第148話 思いもよらない提案
「この内容を見ると、今、南宮さんが調べているあの資料は、祖母が書いた手紙の草稿だったみたいですね。」
「そうみたいですね。」
「南宮さんにも伝えておいたほうがいいですね。」
「私がLINEで伝えておきます。」
「はい。じゃあ、お願いします。」
僕が直接連絡するより、同じ研究者で知り合いでもある綾乃さんから連絡したほうがいいような気もした。
綾乃さんがメッセージを送った。
しばらくして返事が来た。
「ありがとうって言ってます。それから、資料はまだ調査中みたいです。」
「はい。」
そのとき、美咲さんが席を立った。
「何か飲みながら話しましょう。」
彼女が冷蔵庫を開けた。
「新しく補充されてますね。」
「ある程度減ったと思ったら、運転手さんが補充してくれるんです。」
「今日は缶コーヒーもありますね。」
美咲さんの言葉に、以前コンビニで見たものを思い出した。
「もしかして、BOSSの缶コーヒーもありますか?」
「ありますよ。何種類かありますけど、どれにします?」
「ちょっと見てみます。」
僕は冷蔵庫の前へ行き、中を見た。
無糖らしいものもあれば、ミルク入りのものもあった。
僕はその中で、一番甘そうなものを一つ選んだ。
美咲さんも飲み物を一つ取り出した。
缶を開けて、一口飲んだ。
「おいしいですね。日本で初めて飲みましたけど、けっこういいですね。」
「ハルさんがBOSSの缶コーヒーを気に入ったなら、運転手さんに頼んで、次から種類をもう少し増やしてもらいますね。」
すると美咲さんが笑いながら言った。
「彼氏が缶コーヒー好きだって言えば、もっとたくさん入れてくれるんじゃないですか?」
「そうだと思います。」
しばらく笑いが続いた。
けれど、いつの間にか静かになった。
僕は缶コーヒーをもう一口飲んだ。
美咲さんも何も言わずに席へ座った。
綾乃さんはノートパソコンの画面を見ていた。
たぶん、みんな同じ可能性を考えていたのだろう。
けれど、誰も先に口にしたくなかったようだった。
僕も同じだった。
もしかして、祖母が何かをして、祖父と千代子さんの連絡が途切れたのではないだろうか。
祖母が千代子さんのことを調べてくれると書かれた記録を最初に読んだときは、ただありがたいことだと思った。
けれど、その後二人が結局再会できなかったことを知っている今は、どうしても別の考えが浮かんでしまった。
しばらく、誰も口を開かなかった。
結局、最初に口を開いたのは綾乃さんだった。
「あの、でも、もしかして……。」
彼女が少し言葉を止めた。
「この過程で、佐伯さんが千代子さんについて何か間違った情報を受け取ったんじゃないでしょうか?」
僕は綾乃さんを見た。
僕と美咲さんは、彼らの子孫という意味では当事者でもあった。
だから綾乃さんが代わりに先に口を開いたのかもしれなかった。
僕は黙って缶コーヒーを飲んだ。
美咲さんもしばらく何も言わなかった。
やがて彼女が口を開いた。
「朴美來さんが、そんなことをしたとは思えません。」
美咲さんが僕を見た。
「まだ確かなことは何もないですから。そうですよね、ハルさん?」
「はい。」
僕もうなずいた。
綾乃さんが言った。
「資料をもう少し読めば、わかるかもしれません。じゃあ、千代子さんの話がまた出てきたら、今回みたいにすぐ知らせますね。」
「はい。」
僕は残っていた缶コーヒーを飲んだ。
「じゃあ、また上に行きますか?」
「そうしましょう。」
僕と綾乃さんは、再び二階へ上がった。
保存作業が終わった次の資料が画面に表示された。
僕は記録を読み始めた。
「あれ。これは?」
これまでにはなかった、珍しい記録だった。
内容を追っていくと、当時の様子が頭の中に浮かび始めた。
◆◆◆
寝る支度をしていたときだった。
突然、私を呼んでいるとの連絡が来た。
こんな時間に呼び出されたのは初めてだった。
何だろう。
私はもう一度服を整えた。
検閲の過程で何か問題が起きたのだろうか。
最近確認した物資の中に、数量の合わないものがなかったか、頭の中でもう一度振り返ってみた。
だが、いくら考えても特に思い当たることはなかった。
私は上官の執務室へ向かった。
扉の前に着き、姿勢を正してから中へ入った。
「お呼びでしょうか。」
部屋の中を見た瞬間、足が止まった。
上官の机の前に、背広姿の男が座っていた。
以前見た、あの男だった。
男が私を一度見た。
そして、この部署の責任者である李少領に言った。
「あなたは外に出ていてください。」
李少領はすぐに姿勢を正した。
「はい。」
彼は背広姿の男に挙手敬礼をしてから、部屋を出ていった。
扉が閉まった。
部屋には、私とその男だけが残った。
私は閉じた扉をしばらく見た。
いったい、この人は何者なのだろう。
今出ていった李少領は、この釜山補給廠ではかなり後ろ盾が強いことで知られている将校だった。
親戚に韓国軍の将官がいるという話もあった。
そのためなのか、ほかの将校たちも、李少領をぞんざいに扱うことはできなかった。
それなのに、少し前の李少領は、何か問題でも指摘されたらどうしようと心配しているように見えた。
「お座りください。」
背広姿の男が向かいの椅子を指した。
「はい。」
私は慎重に席へ座った。
「コーヒーでも飲みますか?」
「はい。私が用意を。」
「いいえ。座っていてください。」
彼が席を立ち、部屋の片側へ歩いていった。
少しして、彼はコーヒーを二杯持って戻ってきた。
そのうち一杯を私の前に置いた。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
私はコーヒーカップを見た。
部署の責任者である李少領を、ひと言で外へ出した男だった。
それなのに、そんな人物が二等中士の私に自分でコーヒーを淹れてくれていた。
それだけでなく、私に対して丁寧な態度を取っていた。
いったい何の用なのか、まったくわからなかった。
私はコーヒーを一口飲んだ。
おいしかった。
「口に合いますか? 私がよく飲むコーヒーです。いつも持ち歩いて飲んでいるんですよ。」
背広姿の男が向こう側を指した。
そこには、アメリカ製らしいコーヒーが置かれていた。
闇市ではかなり高い値段で取引されている品だった。
そのとき、私の視線に気づいたのか、男が言った。
「知り合いの米軍将校から、贈り物としてもらったんです。」
「そうですか。」
私の内心を見抜いたように、彼が言った。
私は残っていたコーヒーを飲み終えた。
「その後、元気にしていましたか?」
「はい。」
あまりにも丁寧に話しかけてくるので、どう答えればいいのかわからなかった。
「これを一度見てください。」
男が書類を一枚、私の前へ滑らせた。
私はそれを読んでいる途中で、手が止まった。
見覚えのある名前が書かれていた。
私を何度も問題にしていた監察官だった。
その名前の横には、職権濫用の疑いにより職務から排除と書かれていた。
私は男を見た。
「これは……。」
「その人が、今後あなたを困らせることはないでしょう。」
「なぜ、これを私に見せるんですか?」
「あなたに一つお願いがあります。」
「何でしょうか。」
「この国のために、力を貸してください。」
「はい?」
「特務機関の要員になっていただきたい。」
一瞬、体が固まった。
「特務機関ですか?」




