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鞆の浦にて、千代子と ――海を渡った写真と、二つの名前――  作者: catseye
第二部 鞆の海を忘れられなかった男
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第41話 大きすぎる金額

美咲さんがカフェを出たあとも、僕はすぐにノートパソコンを閉じることができなかった。


借りたノートパソコンの画面には、まだ何枚もの写真ファイルが残っていた。


僕にできることをしよう。


さっき読んだ手紙に出てきた名前や、それに関係していそうな内容がスキャン画像の中にあるかどうかを、駆け足で確認していった。


少しでも気になるものには、別に印をつけておいた。宿でも自分で目を通せそうなものと、美咲さんと一緒に見たほうがよさそうな部分とを分けていった。


そのとき、母から連絡が来た。


一部をまたスキャンして送った、という内容だった。


ノートの中には、貼りつけられた書類が多かった。下手に紙を剥がそうとすれば破れてしまうかもしれないので、母はできるだけ慎重に、表と裏を別々に撮ってくれていた。


だから、どうしても時間がかかるのだった。


[ありがとうございます。気をつけてお願いします]


僕はそう返事をしてから、送られてきた書類をダウンロードして、ざっと目を通した。


今すぐこれだけ見ても、わからないな。


それなら、宿へ持ち帰ってノートパソコンで続きを確認したほうがいい。


宿へ戻ってから、僕は写真を一枚ずつ開いていった。


領収書や品目表、取引先の名前、日付と金額。そこには、酒や煙草、食料品、生活用品のように見える項目が並んでいた。


今調べている二冊目のノートは、日記のように時間が一方向へ流れている記録ではなかった。


誰かが残しておいた書類を、あとになって一か所に集めて貼ったものに近かった。だから、読むというより、まず整理していく必要があった。


その途中で、あるページで手が止まった。


見つけた。


高 山。


そしてそのそばには、浜野フミという名前もあった。


そこから続く内容は、主にその二人に関係しているようだった。


そのうちに、僕は思わず手を止めた。


金春雄の名前が出てきた。


これ、もしかして。


そこにある内容を確認しはじめると、あとで美咲さんにどう話せばいいのか、少しわからなくなった。


けれど、結局LINEを開くしかなかった。


[あの手紙に関係する資料を見つけたようです。お時間のあるときに、あのカフェでまたお会いできますか]


