第138話 日本へ戻れなくなるかもしれないんだぞ
僕たちは研究所へ戻ったあと、また資料を確認した。
しばらくは、普通の補給業務に関する記録が続いた。
物資が到着した。
数量を確認した。
書類と合わない部分があり、もう一度確認した。
車両の配置を調整した。
何ページかめくると、少し違う内容が出てきた。
いつも四人で固まって行動している若い男たちがいた。
日本で暮らしていた韓国人で、彼らは自分たちだけで話すときは日本語しか使わなかった。
ほかの兵士たちとは、仕事で必要なとき以外はあまり一緒にいなかった。
僕は次の記録を確認した。
ある日、食事をしていると、その四人が近くで話をしていた。
いつものように日本語で話していたので、何を話しているのかは簡単に聞き取れた。
最初は静かに話していたが、だんだん声が大きくなった。
そのあとには、少し長く内容が続いていた。
僕の頭の中に、そのときの状況が浮かび始めた。
◆◆◆
食事をしていると、近くから日本語が聞こえた。
補給業務を手伝っていた四人が、近くの席に座っていた。
普段から彼らだけで話すときは、ほとんど日本語だった。
何人かが彼らのほうを見たが、彼らは気にしていなかった。
誰かがあいつらは何者だと尋ねると、日本から来た韓国人だと聞いて、そうかとそれ以上は気にしなくなった。
私は静かに食事をしようとしたが、彼らの会話が自然と耳に入ってきた。
「俺は韓国だけを守るために、ここまで来たんじゃない。」
「じゃあ?」
「戦争で韓国が負けたら、次は日本だって言ってた。俺は九州で生まれたんだ。朝鮮半島が共産化したら、次の戦場は九州になるだろ。」
すると別の男が笑って言った。
「それ、俺たちに戦場へ行こうって言ってた人の主張だろ。そんな簡単に戦争になるか?」
「違うって。あの人だけが言ってたわけじゃないんだ。」
彼はすぐに言い返した。
「朝鮮半島が共産化したら、ソ連軍が北海道へ下りてきて、北朝鮮軍が九州へ攻め込んでくるって言ってたんだぞ。」
「それはまだわからないだろ。」
しばらく会話が途切れた。
「じゃあ、お前はなんでここに来たんだ?」
「俺は共産党が嫌いだから戦いに来たんだよ。ほかに理由が必要か?」
そのとき、隣にいた別の男が箸を置いた。
「でも、日本へ戻れる機会ができたら、戻ったほうがいいんじゃないか?」
「まだ戦争が終わってないだろ。」
「講和条約が発効してから戻れなくなったら、どうするんだ?」
今度は別の男が言った。
「まさか日本政府が俺たちを放り出すか? これは日本のためにも戦ってるんだぞ。」
「日本政府がそこまで考えると思うか?」
「入れない理由なんてないだろ。俺は日本で生まれて、ずっと日本で暮らしてきたんだ。」
「日本にいる朝鮮人の身分がどうなるかわからないって話だぞ。」
「それでも、俺たちが日本で暮らしてた人間だってことは変わらないだろ。大丈夫だよ。」
「俺は心配だ。今からでも戻ったほうがいいんじゃないか?」
「俺も、戻れる機会ができたら戻ったほうがいいと思う。」
「ここまで来ておいて、今さら?」
「今すぐ帰るって言ってるんじゃない。機会ができたらってことだよ。」
「家族が日本にいるのに、気にするなってほうが無理だろ。」
「まだ共産党を追い払えてない。戦争が終わるまでは戻れない。」
「今はそれが問題じゃない。このまま何もしないでいたら、日本へ戻れなくなるかもしれないんだぞ。家族と生き別れになるんだ。」
そのとき、通りかかった将校が声を上げた。
「食事中に何を騒いでる。静かにしろ!」
結局、彼らは口を閉じた。
◆◆◆
僕は時間を確認した。
綾乃さんも時間を確認した。
「今日はここまでにしましょう。」
「そうしたほうがよさそうですね。」
僕たちは資料を片づけてから、一階へ下りた。
お茶を用意し、テーブルに残っていたお菓子も少し出した。
美咲さんがお茶を飲みながら言った。
「さっきの人たちなんですけど。本当に日本から朝鮮戦争に参戦しに来た人たちがいたんでしょうか?」
「一度調べてみます。」
僕は関連資料を検索し、その内容を見つけることができた。
「在日学徒義勇軍というものがあったみたいです。」
僕は内容を確認した。
「朝鮮戦争が始まると、日本に住んでいた韓国人が志願して参戦しています。全部で642人です。」
美咲さんが驚いた顔をした。
「642人もですか?」
「はい。米軍と韓国軍の部隊に分かれて配置されて、祖父が見た人たちみたいに、補給に関わる仕事を担当した人もいたようです。」
「じゃあ、佐伯さんが見た四人も在日学徒義勇軍だったんでしょうか?」
「状況からすると、そうだったんじゃないかと思います。もちろん確実とは言えませんけど、その可能性がいちばん高そうです。」
綾乃さんが尋ねた。
「その人たちは、あとで日本へ戻ったんですか?」
僕はまた検索した。
「1951年から日本へ戻った人たちがいたみたいです。」
「じゃあ、全員戻れたんですか?」
僕は次の内容を読んで、少し手を止めた。
「いいえ。」
美咲さんが僕を見た。
「どうしてですか?」
「平和条約が発効したあとは、日本へ戻る際に問題が生じたみたいです。」
僕は資料をもう少し確認した。
「結局、242人は日本へ戻れず、韓国に残ったそうです。」
「242人もですか?」
「はい。」
僕はそのまま読み続けた。
「日本に家族がいた人もいました。両親や兄弟だけじゃなく、子供が日本にいた人もいたのに、戻れなかったそうです。」
しばらく誰も話さなかった。
美咲さんが先に口を開いた。
「心配していたことが、本当に起きたんですね。」
「はい。」
綾乃さんが思い出したように言った。
「でも、さっき九州で生まれたって言ってた人の話も、少し気になりますね。」
「韓国が負けたら、次は日本だっていう話ですか?」
「はい。当時の日本でも本当にそういう話があったのか、ちょっと調べてみます。」
綾乃さんが日本側の資料を検索し始めた。
しばらくして画面を見ていた綾乃さんが言った。
「ありますね。」
「本当ですか?」
「1950年12月7日の、第9回国会 衆議院 本会議 第11号です。」
綾乃さんが内容を確認した。
「朝鮮戦争の戦況が、日本国民に不安を与えているという趣旨の話が出ています。」
「日本でも、そういう心配があったんですね。」
「そうみたいです。これもあります。」
綾乃さんが別の資料を開いた。
「同じ日に開かれた、第9回国会 参議院 法務委員会 第5号です。」
「そこには何て書いてあるんですか?」
「朝鮮半島の状況がさらに悪化した場合、日本に対する思想的な攻勢や暴力的な侵入、その後には軍事的な侵入まで起きる可能性があるのではないか、という質問が出ています。」
美咲さんが尋ねた。
「日本にですか?」
「はい。実際に外国の軍隊が入ってくるような状況なら、国内の治安問題ではなく、国家安全保障の問題になるという趣旨の答弁もあったみたいです。」
僕は少し考えた。
「作り話ではなかったんですね。」
綾乃さんがうなずいた。
「少なくとも、当時の日本でも似たような心配は実際にあったみたいですね。」
僕はもう一度、さっき読んだ祖父の記録を思い出した。
あのとき話していた四人は、その後どうなったのだろう?




