第146話 ジョンガンジャンって、いったい何なんですか?
食事も終わりかけたころ、綾乃さんが尋ねた。
「羅州って、少し珍しい名前ですね。由来があるんですか?」
「ちょっと待ってください。」
僕も正確な時期までは覚えていなかったので、スマートフォンを取り出して羅州の歴史を検索してみた。
「940年に今の羅州という名前になったんですね。日本でいえば平安時代ですね。」
「かなり古い名前だったんですね。」
綾乃さんが少し驚いた表情をした。
「はい。それから、羅州がある全羅道という地域の名前も、全州と今話した羅州から来てるんです。」
「そうなんですか?」
「全州の『全』と、羅州の『羅』を合わせた名前です。」
「全州は、またどこなんですか?」
僕はスマートフォンの画面を見せた。
「ここが全州です。ここはチョンジュビビンバが有名ですよ。」
「そうなんですか? じゃあ……。」
そのとき、南宮さんが先に言った。
「私、チョンジュビビンバのおいしいお店を知ってます。今度機会があったら行きましょう。」
「いいですね。」
綾乃さんが笑いながら言った。
僕は羅州について少し説明を付け加えた。
「韓国の地名で『州』が付くところは、昔、地域の中心地だったところが多いんです。」
「ああ、だから全州という名前もあって、羅州という名前もあるんですね。」
「はい。」
僕はスマートフォンで「州」が付く韓国の都市をいくつか探し、画面に表示して見せた。
そのあと僕たちは食事を終え、店の外へ出た。
南宮さんが言った。
「コーヒー飲んでいきませんか? すぐ近くに韓国式のカフェがあるんです。」
誰も反対しなかった。
廊下を少し歩くと、比較的広いカフェがあった。
「これ、韓国で時々見かけたカフェですけど、日本にも進出したんですか?」
「そうみたいですね。」
中へ入ると、韓国語で話す声も聞こえた。
メニューにも日本語と韓国語が一緒に書かれていた。
美咲さんがメニューを見てから、僕に尋ねた。
「ハルさんは特大のアアですよね?」
「はい。」
美咲さんが南宮さんを見た。
「南宮さんもアアですか?」
「私もアアです。」
「でも、私はカフェモカにします。」
僕たち三人が自然に話を続けているあいだ、綾乃さんだけが何も言わずに僕たちを代わる代わる見ていた。
少しして、綾乃さんが尋ねた。
「……アアって何ですか?」
美咲さんが待っていたように答えた。
「アイスアメリカーノの略です。韓国の人がよく飲むんです。ハルさんのおかげで知りました。」
「アイスアメリカーノがアア……。」
綾乃さんがもう一度メニューを見た。
「じゃあ、私もアアにします。」
しばらくして、注文した飲み物が出てきた。
綾乃さんはカップを見て、少し間を置いた。
「大きいですね。」
南宮さんが笑った。
「ここは韓国式にしてあるので、アイスドリンクは大きめなんです。」
美咲さんが僕の前に置かれたカップを見た。
「でも、ハルさんのはもっと大きいですよ。」
「特大ですから。」
「これ、全部飲むんですか?」
「はい。」
綾乃さんが僕のカップと自分のカップを見比べた。
「韓国の人って、コーヒーをたくさん飲むんですね。」
「ほとんど水みたいに飲む人も多いですよ。」
「この量を見ると、そうかもしれませんね。」
僕たちは席に着いた。
コーヒーを何口か飲んでいた綾乃さんが、ふとショッピングバッグを見た。
「ところで、ここにハングルで書いてあるのがジョンガンジャンなんですよね。」
「はい。」
「ジョンガンジャンって、いったい何なんですか?」
僕は少し考えてから答えた。
「韓国では最高級の紅参ブランドとして知られています。」
「そんなに有名なんですか?」
「はい。紅参といえば、まずジョンガンジャンを思い浮かべる人も多いです。」
綾乃さんがショッピングバッグを一度見下ろした。
