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第19話 朝鮮語が書かれた書類

美咲は、また手帳へ視線を落とした。


「続けて読みます」


美咲は一度息を整えてから、次の行を読み始めた。


そこから先は、まだ駐在所の中の話だった。


◆◆◆


あの男、あとをどう収めるつもりなんだ。


浩一は歯を食いしばった。


このあたりの者なら、まずしないことだった。


駐在所の中で、それも巡査部長の前で声を上げる。


それは、謝ればすぐに済むことではなかった。


村上巡査部長は、すぐには口を開かなかった。


その沈黙のあいだ、佐伯だけが部屋の真ん中に立たされていた。


村上巡査部長が尋ねた。


「中村はまだ戻らないのか」


扉のそばにいた巡査が答えた。


「いえ、まだです」


「では小林。お前が行け。あの男が泊まっている旅館へ行って、宿帳と荷物を確かめてこい。少しでも怪しいものがあれば持ってこい」


浩一の目には、佐伯が大きく取り乱したようには見えなかった。


小林が外へ出ていった。


扉が閉まると、駐在所の中には待つ時間だけが残った。


村上巡査部長は、それ以上尋ねなかった。


佐伯も口を開かなかった。


その沈黙は静かだったが、落ち着けるものではなかった。


やがて、外から足早な足音が近づいてきた。


小林が扉を開けて入ってきた。


手には、小さな包みと、折りたたまれた紙が何枚か握られていた。


「宿帳を確認しました。名前は佐伯春雄で間違いありません。旅館の者も、福山のほうから来た旅人だと言っています」


小林は包みの中から、着替えと小さな手帳、折りたたまれた書類を取り出した。


「こちらは、特に問題はなさそうです。ただ、これを見てください。こんなものが出てきました」


小林の目つきが鋭くなった。


浩一もそれを見た。


漢字まじりの日本語のあいだに、朝鮮の文字が混じっていた。


村上巡査部長が、その紙を持ち上げた。


「これは何だ」


すると佐伯は、わずかに首をかしげるようにして言った。


「取引の書類です」


「取引の書類に、なぜ朝鮮の文字が混じっている」


佐伯は少し言葉を止めた。


なぜそんなことを問われるのか、すぐには理解できないという顔だった。


「朝鮮では、取引の書類にそうした形で記すことがあります。日本人が営む店と朝鮮人の仲介人が取引をする場合、朝鮮の文字が入ることは珍しくありません」


村上巡査部長は、紙から目を離さなかった。


「読め」


「この場で、ですか」


「そうだ」


佐伯はしばらく紙を見つめ、それから低い声で読み始めた。


朝鮮の文字で書かれた品名は、日本語に直しながら読んでいるようだった。


「……昭和十八年十月二十八日付引渡し分。干し鮑二箱、干し海鼠一箱、白参三斤、および絹織物五反。右の品は予定どおり、釜山港物揚場倉庫にて確認のうえ、福山方面の取引先へ送るものとします」


佐伯は、そこで一度息を継いだ。


それから、続きを読んだ。


「釜山港物揚場へこちらの人夫を送り、佐伯商店名義で荷を引き取ります。仲介名義は佐伯商店とし、手数料は従前の取り決めに従い、引渡し完了確認後、別帳に記して精算願います。差出人は、パク・サンギル、とあります」


「釜山港物揚場へ人を送る」


村上巡査部長が、書類の一行を指先で押さえた。


「福山方面の取引先へ送る。仲介名義は佐伯商店。そして差出人は、パク・サンギル」


彼の指先が、また上のほうへ戻った。


朝鮮語で記された名前の横に、「朴相吉」と漢字が添えられていた。


「この朝鮮の文字は、パク・サンギルと読むのか」


「はい。パク・サンギル、漢字では朴相吉という名前です」


「漢字でも書いてあるのに、なぜ朝鮮の文字が先にある」


「相手が朝鮮人の仲介人だからです。向こうが使っている名前を先に書き、こちらでも確認できるように漢字を横に添えたものです」


村上巡査部長は答えず、取引書類の別の部分を指した。


「では、これは何だ」


「白参です」


「白参、と今お前は読んだな」


「はい」


「だが、この紙には朝鮮の文字でしか書かれていない。干し鮑も、干し海鼠も、絹織物も同じか」


「はい。品名は、朝鮮の文字で記されています」


「どうしてわざわざ朝鮮の文字だけで書いた」


「朝鮮から来る品は、産地や仲介人を通るあいだに、朝鮮の文字で品名が記されてくることが多いのです。生産者や仲介人が確認するにも、そのほうが間違いが少ない。私どもはそれを、取引の記録に写したのです」


「つまり、朝鮮人たちが書いた品名を、そのまま信じて写したということだな」


「信じて写したというより、取引の過程で互いに確認するための表記です。指定する品名がずれれば、引渡しのときに問題になりますから」


「値の張る品ばかりだな」


佐伯は少しためらい、それからうなずいた。


「はい。ですからなおさら、表記を間違えるわけにはいきません」


村上巡査部長は、その紙を机の上に置いた。


「お前はこれを、ただの取引文書だと言うのか。警察が読めない朝鮮の文字が入っていてもか」


「今申し上げたとおり、品物の引渡しに関わる商いの書類です」


「お前がそう読めば、こちらはそれを聞くしかない。だが、本当にそう書かれているとどうしてわかる。お前が都合のいいように読んでいるだけではないと、誰が証明する」


「いえ、ですから……それは……」


佐伯は戸惑った顔をした。


そして考えを絞り出すように言った。


「朝鮮では、一度も問題になったことはありませんでした」


「ここは内地だ。朝鮮ではないと言ったはずだ」


そのとき、小林が低く言った。


「不逞鮮人の類が内地へ品物を流すのに、この男が間に立っていたということも考えられますね」


その言葉が出た瞬間、浩一は小林のほうを見た。


話が、違う場所へ転がり始めていた。


村上巡査部長は、書類から目を離さないまま言った。


「そうだな。場合によっては、治安維持のほうにも関わる話になる」


佐伯の顔から血の気が引いた。


そのときになってようやく、彼は状況が本当に深刻になったのだと悟ったように見えた。


「違います。これは本当に商いのことで……」


「それを決めるのはお前ではない」


村上巡査部長の声が、静かに沈んだ。


「高等係へ回すべき事案かどうか、もう少し慎重に調べる必要がありそうだ」


高等係。


その名は、ただの盗人や喧嘩の話で出るものではなかった。


浩一は、佐伯の顔色が変わるのを見た。


小林も、さっきより少し身を乗り出していた。


その名が出た時点で、佐伯はもう、ただの旅人ではなくなっていた。


村上巡査部長は、ゆっくりと席を立った。


「私は奥にいる。お前たちでもう少し確かめろ」


その言葉に、小林が、少しだけ顎を引いた。


「わかりました。お任せください」


村上巡査部長はそれ以上言わず、奥へ入っていった。


扉が完全に閉まる前に、浩一はその背中を見た。


命令は短かった。


けれどその短い言葉が何を意味するのか、この部屋にいる巡査たちは皆わかっているようだった。


小林は、手にしていた書類の綴りで、佐伯の頭を小突いた。


書類の角が、乾いた音を立てた。


「知っていることは、全部話してもらうぞ」


その瞬間、浩一は、このままではいけないと思った。


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