高 山とフミさんは、ただ通り過ぎただけの縁ではなかった。


◆◆◆


数日後、美咲さんはまたカフェへ来た。


彼女は小さな鞄を置き、僕の向かいに座った。


「お待たせして、すみません」


「いえ。来てくださっただけで十分です」


「何か、見つかったんですか」


僕は少し答えを選んでから言った。


「見つかったというより……気になる部分がありました」


「これは……取引の書類ですか。何の取引でしょう」


美咲さんが、画面へ少し身を寄せた。


「品目名が見えますね。金額もあります」


「はい。最初の何枚かは、全部こういう感じでした。だから僕も、普通の商取引の記録だと思いました」


僕は次の写真を開いた。


その写真の中ほどに、別の字で短いメモが付いていた。


京城店舗拡張ノ件。


美咲さんが声に出して読んだ。


「京城……店舗拡張の件」


その下には、二人の名前があった。


高 山。


浜野フミ。


美咲さんの目が、少し止まった。


「高 山さんと……フミさん」


「はい」


「あの手紙に出てきた二人ですね」


「そう見ていいと思います」


文書の下のほうには、資金に関する短い文があった。


資金希望。


僕はその部分を拡大した。


「店を大きくするために、お金が必要だったようです」


美咲さんが、ゆっくり文字を目で追った。


「手紙には、店が少しずつ大きくなっていると書いてありましたね」


「はい」


「その言葉の裏側にあった資料なのかもしれませんね」


「ここを見てください」


紹介 金春雄。


立会 金春雄。


美咲さんが、小さく息を呑んだ。


「金春雄……」


彼女は僕を見た。


「ハルさんのお祖父さまの名前ですよね」


「はい」


僕は画面から目を離せなかった。


日本名では佐伯春雄だった人。


その名前が、高 山と浜野フミの資金資料に書かれていた。


「紹介、とあります」


美咲さんが静かに言った。


「それから、立会とも」


僕はうなずいた。


「祖父が、高 山さん夫婦を朴相吉に紹介した可能性があります」


「資金のやり取りの場にいた、ということでしょうか」


「そう見えます。少なくとも、まったく知らないことではなかったようです」


口にしてからのほうが、その言葉は重かった。


僕は祖父を、できればいい人としてだけ覚えていたかった。


けれど、いい人だったという記憶と、記録に残った名前は、いつも同じ方向を指しているとは限らない。


僕は次の写真を開いた。


そこには、もう少し具体的な内容があった。


資金一部、担保付。


在庫・備品、担保。


売上ヨリ返済予定。


美咲さんが低い声で読んだ。


「担保……一部の資金は、担保をつけて借りたお金という意味でしょうか」


「そう見えます」


「一部は、ですか」


僕は次の行を指した。


朴相吉、別途出資。


利益分配ノ約定アリ。


美咲さんの手が、テーブルの上で止まった。


「出資……投資ということですね」


「はい。全部が借りたお金ではなさそうです。一部は担保をつけて借りていて、一部は朴相吉が資金を入れたように見えます」


「店がうまくいけば、利益を分ける約束で」


「そう見えます」


僕は画面を少し拡大した。


数字が何行か見えた。


金額の一部は滲み、ところどころには書き足したような跡もあった。正確な額をすぐに読むのは難しかった。


それでも桁を見るだけで、決して小さくない金額だということはわかった。


美咲さんも、それに気づいたようだった。


「この金額……かなり大きいように見えますね」


僕はうなずいた。


「これだけの資金が入った事業なら、単なる小さな生活用品店だったと見るのは難しいかもしれません」


僕は次のファイルを開いた。


今度は領収書に近い資料だった。


洋酒納入。


供給 朴相吉側。


受取 高 山。


米軍客向ケ。


美咲さんが、眉を少し動かした。


「洋酒……お酒ですね」


「はい」


「生活用品店ではなかったんですか」


「少なくとも、生活用品だけを売っていた店ではなさそうです」


僕は別の写真も見せた。


そこには、麦酒、煙草、洋酒といった品目名が見えた。箱単位で書かれているものもあれば、数量の横に金額が付いているものもあった。


「これらの品が、どういう経路で入ったものなのかは、まだわかりません」


僕はあえて断定しなかった。


「米軍客向ケ、とありますね」


「はい」


「手紙にあった『米軍関係者の客』という言葉が……こういうものにつながる可能性がある、ということですね」


「可能性はあります」


次の写真には、短いメモがあった。


文字は日本語ではなかった。


僕はすでに、その部分に印をつけていた。


美咲さんには読めず、僕のほうを見た。


「これは……どういう言葉ですか」


僕はすぐには答えられなかった。


自分で書き写しておいたメモを開いた。


そこには、カタカナで短い言葉が記されていた。


ヤンゴンジュ。


美咲さんは声に出して読まず、目でだけ追った。


「ヤンゴンジュ……どういう意味ですか」


「当時、米軍関係者を相手にしていた女性たちを指す言葉です」


美咲さんの表情が硬くなった。


「女性たち……」


「接客という言葉だけでは終わらない場合もあったと思います」


僕は声を落とした。


「韓国では、かなり悪い響きのある言葉です。今は、軽く使っていい言葉ではありません」


「そうなんですね」


その短い返事の中には、それ以上むやみに踏み込まない慎重さがあった。


画面の上の資料は、静かに続いていた。


朴相吉紹介。


高 山方店舗、勤務希望。


何人という数字は滲んでいて、読めなかった。


けれど、意味は十分に伝わってきた。


朴相吉は、金を出しただけの人間ではなかった。


酒を供給し、女性たちを店へつなぎ、高 山の店を自分の事業の網の中へ引き込んだ人物のように見えた。


美咲さんが低い声で言った。


「日本にも……似たような店や、そういうふうに呼ばれた女性たちの話はあったと思います」


僕は彼女を見た。


「占領軍の時代のことですか」


「はい。祖母の時代にも、きっと……」


美咲さんは、その先を続けなかった。


僕も、尋ねなかった。


少しして、美咲さんが言った。


「フミさんは……手紙では明るく書いていました」


「はい」


「家を用意したと書いていましたし、店も少しずつ大きくなっていると書いていました。いつか日本へ行きたいとも」


「はい」


美咲さんが、慎重に尋ねた。


「ハルさんのお祖父さまは、どこまで知っていたのでしょう」


「わかりません」


僕はすぐに答えた。


「でも、紹介人として名前がある以上、何も知らなかったとは言いにくいと思います」


美咲さんは、しばらく何も言わなかった。


「つらいですね」


「はい」


僕は短く答えた。


それ以上長く話せば、言い訳のように聞こえそうだった。


祖父をかばいたい気持ちがないわけではなかった。


けれど、まだわからないことが多すぎた。


そのとき、ノートパソコンの右下に小さな通知が出た。


送信者は母だった。


僕は美咲さんに断って、メールを開いた。


[続けて何枚か送る。貼りついている書類が多くて、表と裏を撮るのに時間がかかっている。内容までは一枚一枚見られないから、撮れたものから送っているところ。まだ全部ではない]


添付ファイルがいくつか付いていた。


「お母さまからですか」


「はい。二冊目のノートの続きのスキャンだそうです」


「今、見ますか」


僕は少し迷った。


さっきまでの資料だけでも、十分だった。


けれど、新しく届いたファイルをそのままにしておくこともできなかった。


僕は新しく届いたファイルを保存し、最初の写真を開いた。


最初の数枚は、先ほど見たものと似ていた。領収書や品目表のような紙に、はっきり読めない数字や、見覚えのない商号が並んでいた。


僕は黙って次の写真へ進んだ。


美咲さんが日本語の短い文言を読み、僕はハングルのように見える言葉を確認した。


そうして何枚か進んだ。


僕は次の写真へ移ろうとした。


その瞬間、美咲さんが言った。


「待ってください」


僕の手が止まった。


「ここ……」


美咲さんが画面の上のほうを指した。


昭和二十五年。


高 山方店舗。


債権回収不能ノ件。


美咲さんが低く尋ねた。


「債権回収不能……これは、どういう意味でしょう」


「昭和二十五年……西暦では一九五〇年です」


僕はゆっくり息を吸った。


「朝鮮半島で、戦争が始まった年です」


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