「どうやって生まれたブランドなんですか?」
「僕も前に聞いたことはあるんですけど……。」
僕は記憶をたどった。
「韓国では、日本との併合以前から国が紅参を管理する事業がありました。そして併合後は、朝鮮総督府の専売機関がその事業を引き継いで管理しました。その過程で、ジョンガンジャンという名前も使われ始めたと聞いています。」
「朝鮮総督府で?」
「はい。」
「じゃあ、ジョンガンジャンという名前を朝鮮総督府が作ったんですか?」
「そう言えますね。紅参を管理する事業そのものはずっと前からありましたけど、ジョンガンジャンという名前を作って使い始めたのは、朝鮮総督府の時代です。」
僕はスマートフォンを取り出した。
「僕の記憶が合ってるか、一度確認してみます。」
いくつか検索してみた。
関連する内容を読んでみると、覚えていたことと大きくは違わなかった。
「ジョンガンジャンという名前は、民間で作られた紅参と、官が管理した紅参を区別するために使われ始めた名前だと出てますね。当時は品質の低い民間製品や、偽物の高麗人参も多かったそうです。」
僕は画面をもう少し読んだ。
「そういう問題があったので、朝鮮総督府が品質を管理した、信頼できる紅参だと示すために作られた名前なんですね。」
美咲さんが尋ねた。
「今は?」
「今は民間企業が作っています。ただ……。」
僕は少し考えてから続けた。
「第二次世界大戦が終わって解放されたあと、韓国ではすごく混乱した時期が続いたじゃないですか。」
「そうですね。佐伯さんのノートを読んで、本当にいろいろ知りました。」
「戦争もありましたし。」
「そうですね。」
「そんな状況で紅参事業がきちんと引き継がれなかったら、ジョンガンジャンという名前は消えていたと思います。」
「そうでしょうね。」
「ジョンガンジャンへの信頼や、生産と管理の方法といった有形・無形の価値を守るために、多くの人が努力したからこそ、ジョンガンジャンという名前が今まで残ってきたんだと思います。」
綾乃さんがテーブルの横のショッピングバッグを見下ろした。
少しして、彼女が言った。
「朝鮮総督府はなくなりましたけど、ジョンガンジャンという名前は残ったんですね。」
僕は静かにうなずいた。
◆◆◆
高麗人参
朝鮮半島には古くから、人参の栽培に適した土地と気候に恵まれた地域が多かった。
高麗時代から朝鮮時代にかけて、朝鮮半島で生産された人参は中国や日本へ広く輸出され、長い交易を通じて、高麗人参は東アジアで最高級の生薬として名声を得た。
その過程で、「最高級の人参は高麗産だ」という認識まで定着した。
江戸時代の日本でも、朝鮮の高麗人参は非常に貴重で高価な生薬だった。
江戸幕府は当初、朝鮮との人参貿易の代金を、銀品位の高い慶長丁銀で支払っていた。
しかし、その後幕府が貨幣を改鋳し、銀品位を下げた貨幣を発行すると、朝鮮側は品位の低下した銀貨の受け取りを拒否した。
朝鮮人参を引き続き輸入する必要があった対馬藩は、幕府に、以前と同じ高品位の銀貨を別に作るよう求めた。
これを受けて江戸幕府は1710年、従来の慶長丁銀と同じ銀品位80%の特別な銀貨を作った。
人参代往古銀。
その名のとおり、朝鮮人参の代金を支払うために作られた銀貨だった。
一つの輸入品を購入するために、幕府が専用の高品位銀貨まで作ったという事実は、当時の日本で高麗人参がどれほどの価値を認められていたのかを示している。
高麗人参のこうしたプレミアムは現代にも続いている。現在でも韓国産の高麗人参や紅参は、中国市場をはじめ海外で高級製品として認識され、中国産の人参より高い価格帯のプレミアム商品として取引されている。
※参考資料
日本銀行金融研究所 貨幣博物館『貨幣博物館 常設展示図録』「人参代往古銀」 1710年・銀品位80%




