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第25話 生きて出てください

千代子の家を出たあとも、修一の頭の中には、彼女の言葉が残っていた。


誓約書を書いてほしい。


どうか、生きて出てほしい。


夜になる前に、その言葉を佐伯へ伝えなければならなかった。


けれど徹夜のせいで、服には皺が寄り、顔にも疲れが出ていた。


このまま駐在所へ行くわけにはいかなかった。


いったん家へ戻り、着替えるつもりだった。


修一が家に入ると、父が先に声をかけた。


「修一、ちょうどよかった」


「はい?」


「一時間後、駐在所へ写真を撮りに行く」


「駐在所ですか」


「巡査たちの集合写真だそうだ。記録にして、本署へ送るらしい」


父は修一の顔を見た。


「お前、寝たのか」


「少しは……」


「行けるか」


「行けます」


「本当だな」


「はい」


父はそれ以上聞かなかった。


「なら、顔を洗って着替えろ。それから写真館へ行く。三脚も持っていかないといけない」


写真館は、家から遠くなかった。


修一は水で顔を洗った。


それから服を替え、父と一緒に写真館へ向かった。


写真機と三脚を用意しているあいだも、千代子の言葉はずっと頭の中にあった。


駐在所の前には、村上巡査部長と巡査たちが集まっていた。


制服は整えられていて、何人かは帽子の位置を直していた。


陽の光が、駐在所の前庭に差していた。


「来たか」


村上が、修一の父に気づいて言った。


「本署から、うちの駐在所の働きを褒められてな。記録に写真を残しておくことになった」


村上は機嫌がよさそうだった。


「おめでとうございます」


父が頭を下げた。


修一は三脚を立てるのを手伝った。


写真機の角度を合わせているあいだに、巡査たちはひとりずつ場所を決めていった。


村上巡査部長が、中央に立った。


けれど、浩一の姿が見えなかった。


少しして、浩一が駐在所の脇から足早に戻ってきた。


裏の用で遅れたらしかった。


浩一は修一を見た。


わずかなあいだに、その表情が変わった。


「お前、少しあっちへ行って、あいつを見ていろ」


あっちがどこなのか。


あいつが誰なのか。


言われなくてもわかった。


浩一はすぐに、修一の父を見た。


「少しこいつを借ります」


父は眉をひそめた。


「またか」


「写真を撮るあいだだけです」


父は、撮影の準備がほとんど整っている前庭を見た。


今すぐ修一が必要というわけではなかった。


「少しだけだぞ」


「はい。ありがとうございます」


浩一は修一に、低い声で言った。


「具合がよくない。よく見ていろ」


「はい」


「何かあったら、すぐ呼べ」


修一はうなずいた。


それから、裏手の建物へ向かった。


扉の前で、短く息を整えた。


ゆっくり中へ入る。


佐伯は、壁ぎわに座っていた。


朝よりも、さらに悪く見えた。


息をしているのが、ようやくわかるほどだった。


それで、浩一が自分を寄こした理由がわかった。


「佐伯さん」


佐伯は、すぐには反応しなかった。


修一は、もう少し近づいた。


「千代子さんに会いました」


その瞬間、佐伯の目が動いた。


修一はすぐに続けた。


「千代子さんが、伝えてほしいと」


佐伯の唇が、わずかに動いた。


「誓約書でも、何でも書いてください」


「私は大丈夫です」


「だから、どうか、生きて出てください」


修一は、千代子の言葉をそのまま伝えた。


佐伯は、長いあいだ何も言わなかった。


外からは、写真を撮る準備をする人たちの声が聞こえていた。


修一も、それ以上は言わなかった。


しばらくして、佐伯がようやく口を開いた。


「千代子さんが……そう言ったのですか」


「はい」


「直接、そう」


「はい」


修一は少しためらった。


それから、付け加えた。


「泣きそうな顔で、そう言いました」


佐伯は目を閉じた。


少しして、彼は言った。


「誓約書を……書きます」


修一はすぐに外へ出た。


駐在所の前では、撮影が終わっていた。


巡査たちはいくつかの輪を作り、雑談していた。


本署から褒められた祝いに、昼には簡単な弁当が出るらしいという声も聞こえた。


修一は浩一に近づいた。


「浩一兄さん」


浩一の目が鋭くなった。


「あいつに、何かあったか」


「あの人が……書くそうです」


修一は佐伯の名を口にしかけて、止めた。


「あの人」とだけ言った。


「本当か」


「はい」


「もう耐えられないと言っていたか」


「そう見えました」


そう答えるしかなかった。


浩一は低く笑った。


「そうだろうな」


それから、修一の父のほうを見た。


「親父さん」


「何だ」


「本当に申し訳ありませんが、修一をもう少しだけ借ります」


修一の父は、すぐに顔をしかめた。


「またか」


浩一は短く頭を下げた。


「すみません」


「何日も遅くまで使っておいて、今日もか」


「今回だけです」


「お前は修一を簡単に使いすぎる」


「本当にお願いします」


父は修一を見た。


修一は何も言えなかった。


父は息を吐いた。


「わかった」


「ありがとうございます」


浩一は修一と一緒に、裏手の建物へ向かった。


中に入ると、佐伯はまだ壁ぎわに座っていた。


浩一は誓約書を広げ、佐伯の前に置いた。


「これで書け」


佐伯は手を持ち上げた。


その手は震えていた。


しばらくして、佐伯はゆっくりと誓約書に名前を書いた。


佐伯春雄。


浩一は紙を持ち上げ、確かめた。


「最初からそうしていればよかったんだ」


佐伯は答えなかった。


浩一は誓約書をもう一度置き、小さな朱肉入れを取り出した。


「拇印もだ」


佐伯はしばらく朱肉入れを見ていた。


それから、親指に赤い朱肉をつけた。


やがて、名前の横に赤い跡が残った。


浩一はそこまで確かめてから、誓約書を折った。


「小林の名も、たまには役に立つな」


修一は何も言わなかった。


浩一は、佐伯が小林を恐れて折れたのだと思っているようだった。


「少し部長に会ってくる。お前はここでこいつを見ていろ。それと、お前の弁当は親父さんに預けておくから心配するな」


浩一は誓約書を手にして、外へ出ていった。


修一は佐伯を見た。


「お疲れさまでした」


なぜそんな言葉を口にしたのか、自分でもわからなかった。


けれど、何も言わずに立っていることはできなかった。


佐伯の目には涙がにじんでいた。


「私には、足りなかったのです」


佐伯が低く言った。


「千代子さんの前に立つ資格など、初めからなかったのかもしれません」


修一は、そんなことはないと言いたかった。


けれど、言えなかった。


外からは、弁当を受け取った巡査たちの声が聞こえてきた。


この駐在所が本署から褒められたという話と、村上巡査部長がいずれ本署へ上がるかもしれないという話が、笑い声のあいだから聞こえていた。


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