからだったのでしょうか」


美咲さんが言った。


「何がですか」


「朴相吉が、ただの仲介人ではなくなった時期……ということですか」


「その可能性はあります」


僕は画面を見ながら言った。


「ただ、今は先に見たいところがあります。そこだけ、少し追わせてください」


「そうですね」


鄭雅利に関する資料を探さなければならなかった。


僕は日付を少し進めた。


昭和二十年、秋。


記録はさらにまばらになっていた。


僕は指で画面をゆっくり下へ動かした。


けれど、鄭雅利という名前は出てこなかった。


「ないのでしょうか」


「ただ単に、担当として名前が載っていただけということも……」


そのとき、ページの端の小さな文字が目に入った。


「越智ノ件」


僕はその文字の前で手を止めた。


「美咲さん」


「はい?」


「見つけました」


美咲さんが画面をのぞき込んだ。


「越智ノ件……」


その四文字の下には、さらに小さな文字が続いていた。


「何と書いてあるのでしょう」


僕は画像を拡大した。


文字は少しずつ大きくなったが、滲みが強すぎた。


「これは、読むのが難しそうですね」


「それでも、痕跡は見つかりました」


鄭雅利という名前はなかった。


けれど、越智という名前は残っていた。



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